令嬢のため息の裏で2(ランスロット視点)
コンコンと執務室の扉がノックされる音に顔を上げる。
アスピスは出て来た隠し扉の向こうへ消え、入れ替わりで入って来たのは、隣室で待機していた侍従のオースティンだった。
「ランスロット殿下、お客様がお見えです」
「客?」
今夜は、面会予定などなかったはずだ。私が眉を顰めれば、オースティンも困り顔で、眉尻を下げている。こんな時間に突然訪ねて来る非常識な人間と会うつもりはないと、突っぱねようと口を開きかけたその時、
「来ちゃった」
扉の隙間から、テヘッ、という憎々しい笑みを浮かべる顔を覗かせたのは、チトセだった。
一瞬、その首を絞めてやりたい衝動にかられたが、これは私が狭量なせいではないはずだ。
理性や感情などと格闘する事、約10秒。私は、チトセの入室を許可した。帰れと言って帰るような男ではないし、この男が自分から訪ねて来たという事は、何かあるのだろう。
オースティンには、備え付けのミニバーからウィスキーを、ロックで出すように言った。こんな時間の来客に、お茶を出すものではないだろうしな。
「ちびすけ以外の連れがいるのか。珍しいな」
チトセの後ろには、珍しい褐色の肌の男がいた。シルバーグレーの長い髪を1つに纏め、どこか品の良さを感じさせる、異国情緒漂う、美丈夫だ。
「……もしかして、彼がマリエの護衛か?」
「そそ。インドラさん。こっち、ランスロット・ショーン・ブラッドレイ殿下ね」
「お初にお目にかかります。ジェミナス・インドラ・バルバート、と申します」
褐色の肌の彼が一礼をすると、
「……名前、インドラだけじゃなかったんだね」
おい。お前が驚いてどうする!? フルネームを知らなかったのか?! チトセを睨めば、
「……そう言えば、フルネームで名乗った事はありませんでしたね」
君もか! 私は思わず、軽く目を見張っているバルバートにも、非難の視線を送った。
「国の習慣で、フルネームはあまり名乗らないのですよ。ただ、この国の王子を相手にそれは問題があるだろうと思いまして──」
「……そういう事なら」
仕方がない……のか? あまり聞かない習慣だが、私の知らない常識など、この世には吐いて捨てるほどあるだろうから、気にしない方が良い。
「とりあえず、座ってくれ」
2人に空いている席を勧め──オースティンからウィスキーのグラスを受け取った。
「それで? こんな時間に何の用だ?」
「ん~、まあ……色々。インドラとの顔合わせもあるんだけど、とりあえず、簡単な用事から済ませよう。これ、ちびこさんから、シアとランにプレゼント」
腰に下げたバッグから、チトセが取り出してみせたのは、鳥の人形だった。
一羽は、ピンクと水色。もう一羽は緑色。
どちらも、毛糸を芯に巻き付けるようにして、形作った物だと分かる。首にはスミレのチョーカーを付けた、少々いびつで不格好なそれは、確実に素人の手作り品だ。
「ちびすけが作ったのか?」
「正解。ピンクと水色がシアで、緑がランのだから。安産と健康の御利益付きだよ」
「それは、すごいな。ありがたく頂戴しよう。パティには明日、渡しておく。彼女もきっと喜ぶだろう」
これは、お世辞抜きにそう思う。
執務室に飾るべきか、それとも私室、いや寝室? どこに飾るのが良いか、しばらく悩みそうだ。下心のないプレゼントなど、もらう機会は限られているからな。
一羽ずつ別々に飾るべきか、それとも二羽一緒に飾るべきか……そこから迷いそうだ。パティともよくよく話し合って決める事にしよう。
「次は、マリエさんの心配事かな。聞いてる?」
「ん? ああ、勿論だ。結論を言えば、祝祭と生誕祭の寄付の手配は心配しなくていい。王妃陛下にそれとなく伝えたところ、キアランを監督して下さるようだから。レースの出席については、完全な杞憂だな。騎手として、ダリウス・コーランがエントリーしているし、あれは馬が好きだから、欠席する事はないだろう。──スピーチについては、知らないが」
「会場にいて、何か喋ればそれで良いという事ですね」
「そういう事だ。恥をかくのはキアランで、王家ではないからな」
