チーズ
法律に反する行動をして、罰則が明確にあった場合。
自ら告白するか、隠蔽するか……それは、究極の選択ではないだろうか。
カリム家では、今、まさにそのことについて激論が交わされていた。
貴族が平民と子どもを作ることは禁止されているが、罰則はない。
そうしたいなら貴族が平民になり、平民として家庭を築くという抜け穴がある。
だが、その配偶者を貴族籍に入れること、子どもを貴族にすることは許されない。
また、子どもが魔力を持っていた場合は、国に取り上げられて一生会うことができなくなる。
そんな厳しい血統管理が行われている国で、カリム家は平民との子どもを貴族として届け出てしまった。
ヤスミンの異母妹ダリラは、事態の深刻さを理解していなかった。
「言わなければ、気付かれないんじゃないですか?」
ヤスミンたちの父、サミールがダリラをたしなめた。
「貴族学園に入学するときに魔力を測定しただろう。平民の血が濃く出てまともな魔力がなかったら、問題になる」
「異母姉さまみたいに、平民学校に通わせればいいじゃない」
それを聞いた前当主夫人が金切り声を上げた。
「二尾のパシャであるカリム家の子女が、平民学校など冗談じゃありません!」
お淑やかで可愛らしい雰囲気が消し飛び、高慢な貴族女性らしい顔つきに変わった。
「そんなに怒らなくっても……」
ダリラは涙目で、母レイラにしがみついた。
前当主夫人はそれを見て「所詮は馬の家の女たちね」と侮辱した。
女性たちは口げんかを始めた。
それを横目に、前当主は息子を詰問した。
「ジアド・カリム。お前はカリム家を潰す気か。
どうしてこんなメチャクチャなことをした」
息子はキッと父親を睨みつける。
「人が愛し合って、何が悪い。貴族だの平民だの、後から決めた枠でしかない。
俺は父上とは違う。平民だからといってもてあそび、ボロクズのように捨てたりしない!」
あまりの大声に、部屋の中は一瞬静まりかえった。
「なぜ、お前……そんな昔のこと……」
「俺の初恋だったからですよ。
習得している人の少ない言語の家庭教師。神話や芸術を理解するために必要な教養だと言っていましたよね。
どちらが先だったんですか。家庭教師にするのと、男女の関係を持つのと」
前当主夫人が、夫の頬を扇で打ち据えた。
「あなたに他の女の影があることには、気付いていました。
てっきり『馬の家』にお気に入りでもできたのかと……平民の家庭教師ですって? 汚らわしい!」
「聞き捨てならないわ! 平民だというだけで、そんな差別をする方がおかしいのよ」
ジアドの愛人、ヌーラが怒鳴り返した。
「まともに歩くこともできない下民が!」
前当主夫人の剣幕に、ジアドはヌーラの前に立ち、ブルブルと震えながらも訴えた。
「は、母上。彼女は俺の子どもを産んでくれたんです。どうか御慈悲を……」
「下民の子どもなど、わたくしの孫ではない!」
前当主夫人は完全に頭に血が上ってしまい、会話ができそうになかった。
「そんなのは、殺して捨てておしまい!」
と恐ろしいことを口にして、前当主夫人はすっと正気に戻ったらしい。
「そうよ。そうすれば『なかったこと』になるわ。
ねぇ、旦那様。それしかないんじゃないかしら」
にこやかに言う妻を、前当主は不気味な者を見るように体を引いた。
「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?
さきほど、『可愛い』と抱いた孫のことだぞ」
「貴族の子どもだと思ったから、可愛いと言っただけですわ。当然でしょう。
では、他にどんな手がありますの?
貴族学園に入学する前だって、魔力を測る機会は何度もありますわ。三歳の健診でも測りますし、平民の疑いがあれば役人が測りに来ます。
ジアドは前科があるから、洗礼式で測られるかもしれません。いえ、きっと測られます」
「ま、魔力がなかったら、どうなるの?」
ヌーラの問いに、ジアドは首を振る。
「どうなるかって訊いてんのよ」
ヌーラはジアドの胸ぐらを掴んだ。
「殺されるかもしれない。そういうのは秘密裏に処理されているから、実際の所はわからない。
だから、両親にも内緒にしていたんだ。
それを、お前がのこのこと出てくるから、バレたんだろうが」
ジアドはヌーラの手を払った。
「あたし、そんな危険な橋を渡らされていたの? あんたの恋人にならなかったら、そのまま歌手をしていたのに……」
「新人に追いあげられて焦ってたくせに、よく言うよ」
「なんですって?!」
「そうだわ。馬の家の子どもと取り替えたらどうかしら?
