ヴィアンド(肉料理)
短編をお読みの方は、内容が重なっていることをご承知おきください。
(今回は長くなりました。六千字を超えてます)
さて、子どもが生まれて三ヶ月。
そのお披露目として、両家が集まる。
私が女主人らしい仕事を初めてした、記念すべき行事である。
最初で最後の仕事になるかも……いや、「最後にする」と決意を新たにした。
とにかく愛人の飾り付けのセンスは最悪だった。
三日前に、取り外せるタペストリーとカーペットを外した。
そして、残った壁紙と埋め込み式の装飾に呆然とする。貴族の邸宅ではなく、見世物小屋のようだ。
だが、ここで諦めるのはプライドが許さない。
奇抜な壁紙を中和させる色があるはずだ。しかも、それを物置にある中から探し出さなければならない。
それを見つけるのに、とてつもない時間がかかった。
ようやく先々代の奥様が好んでいたカーペットに決め、埃を払って敷いた。
それと同系色の、当時のベッドカバーを切って帯状にする。それを半円を描くように垂らしていき、なんとか貴族らしい品格を演出する。
執事が一緒にいるせいか、使用人たちは素直に指示を聞いてくれた。ありがたい。
食事は、料理長に祝いの膳を指示してある。
お披露目の宴は「験担ぎ料理」で、決まり事が多い。あまり自由度がないので、口を出さずに任せることにした。
「おめでたいことなので、予算に糸目はつけない」と言ってあげたら、目を輝かせていた。ここぞとばかりに、高級食材を使うことだろう。
前当主夫妻が領地から出てきて、昨日から客間に泊まっている。
私は、一時的に女主人の部屋で寝起きさせられた。夫がそうしろと言っていると、執事が伝えに来た。
後ろめたいから自分で言いに来ないのかしら。
愛人の香水が染みついて臭くなった部屋。はっきり言って、とても不快だ。
廊下を挟んだ向かい側の部屋から、時々赤子の泣き声が聞こえた。乳母がいるので、私は顔を合わせることもない。
この部屋の本当の主人は、隣の侍女用の部屋にいる。
寝首をかかれないかと、ちょっと怖かった。
だ、大丈夫よ。彼女のご機嫌を良くする、とっておきの策があるもの。と言いつつ、護身用のナイフを枕の下に忍ばせた。
お披露目の当日。
執事に私の家族を出迎えてもらい、お披露目をする部屋で待つことにした。
私の継母と異母妹がカリム邸を訪問するのは、これが初めてだ。
彼女たちは屋敷を値踏みするように、視線を巡らせる。その様子が下品で、うんざりした。
「お屋敷は立派だけど、異母姉さまの服はイマイチね。私の方が……」「ええ、素敵な衣裳ね」
異母妹の言葉に被せて褒めてあげた。今日はこんな子に構っている余裕はない。
父は、私の結婚の話し合いのためにこの家を訪問したことがある。カリム家と親交を深めたくて、前当主夫妻に話しかけようとしている。
だが、結婚式のあとに、親族の食事会もせずに帰ったフェリフ家の評価は低い。
私が大奥様と文通をして仲良くなるのに反比例するように、彼らは嫌われていく。
「出来損ないの娘が、ご迷惑をおかけしていませんか?」
と、父が揉み手をしそうな勢いで訊くので、大奥様は眉をひそめた。
「当家の嫁は、常識を知っているので、助かっていますよ。この宴も彼女が準備したのです」
父が大奥様の嫌味に言葉を失い、何か言わなければと焦っているところに、夫が登場した。
子どもの父親として、夫が挨拶をする。
それを拝聴してから、一堂は刺繍が施されたクッションの席に腰を下ろした。
そこに執事の誘導で、乳母が子どもを連れて現れる。
「わあ、可愛い」という声があがる。
「どちらに似たのかしら?」と義母に訊かれても、「どうでしょう」としか答えられない。
私だって、今、初めて見たのだから困ってしまう。
そして、なにより、私とは血が繋がっていないので、似ているはずがないのだ……。
夫は顔を強ばらせて、見るからに不自然だった。
適当に「ここは俺に似ている」とか言えばいいのに。
こんな演技もできないなら、不貞をする資格がないのでは、と思わず笑ってしまう。
異母妹は憎しみの籠もった目で、私を睨みつけていた。幸せを見せつけられたと思ったのかしら?
