スープ
● コンソメ side姉
私は、一人で何ができるかを考えた。
平民学校には、裕福な平民や経済的に苦しい下位貴族が通っている。
貴族の令嬢として生きたければ絶望的だろうが、平民として生きるなら理想的な環境だ。
語学と簿記、文字の美しさを身につけ、将来有望そうな男子にアピールした。
結婚してくれというアピールじゃない。
いつか貴族じゃなくなったら、下請けの仕事をさせてほしいと。
私が貴族だと知っている子は目を丸くしていた。
だが、貴族学校に通っていない時点で、平民になる未来があり得るのはお互いに理解している。
来たとして、訳ありの縁談だろう。
貴族の令嬢にとって、父親の言うことは絶対だ。
心情的には、貴族として「馬の家」に行くより、逃げ出して平民として生きていきたい。
つまり、家から逃げ出して、貴族の身分を捨てたら仕事をくれという相談なのだ。
話を持ちかける相手は、しっかりと吟味した。
平民学校には、他国と取引をしている商会の子どももいる。
歴史の授業では、この国の貴族と他国の貴族の制度が異なっていることを学んだ。
この国の高位貴族、三尾のパシャは、他国でいうなら伯爵以上の貴族。
二尾のパシャは、子爵や男爵。
それならば、一尾のパシャは?
一尾の実態は、征服する時に付いてきた平民なのだ。
騎士、職人、料理人などを、現地民よりも上に置いただけ。
だから、一尾のパシャは国内では貴族だが、国外に出たら平民として扱われる。
それが、トラブルの元になるため、この国の貴族はあまり外交に熱心ではない。
それを知ったとき、とても滑稽だと思った。支配するための、歪な身分制度。
自分たちが偉いと思いたくて、国に閉じこもる貴族達。
ますます、貴族でいることに価値を見いだせなくなった。
猶予は学生生活の三年間。恋愛にうつつを抜かすような余裕はない。
異母妹は貴族の学校に通っているから、平民学校での動きは知りようもないし、邪魔できない。
今のうちに逃げ道を作っておかなければ。
私は必死だった。
自分を嫌っている人たちに興味はないので、異母妹が何を考えているかを気にすることもなかった。
継母に母の薬草畑を潰されたが、庭師は庭園の管理を続けてくれた。
会話することは許されなくなるかと思いきや、私が使用人に落とされたため、同僚として普通にしゃべることができた。
令嬢として生活していた頃より、身近な存在になった。食事を一緒に摂ることができるのだ。
だから、大丈夫。
私は平民として生きる準備を、楽しんでいる。
――そう、心の中で唱えて、前を向いた。
母を殺された恨みは、心の片隅に一時的に追いやることにして。
だって、今は立ち止まっている余裕はないのだから。
● ポタージュ side妹
貴族として生まれたが、貴族でいられなくなった人間たちの受け皿――それを「馬の家」と呼ぶ。
私は、そこで生まれ育ったダリラという。
今はそこを出て、一尾のパシャである父と暮らしている。ダリラ・フェリフと名乗ることを許されたときは、感動した。
その馬の家にいたのは、次男以下で継ぐ家がない男や嫁ぐ先が見つからなかった女。離婚したときに実家に戻れなかった女もいた。
平民の孤児院や貧窮院と似たようなものだ。
違いは、「貴族」しか入れないということ。
貴族は労働しないもの――そんな決まりがあるから、働いて収入を得ることができない。
馬の家で掃除や料理をしているのは、平民だ。
運営管理している所長は貴族だが、その部下は平民。
だから、そこで暮らす成人が何をするかというと、男女ともに性的なサービスを提供する。
それは、「労働」ではないらしい。
貴族の血筋を持ち、客は貴族だけという縛りがあるだけで、実際は娼館だ。
特定の人がつけば「愛人」として、他の客を取らずに済む。
母は、愛人としてそこにいた。
父の妻が亡くなったのは、ダリラが十一歳の時だ。
母が後妻に迎えられ、そこを出ることができた。
ぎりぎり、商品になる前に出られたことに感謝した。
父はヤスミンの母と結婚する前後、両親の監視が厳しくなって馬の家に来ることができなかった。
数ヶ月連絡がなかったため、愛人ではなくなったと判断された母は仕事を割り振られたそうだ。
だから、「妻が妊娠して、監視が緩んだ」と父が久しぶりに来たとき、とても複雑な気持ちになったという。
父に見捨てられなくてよかった。これで、体を売らなくて済む。
そう思う一方で、客が一人というだけで、娼婦と何が違うのかと自問自答したらしい。
母が言うところの「泥棒猫」が死んで、ようやくまっとうな場所で生活できるようになった私たち。
異母姉を目障りだから「馬の家」に連れて行けと父に言ったが、そうしたら彼女の「価値が下がる」と拒否された。
彼女の持ち物や部屋を奪うことは許しても、それは許さないのか。
逆に言うと、「馬の家」はそんなにひどいところということだ。
母をそこに住まわせて……そこで生まれ育った私のことは、どう思っているのか?
生まれながらにして価値が低いということになるのでは?
理不尽だ。許せない。
生まれた瞬間に、婚姻関係にあったか否か。そんなことで子どもの価値が決まるなんて。
そんな境遇に追いやっておいて「真実の愛」だと?
笑わせる。
口先ばかりの男は、馬の家では珍しくもなかった。それが父親かと思うとムカムカして、腕をかきむしりたくなる。
正式な結婚の中で生まれたというだけで、価値があるらしい姉。
私より価値が高いなんて、許せない。
――ならば、貶めてやろう。
引きずり下ろして、私より下にして踏みつける。
這い上がってこられないようにするには、どうすればいい?
だから、貴族の学校には通わせない。これで、まっとうな結婚ができる可能性が低くなる。
平民学校で、使用人としての生き方を学べばいい。
いい気味だ。
私は、貴族学校に通う。
そこで姉の悪い評判を流せば、ろくな縁談は来ないだろう。
貴族学校に通わせられない問題児だと、誰もが思うはず。
それでも、十二歳まで令嬢として教育されているため、仕草が美しいので腹が立つ。
私が十一歳まで見てきた大人は、娼婦たちだ。
素敵だと思って真似していた仕草は、媚びを売るものだったらしい。十二歳で学校に入学するまで、徹底して矯正させられた。
小指を立てるな、腰をくねらせるな、下品だ。
そんな家庭教師の言葉に、傷つけられた。生まれた環境を否定されたようなものだ。
それでも、なんとか貴族らしい振る舞いを身につけ、貴族の学校に入学した。
母譲りの美貌で、男子たちの視線を集めてしまう。
三年間でいい相手を見つけるんだと、気合いを入れた。
私が二年生で、異母姉が三年生のときに彼女に縁談が来た。
卒業した後、平民の愛人がいたという十歳も年上のおじさんに嫁ぐ?
誰にも羨ましいと言われない嫁ぎ先。哀れなお姉様。
ちょうどいいじゃない。
もっともっと、不幸になぁれ。




