32 アベル
そこに立っているのは確かにレオンハルトの腹違いの弟、アベルだった。
短い藍色の髪に金の瞳、精悍な顔立ちをしているが少しやつれているような印象も受ける。
(まぁ、そりゃそうか)
保護観察中に逃亡したのだ。いつ捕まるかとひやひやしながら過ごしていたことだろう。
アベルは兄の詰問に「ごめん……」と消え入りそうな声で謝罪した。
その回答になっていない返しにレオンハルトは目をすがめる。
「……ステラ君はどうした、一緒にいるのか?」
低く抑えられた声は冷え切っている。
そばに立つミモザには空気を伝わるようにしてレオンハルトの苛立ちが伝わってきていた。それでも彼はアベルを責めることよりも状況確認を優先したようだ。
(こわぁ……)
かつて敵対した時にも感じたが、彼を敵に回すのは本当に恐ろしい。
いたたまれなさを感じつつアベルの方を見ると、彼は萎縮しつつも力なく首を横に振った。
「もういなかった……」
「いなかった?」
「兄貴たちもステラを追って第一の塔に来たんだろ? 俺もだ。第一の塔にはもうステラはいなかった」
その発言にレオンハルトとミモザは思わず顔を見合わせた。
(アベルもステラを追っていたのか……)
確かに消えたタイミング的にも消えたのはステラが先であり、アベルは後を追うようにしていなくなっている。そのため別行動を取っていること自体はそこまで不思議ではないが、
(問題は……)
ミモザは一歩前に出ると口を開いた。
「アベル、アベルはどうやってステラの居場所を突き止めたの?」
この一点である。
まさかあのレイド・ナサニエルから聞き出したわけでもあるまいと思っていると、
「普通に聞き込みだ。服屋に聞いた」
「服屋?」
なんとも奇妙なワードが返ってきた。一体何の話だとミモザは怪訝な顔をする。それにアベルも怪訝そうに首をひねった。
「逆にお前はどうやってこの場所を突き止めたんだ? 外に出たステラが囚人服のままいるわけないだろ。絶対着替えるに決まってる」
「あっ」
完全に盲点だった。しかし言われてみれば確かにその通りである。
そんなミモザの様子にアベルは呆れたように半眼になる。
「お前妹のくせにあいつのこと全然わかんないのな」
「うぐっ」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
(おかしい)
さっきまで責められていたのはアベルのはずなのに、なぜミモザが話しかけた途端に形勢逆転されてしまうのか。
ちらりと横目でレオンハルトを見ると『何を不肖の義弟に押されている』と目線だけで叱咤される。
ふと手元に視線をおとすと構えたままだったチロがメイスからネズミの姿へと戻ると
「チー……」
『言い負かされてるんじゃねぇぞ!』と手の上から圧力をかけてきた。
「ううっ」
おかしい。なぜこんなに立場が弱いのか。
ミモザは聖騎士のはずなのに。
このアゼリア国の最強の精霊騎士のはずなのに。
(いや、まだだ!)