魔力があれば、検査されても安心でしょ」
前当主夫人が、愛想よくレイラに話しかけた。
レイラは後妻だ。ヤスミンの母が死ぬまでは、馬の家で「サミールの愛人」として暮らしていた。
「先ほど、馬の家を侮辱したくせに」とレイラは不機嫌を隠せない。
だが、夫のサミールは格上のカリム家を怒らせたくなかった。妻の腕をさすり、機嫌を取るように、「できるかどうか、答えてさしあげなさい」と囁いた。
「無理ですね」
レイラがつっけんどんに答えると、前当主夫人は額に青筋を立てた。
サミールがそれに気がつき「ひえっ」と情けない声を出す。
レイラはため息を吐いてから、説明した。
「馬の家は、国に厳しく管理されています。
子どもが貴族同士の間に生まれたかどうかも、当然管理されています。
赤ん坊の特徴も記録されているので、すり替えたらすぐにバレます。
不正をした馬の家は速攻で潰されます。それは、住人が全員殺されるということですよ。
管理人が自分と所属する人間の命と引き換えに、カリム家を救う義理などないでしょう?」
貴族の血筋であるのに、貴族として扱われない馬の家の住人。平民の血を混ぜないためだけの存在。
そこで感じた屈辱を、レイラは目の前の貴族女性にぶつけた。
前当主夫人も、思ったように話が進まないことに苛立ち、睨み返す。
「あの、すみません」
と執事が恐る恐るといった風情で声をかけた。
そこにいる二家族は、はっとして執事を視界に入れた。
「言祝ぎの歌を捧げるために、小楽団が来ているのですが、どうなさいますか?」
本来なら一通り食事が終わったころに、もう一度赤子を呼んで、祝福の歌を聴くことになっていた。
食事は前菜が手つかずのまま、二の膳すら運び込まれていない。
前当主が、ジアドにどうするか確認する。
「帰ってもらってくれ」
ジアドは絞り出すように言った。
祝う雰囲気ではないし、こんな修羅場を目撃されたら大変だ。
その判断は正しかったが、すでに今までの怒鳴り合いも楽団員の耳に届いていた。
後日、この楽団員たちから噂話として漏れていくことを、想定すべきであったのだ。
「ヤスミンは、なんだって楽団まで呼んでるんだ」
ジアドは頭をガシガシとかいた。
伝統に則った準備をしただけなので、これは八つ当たりだ。
「そういえば、彼女はどこに?」
前当主夫人が部屋を見回した。
ここでようやく、彼女に意識が向いた。
「あの女、逃げやがったのか」
ジアドが口汚く罵った。
「あいつが俺を欺いたんだ。子どものお披露目をしようなんて言って」
「申し訳ありませんが、騙したのはそちらですよね。
大切に育てた娘が、こんなひどい扱いをされているとは思いもしませんでした」
サミールは、急に父親らしいことを言い出した。
こちらのせいにされては堪らないという思いで、反撃した。
前当主は、そんな反撃を甘んじて受ける人間ではない。
「ああ、息子と嫁が共謀して、平民の血を我が家に入れようとした……そんなふうに、被害届を出してもいいかもしれんな」
「そんなことをしたら、あんたたちだって無事ではいられないぞ」
サミールは動揺して、格上の貴族相手だということを忘れた。
「もう、この家は終わりだ。息子と浮気相手を突き出して、我々だけで逃げるか」
「平民になったら、二度と貴族に戻れないじゃありませんか。その場合、わたくしは離婚して実家に戻ります。
平民を抱けるような人と、添い遂げたくはありません」
前当主夫妻の間にも、修復不可能な溝が生まれた。
カリム家は、今後どうするかを決められなかった。
フェリフ家にも累が及ぶ可能性があると説明し、黙っているように命令した。
サミール・フェリフは内心不満だったが、一尾のパシャの自分が二尾のパシャに逆らえるはずもない。
機会があったら強請ってやろうと心に決め、その場では従うふりをした。
娘のダリラは父が面従腹背であることを察し、「沈黙を守れ」という命令を軽視した。
だから、貴族学園で「お姉様ったら馬鹿なのよ」としゃべってしまった。