そういえば、この子は今年で学校を卒業する。
婚約者は見つかったのかしら。
彼女が家に残ったから、婿入りすれば後継者になれる。名乗りをあげる人がいるはずよね。
さんざ母に「男を産めない役立たず」と言っていたのに、継母だって男を産んでいない。
役立たずなのは、父の方なんじゃないかしら。
どんな子が生まれるかなんて、神様の領分でしょうに。
今日、ここで失敗したら、母と同じような人生が待っている。
落ち着いて、計画通りに進めるのよ。
ひとしきり盛り上がると、子どもは乳母が抱いて下がり、大人たちだけの昼餐が始まった。
手際よく前菜が配られる。
お皿には、ベージュ色の豆をつぶしたフムス、焼いたナスのペースト、キュウリを混ぜたヨーグルトが彩りよく並んでいる。薄く焼いたピタで挟むようにすくって食べるのだ。
「あら、一席多いのではない?」
義母が首をかしげる。
ああ、なんて良いタイミングで気がついてくれたのでしょう。義母に感謝します。
「今日のもう一人の主役を呼んでいますのよ」
私は、復讐の始まりにほくそ笑んだ。
私に準備を全て任せた夫が、「もう一人」と聞いて青ざめた。
そう、真に讃えられるべき功労者。命を削って子どもをこの世に送り出した女性。
私がなんのために他人の子どものお披露目を準備したか、ようやく気付いた?
だが、もう、遅い。賽は投げられた。
そこへ、貫頭衣を腰紐で縛った衣裳で、愛人が優雅に登場した。
襟元にも裾にも豪華な刺繍。腰紐も、ワンポイントではなく総刺繍の高級品。
私の衣裳は貴族として最低限のこしらえ。一尾のパシャのレベルだ。それに比べたら、どちらが主役かは明白だった。
異母妹は二尾のパシャの家を訪問するからと、いつもより高価な衣裳を強請ったのだろう。
この中で、私が一番グレードの低い衣裳を着ている。
妻に、相応しい衣裳を用立てない夫。それは、貴族として恥ずかしいことだ。
義母は血の気が引いた顔で、私を見つめた。
昨日から私の服装を見ていたのに、あなたも粗末な服だと気付かなかったわね。
今日は一応貴族の服だが、昨日は平民の服で屋敷を駆けずり回っていたのですけど。
ということは、息子だけ出来が悪いのではなく、両親もそれなりな人たちということでしょう。
このあと起きるであろう悲劇に対する罪悪感が、少し軽くなった。
愛人は腰紐を翻して、華やかに歩いてきた。足が長く見えるよう、腰骨からしっかり伸ばす、舞台用の歩き方で。
貴族は、威厳を示すために腰骨は動かさず、股関節を使って歩くのだ。
揺れる動きを抑えめに、安定した歩みで、腰紐の裏を見せないようにするのが淑女の嗜み。
幼い頃から、家庭教師に叩き込まれる動作。
貴族用の娼館「馬の家」で生まれ育った異母妹ですら、歩き方は身につけていた。
だから……歩くだけで、愛人はこの場を凍らせた。
貴族の血筋を言祝ぐ場に相応しくない、異物。
付け焼き刃では身につけられない歩き方は、「貴族の真似事」をしようとする偽物をあぶり出す役目も持っているのだ。
あまりの光景に、狼狽する夫の家族。
息子が更生したと思っていたら、真実を隠して、そのまま突っ走っていたんですものね。
妻という生け贄を利用する小賢しさ。人の人生を踏みにじる、悪辣さを増しただけ。
その一方で、意地悪そうに破顔する異母妹。
私が不幸だと知って、喜んでいるわ。本当に性根が曲がっている。
まるで喜劇を見ているようだ。
ここで生きていこうと思っていたら地獄のような展開だけれど、逃げだそうと思っている人間にとっては滑稽な見世物だわ。
夫が無作法に立ち上がり、腰から外していた剣が転がった。成人貴族の魂とも言うべき剣が、食器にぶつかり音を立てる。
彼は慌ててしゃがみこんで、剣を掴んだ。
「先ほどの赤子の産みの親ですわ」
私は立ち上がって彼女の横に立ち、冷静に、淑女の笑みで紹介する。
「お前、なんてことを! 何を考えているんだ!」
夫が私を怒鳴りつけた。