まだ巻き返せる。
ミモザはキッ、とまなじりを吊り上げた。そしてビシッとアベルのことを指差す。
「僕がわかってないわけではなく、アベルのストーカーとしての素質が高いだけでは?」
「誰がストーカーだ!」
わめくアベルの様子を見て満足そうにミモザは頷くと、チロとレオンハルトのことを振り返った。
『言い返してやったぞ!』とドヤ顔で視線を送る。
「チチッ」
『そういうことじゃねーよ』とチロはミモザの手をつねり、レオンハルトは弟子のていたらくにため息をついた。
「保護研究会の奴らが妙な動きをしてるのは知ってたんだ」とアベルは言った。
「ステラと面会した時、保護研究会の奴が接触してきたとステラが一度言っていたことがあった。エオって奴だ。服屋で聞いた話だとステラが一緒に居たのはジジイとそのエオって奴だったらしい。水色の髪と水色の目って話だから、ステラから聞いた特徴と一致してる」
「そう……」
『ジジイ』はおそらくロランのことだろう。あの二人は仲が良いようだったから、一緒に行動していてもおかしくはない。
「……アベル、一緒にくる?」
ミモザは少し考えてからそう提案した。
これはもちろん、アベルを慮っての発言ではない。
アベルは使えると判断したからだ。彼はステラに精通している。ミモザでは気づけない視点でステラ発見に役立ってくれることだろう。
(それに……)
ちらりと横目でミモザはレオンハルトのことを見た。
レオンハルトの精神衛生上も、気に入らない弟が目の届く範囲にいた方がいいのではないかと思ったのだ。
(余計なお世話かもしれないけど……)
けれどステラの行方がわからないことをミモザが不安に思うように、レオンハルトも多少のわずらわしさを感じているのではないかと思う。
ミモザはアベルへと視線を戻した。
「君は今、逃亡者だ。でも僕たちと一緒に来るなら協力者として今回の失踪を多めに見てもらうように働きかけてもいい」
「俺は……」
アベルは逡巡するように一度目を伏せた。しかしそれは数秒のことで、すぐに決意したように顔を上げる。
その金色の瞳はミモザではなく、真っ直ぐレオンハルトへと向かった。
「兄貴。ごめん、俺……」
「なんだ?」
「一緒には行かない」
その瞳に宿る決意は、苦い。
しかししっかりと目をそらさず、彼は兄に告げた。
「俺は、ステラに自首を促したい。そうすれば多少は刑期が短くなるだろ」
「……お前の刑は重くなるだろう。仮釈放も取り消しだ」
「それでも、」
苦しげにアベルは顔を歪めた。けれど顔をうつむけることはせず、苦渋を飲むように声を絞り出す。
「それでも、諦めたくないんだ」
「……そうか」
「どうしてそこまでステラのために尽くすの?」
その兄弟の会話にミモザは疑問を抑えきれずに口を挟んだ。アベルは弾かれたようにミモザのことを振り向く。その顔はまるで夢から覚めたような表情だった。しかしその口は間髪入れずに言葉を紡いだ。
「ステラを愛している」
「ステラはアベルを愛してないのに?」
その言葉にアベルはきょとんと目を瞬く。そして苦笑した。
「別に両思いの奴しか愛しちゃいけないわけじゃないだろ」
「…………っ」
ミモザは息を呑む。
(そりゃぁそうだ)
それはそうだ。そんなルールなど確かにどこにもない。
しかしそれを実行するのはーー、
「あいつが俺のことをなんとも思ってなくても、俺が勝手に好きなんだ。それともお前はお前のことを好きな奴のことしか好きになれないのか?」
「……………」
「違うだろ?」
今度こそミモザはぐうの音も出なかった。
それと同時にアベルのことを止めることは自分にはできないということも改めて理解した。
「アベル」
二人の会話が終わったことを悟り、レオンハルトが口を開く。その手はゆっくりと伸ばされ、自分達が歩いてきた方角、つまり街の方向を指し示した。
黄金の瞳がゆっくりと瞬く。
「ならば行くといい。次に会った時は見逃すことはできない。死に物狂いで逃げることだ」
「……兄貴、ありがとう」
「いけ!」
アベルは顔を伏せると、何かを振り切るように勢いをつけて二人の横を駆け抜けていった。
「……よろしいのですか?」
ミモザの問いにレオンハルトはふんと鼻を鳴らす。
「どうやらあれはステラ君のことに関しては鼻が効くようだ。せいぜい優秀な猟犬として炙り出すのに役立ってもらうとしよう」
「そうですか……」
レオンハルトがよしとするならば、ミモザにはもう反対する理由はない。
さて、ではもうステラのいない塔に行くべきか行かざるべきか、と首をひねったその時、
「兄貴! ミモザ!」
走り去ったはずのアベルが声の届くところで足を止めると振り返って声をあげた。
ミモザはそれに振り返る。
「どうでもいいけどここで立ち止まっちゃうのがアベルの格好悪いところだと思うよ」
「本当にどうでもいいわ!」
アベルは怒鳴ると、脱力するように肩を落とした。
「違くて! 塔に妙なもんがあったのを言い忘れたんだよ!」
「妙なもの……?」
眉をひそめるレオンハルトに、アベルは手を口元にあてると叫んだ。
「なんかでかい丸いのがあったんだよ!!」
その言葉に再びレオンハルトとミモザは顔を見合わせた。
「『でかい丸いの』……?」
謎である。




