38 大精霊?
「大精霊だと?」
「そうじゃよー。侵入者共」
眉間に皺を寄せるレオンハルトに向かってのうのうと彼はそう言うと、あぐらをかいた足に肘を立ててほおづえをつく。
「とはいえ、私はもうこの世に存在しない。今の私はただの記憶じゃ」
「……? おばけみたいなものってことですか?」
「おい!」
目の前に立つレオンハルトの脇からひょこりと顔を覗かせてミモザは問いかける。それにレオンハルトは下がっていろとばかりに批難の声を上げたが、
「おばけか、まぁそんなもんだの」
という男の言葉に彼の方に向き直った。そして不愉快そうに男のことを睨みつける。
「意味がわからんな。しかしまぁ、おまえがこの世に存在してはいけない存在なのは確かなようだが」
「ほう……? それは何故だ?」
油断なく剣を構えながら、レオンハルトは告げた。
「おまえは狂化しているだろう」
「……あ」
その指摘にミモザはぽかんと口を開ける。確かにその通りだ。
この世に紅の瞳をした生物は存在しない。
『狂化してしまった生き物』以外には。
目の前に座る男は、禍々しい紅の瞳をしていた。彼はその瞳をにやりと歪めて笑う。そしてそれと同時に彼の全身から霧のように黒い塵がぶわりと噴き出した。
白かった視界が一瞬にして黒に覆われる。
「それはそうよ。『狂化』は私の生み出した祝福。意志のある生き物がより強く、望みを叶えるための力を得るためのものだ」
「それは……」
レオンハルトはくちごもった。ミモザも同じ気分だ。
禁忌とされているものを『祝福』などと突然言われ、しかもそれを作り出した当人が目の前にいるなど、理解が追いつかない。
「『祝福』、ですか? 『呪い』ではなく?」
目の前を塞ぐ黒い霧に目を細めながら、ミモザはなんとかそう尋ねた。それに彼は大きく首肯する。
「そうよ。おまえ達か弱き生き物に私が与えた力だ」
「それはつまり、『狂化』は、悪いものではないという意味ですか?」
「それはそうよ」
ミモザの問いかけに彼はあっけらかんと再び頷く。そして少し首を傾げた。
「ん? ああ、そうか。今は私ではなくあの女を崇める人間が多いのだったな。あれは『狂化』を嫌っておったから、今は『そういうこと』になっておるのか」
「どういうことです? あの女?」
「おまえ達が女神と呼ぶ女よ」
「…………!」
予想外の言葉に息を呑む。先ほどからなんだか神話じみた話ばかりだ。
(なんか、これ聞いて大丈夫な話か?)
本当なら長年研究を重ねた老学者や、物語の最後の方に重要な鍵として紐解かれる話のような気がする。それをこんな偶然、唐突に聞いてしまって良いのだろうか。
それともここで死ぬから聞かせてもいいとかなんかそういう系の話だろうか。
ミモザの不安にも構わず、彼はとうとうと話を続けた。
「何年前だったか、あの女は私と立場を取って代わり、私をここに閉じ込めたのよ。まったく、厄介なことをしてくれる」
(あの『女神』が、この『大精霊』と名乗る男を……?)