仕事でミスをして血の気が引いた経験に比べたら、こんなボンボンに何か言われたって怖くないわね。
いえ、手に剣を握っているから怖いわ。
一応、暴力から身を守るための魔道具は、懐に忍ばせているけれど。どうか、声が震えませんように。
「いつも『妻』の部屋を使っている、この屋敷の女主人は彼女です。
私は数日前から間借りしているだけですの」
前当主夫人が息子をキッと睨みつけた。
ご自分が長年過ごした聖域を汚されたようなものですからね。
私が暴露したことで、愛人はまた自分が部屋を使えると考えて、ウキウキしている様子。随分、楽天的だ。
だからこそ、後先考えずに、貴族の子を産んでしまったのだろうけれど。
「昼餐会を開いた経験がないとおっしゃるので、私が差配させていただきました。
さあ、楽しくお食事しましょう」
場の空気をあえて読まずに宣言し、私は何もなかったかのように食事を始めた。
ピタを手でちぎり、ペーストを間に挟んで口に入れる。
料理人が宴のために丁寧に作った料理は、とても美味しい。
フムスは丁寧に裏ごしされて、口当たりが滑らかだ。ほんのり甘く、口の中が幸せになる。
「まだ別れていなかったのか? こんなことが、許されるはずないだろう」
前当主は、自分の息子の愚かさが信じられないようだ。
こんな男の言葉を信じた、あなたも充分愚か者ですよ。
息子は「だって」「でも」と言い訳を探している。
必要なのは自分の親を納得させることではなく、貴族を管理している内務卿を説得できるか。
認めさせるだけの理屈が立てられるか、ということなんだけど。
それができたら、建国以来二百年、誰もそれを成し遂げていない偉業だわ。
「こんなことをして、あなたの名誉だって地に落ちるのよ?」
前当主夫人が膝を詰めて、私を責めるように言い募る。
平民学校に通った時点で、貴族としての名誉なんか踏みにじられています。すでに「落ちる」などという次元ではなく、ほぼ平民です。
「あなたの息子さんがしでかしたことですわ。
結婚式の後に愛人の子を後継者にすると宣言されましたの。私を侮辱するにもほどがあると思いませんか?」
にっこりと、敢えて微笑んでみせる。
私を責める前に、息子をなんとかすべきでしたね。
「まことに、申し訳ない!」
前当主は夫人をなだめて、深々と私に頭を下げた。
まあ、それ以外に言葉はないですよね。
勢いで「離婚させる」と言ってくれてもいいんだけど。
頭を下げたということは、穏便にすませたいのでしょうね。
幸い、身内しかこの場にいないわけですし。
「息子さんは、貴族社会をご理解されていないようですね。どのように教育なさったのかしら」
そう言うと、前当主とその夫人の言い争いが始まった。
お互いを責めて、過去の他のことまで引き合いに出している。この喧嘩は、長引きそうだ。
ヨーグルトの酸味としゃきっとしたキュウリのハーモニーが、実に爽やか。キュウリがぽりっといい音を立てた。
「なんで、こんな場にのこのこ出てくるんだよ」
今度は、夫が愛人をなじっているのが聞こえる。
わきまえた女だったら、そもそも妻の部屋を占拠しないでしょうよ。図に乗らせたのは、夫だろう。
「奥さんの許しを得たのよ。本当の母親を知ってもらういい機会だって言うしさ」
ええ、許しましたとも。
私がお前の前面に立って、世間の荒波からかばってやる義理などないもの。
それに人前に出ることが大好きな女が、一生影に徹していられるわけないでしょう。
表沙汰になるのは時間の問題よ。
逆に、よく大人しく十年間も愛人をやっていたわ。
……この人たちが十年をどう過ごしていたか知らないけれど、少なくとも国家反逆罪で捕まっていないのだから、うまく隠れて愛を育んでいたんでしょうね。
まあ、ともかく。お前が、お前たちのしでかしたことの責任を取りなさい。
十歳も年下の、いきなり巻き込まれた私に、何とかしろというのは無茶だわ。
「なんという言葉遣いなの。メイドよりひどいわね」
病気療養中の前当主夫人は血の気が失せ、今にも卒倒しそう。侍女がいるから大丈夫でしょ。
あなたの息子は、頭の中身がひどいですけどね、どういう教育をなさったんですか――と心の中で毒づく。
結婚してから九ヶ月ほど文通をしたが、この夫人も精神的に幼い。
問題があったら人に丸投げし、自分で決められない。やることと言えば、手遅れになってから喚き、人のせいにするだけ。
義父は家が大事なら、息子を廃嫡すべきだった。
監視を緩め、自分たちだけの幸せな生活を送ることを選び、その間に息子が取り返しの付かないことをしでかした。
ああ、夫はこの二人の血を引いているんだなと、しみじみ思ったものだ。性質がとてもよく似ている。
解決策を考えるより、人を口汚く罵っているところも。
「私の子どもとして届けられましたが、正真正銘、その女が産んだ子です」
夫の縋るような目を無視して、きっぱりと断言してやった。
私の尊厳を踏みにじっておいて、私が庇うわけがないでしょう。虫がいいにもほどがある。
焼きナスのほろ苦さが鼻を抜ける。このペーストも美味しいわ。
私の実家の者たちは、ここぞとばかりに婚家を責め立てた。
父が「娘にこんなひどいことをしているとは思わなかった。慰謝料を払え」と言っている。
私の境遇になど興味もないくせに。
もし、もらえるとしても、家ではなく私の精神的苦痛に対するお詫びですよね。父は自分がもらうつもりで主張している。
加えて、口止め料として何をせしめられるか――そう考えて興奮しているようだ。
変なところで鼻が利いて、計算高いんだから。
いい気になって責めているけれど、余所から見たら同じ穴の狢。共犯者に見えるわよ。
嫁の実家なんて、同罪と見なされてもおかしくない。
私はそんなことを考えながら、ひとりで黙々と食べ続けた。
といっても、前菜とピタしかないんだけど。
主たちがもめているので、使用人は次の料理を運んでいいのか判断できず、様子をうかがっている。
料理が渋滞しているうちに、メインの羊の丸焼きが食べ頃を過ぎて焦げてしまうかもしれない。
私が今日、一番悩んだのは、愛人を呼びこむタイミングだ。
メインディッシュが出てからにしたかった。
でも、それまで大人しく待っているような女じゃないわよね。
この国では平民の血が混じったら、その時点で貴族ではない。
それでも平民と愛を育むほど、この歌姫に魅力があったのだろうか。
表情は豊かだ。歌も上手かった。知性は全く感じない。女としての魅力がたっぷりとか?
彼女は、この夫のどこに、命を賭けるほどの魅力を感じたんだろう。それとも、貴族になれると夢をみただけ?
前当主夫人の反応を見るに、この愛人を家族として受け入れるつもりはなさそうだ。
平民との子であることを隠蔽し続けるのは、簡単なことではない。
だって、誰かが密告したらお家断絶の危機……逆に、三ヶ月もの間、誰も密告しなかったのは見事と言える。
三ヶ月前に出生届を出してしまったのが、致命的だ。
今から夫を家の籍から追い出しても、一度偽りの届を出したことに変わりはない。
今後、使用人から脅されることもあるかもしれない。
そのときは、どう対処するのだろう。
私はちんまりと上品な一皿を食べ終わったので、立ち上がり、その場をそっと出て行くことにした。
言い争いしている人たちは、気付かない。
影の薄い私は、誰にも見とがめられることなく、次の行動に移る。
本来の自分の部屋でささっと街へ行くときの服に着替え、鞄一つで出ていくのだ。
今日の食材の分のお金を持って。
本当なら、明日、業者に支払うためのお金。
それくらい、慰謝料としていただいてもいいだろう。
二尾のパシャの資産なら、慌てず余裕で払えるでしょう。帳簿も見ていないから、知らないけど。
すれ違った使用人は、誰も、何も言わなかった。
九ヶ月ほど一緒に食事をしていたけれど、別れの挨拶をしようという気持ちは芽生えなかったな。