ミモザはかつて対面した女神のことを思い出す。そしてちょっと納得した。あの性格の悪い女神ならば面白半分にそういうこともしそうである。
(そういや、『女神教』は隣国から渡ってきたんだったな)
そして試練の塔も昔は『精霊の棲家』と呼ばれていたと聞いたことがある。
「あなたは、女神様の前に崇められていた存在ということですか?」
「最初からそう言っとろうが。私は大精霊の記憶よ。まぁ、正確にはまだ崇めている人間が一定数はいる。それゆえにこうして存在がいまだにとどまっているのよ。おまえ達もそうだろう?」
「え?」
「私のことを信仰している。だからそうして『狂化』の祝福を得ているのだ」
「それは……」
信仰している覚えがなく戸惑うミモザに、
「まぁ、私のことを信仰する者は無意識な者も多い。私は名もなき存在だからな。元々は霞のような存在だったのが、信仰により私という存在になったのだ」
と彼は告げた。
「このアゼリア王国の元々土着の宗教は精霊信仰だ。ゆえにすべての精霊を信仰している者も多い。おまえが言いたいのはそのことか?」
その時これまで黙ってミモザと男の会話を聞いていたレオンハルトが口を開いた。いまだ大精霊を名乗る男を警戒しているが、男に害意がないことを見て取ったのか、その声音は平静のものへと戻っていた。そして不思議そうに首を傾げる。
「狂化が『祝福』だというのならば、なぜ狂化した者の理性を失わせ暴走させる?」
「理性を失うのはただの副作用みたいなものよ。私の祝福は強い感情を抱いた生物が困難に遭った際に、それを乗り越える力を与えるものだ」
「あくまで『狂化』は力を与えるだけのものであり、怒りや悲しみという悪感情を増幅しているわけではないと?」
「その通りよ。順番が逆じゃ。『狂化』するから怒りや悲しみに呑まれるのではない。それほどの深く強い感情を抱くから『狂化』したのじゃ」
そう言って男はミモザとレオンハルトのことを指差した。
「その証拠に、ほれ、力に振り回されて暴走する者もいればおまえ達のようにコントロールしてその恩恵を生かせる者もいる。ようは使う者の器次第よ。そしてそもそも怒りや悲しみという強い感情を持つこと自体は悪いことではない」
男は二人を指さしていた手を天へと向け、くるくると回した。それに合わせて視界を埋め尽くしていた黒い塵が螺旋を描いてその指へと収束していく。
「それらの強い感情が生物に進化を促すのだ。飢えないため、生き残るため、そして外敵に勝つために生物は新たな力を生み出してきた。そういったストレスにさらされて生まれた感情はむしろ生物が環境に適応して繁栄するために有用なものよ」
そしてその手をぴたりと止める。まっすぐと存在しない天井を指さす人差し指へと、黒い塵はたちまち吸い込まれ、空間は再び真っ白へと戻った。
「この塔も。か弱くどうしようもないおまえ達を導くために、力を与える装置のひとつよ。現におまえらはこれを有効活用できているだろう?」
「……なるほど?」
その言葉を咀嚼するように考えながら、レオンハルトは頷いた。クリアになった視界に目をぱちぱちさせながらミモザは二人の話し合いを見守る。
「貴殿の言い分はわかった。しかし今すぐすべてを信じる気にはならんな」
「まぁ別に信じる必要はない。信じられたところで私が得るものもないしなぁ。私は問われたことに答えているだけよ」
『信じる気にはならない』と言いつつレオンハルトは疑っているわけでもないようだ。その証拠に先ほどまで『おまえ』だった呼び方が『貴殿』に変わっている。
ミモザとしても、こんなわけのわからないところにいる人物に「やぁ、私はなんの変哲もない一般人だよ」と言われるよりははるかに信憑性の高さを感じていた。
「ああ、そうそう、おまえらはその扉のことも気にしとったな。それは私を封じるためにあの女が作った扉じゃ。だから外側からの方が確かに開けやすいが」
「……が?」
その途中で区切られた言葉に不穏なものを感じてミモザは思わず身を乗り出す。
それに男はひとつ頷いてみせた。
「開ける手順が超複雑」
簡潔である。
「ぐ、具体的には……?」
恐る恐る尋ねると、男は指折り数え始める。
「まず前提として、狂化した人間とその守護精霊がこれから言う儀式を行う必要がある」
「うっ、」
「この扉の前で火を焚き、私を崇める舞を奉納する」
「は、はぁ、」
「そして開けるための文言を唱える。文言はこうじゃ。『我らを救いたまいし太古の大精霊様、我らは汝を信じ、敬い、共に生きることを願う汝の民。いざどうか我らがために、この扉を開き共に同じ世を過ごすことを望んでくれたまえ』」
「ちなみに奉納する舞はこういうやつじゃ」と具体的に踊りの内容までレクチャーしてから、
「ーーと、まぁ、これをすべてノーヒントで達成しなくてはならん」
と彼は締めくくった。
「の、ノーヒントで」
「そう、ノーヒントじゃ」
なかなかの無理ゲーである。舞やら文言やらがわからないのはもちろん、狂化した人間がやらなくてはいけないなどノーヒントで到底わかるわけがない。ガブリエル達にこれを期待するのはなかなかに酷だろう。
「本当にどこにもヒントはないんですか?」
「うーん、」
いちるの望みをかけてミモザは尋ねた。それに彼は首をひねる。
「まぁ、かなり前に石碑に残しておった奴がいたかもしれんが……。あれ、どこにいったかな」
「そんなペンをなくしたみたいに言われても……」
どうにも無理そうであった。