アスピスによれば、マリエは過去のスピーチ原稿と草案のチェックを広報官に依頼する期限などを纏めて、キアランに渡したそうだが──すべて、宝の持ち腐れになりそうだな。
「……あのさ、もしかしたら、俺の勘違いかも知れないけど、マリエさんに尻叩かれたり、拭いてもらったりしてるのは、ランも同じだからね? 坊やよりはマシってだけだからね? マリエールが、マリエさんになったから、今のランがあるんだよ?」
分かってる? 言外に問われ、私は目を丸くした。チトセの言う意味が、すぐに飲み込めなかったからだ。
すると、面白いくらいに彼の雰囲気が変わる。いや、面白くはない。
私は今、獰猛な肉食獣の前にいる。いや、圧倒的な支配者の前にいると言った方が良い。
「あのね? 今、アンタが、こうして、弟を蹴り倒そうと動けてるのは、マリエさんがマリエールをやめたからだって、分かってんの? って話だよ? マリエさんが、マリエールのまんまだったら、アルベルトって侍従は現役で、今でも最強のフォローコンビとして、あの坊やの道をせっせと整えて、石ころを拾い上げてるに違いないんだからね? そんな状況だと、アンタに、勝ち目はないだろ? 仮に坊やが転げ落ちたとしても、アンタが望んでる改革には手を付けられなかったはずだ。違う?」
ぐうの音も出なかった。
と、言うよりも、それ以上にチトセからのプレッシャーが凄くて、息をする事すら困難だった。
比喩でも誇張でもなく、机や椅子がミシミシと音を立てている。
「あまり、虐めるのは恰好がつきませんよ、チトセ。共感能力が低く、視野が狭まりがちなのは、環境のせいもあるでしょうから、そのくらいにしておいた方が良いでしょう」
何より、話が先に進みません、とバルバートが涼しい顔をして言う。
冷や汗一つかいていないのは、このプレッシャーが自分に向けられていなからか、それとも……いや、考えるのはよそう。
「──しょうがないな。ランはさ、視点を変えて考えるって事、覚えてよね」
「あ、ああ。分かった……その……何だ、すまない……」
「俺に謝ったってしょうがないし、マリエさんだって謝られたって困るだろうけど……」
「感謝は言葉ではなく、行動で示す。とりあえず、近日中に王妃から、キアランをどう思っているのか、尋ねられるだろうと伝えておいてくれ。王妃が動いたのは、マリエが弟の側にいない事を話したからだから」
「ほら、みろ。結局、マリエさん頼みなんじゃないか。王妃なんて動かさないで、ランが坊やの仕事を取れば良かったのに。別に何を言われたって、やる事をやらなかった坊やが悪い、で黙らせればいいだけでしょ。中途半端に良い人をやられたって、迷惑なだけなんだよ」
「…………」
確かにその通りかも知れないが、普段は温厚な王妃だが、一度感情的になると手が付けられないんだぞ? 私が勝手に動けば……いや、いい。言い訳をしたところで、覆水盆に返らず、だからな。
「何だかんだと言いつつ、弟がかわいいのでしょう。ほほえましいと言えなくもないですが、施政者として、その甘さは命取りになりかねませんので、気をつけた方がよろしいかと」
「あ、ああ……」
感情的になった王妃の相手が面倒臭かったからだ、とはとても言えなかった。チトセの言う通り、私はマリエに足を向けては眠れないな。
無言の時が5分ほど続いただろうか。カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。
「……では、私の用件に取り掛かりましょう。まず、チトセから話があったと思いますが、タレントの件について」
氷の音をきっかけに、口を開いたのはバルバートだった。
私は頷き返し、息を吐く。
「タレント、という言葉自体に聞き覚えはないし、過去の記録などを調べさせたが、今のところ、出て来ていない。ただ、同じものを指しているのではないか、と思う言葉については、心当たりがある」
ウィスキーのグラスに口をつけ、一口飲んで舌と喉を潤してから、私は言葉を続ける。
「チトセも知っているだろう。精霊の歌姫に精霊の巫女。この世には、精霊の御子と言われる者が時々いる事を」
これが、バルバートの言う、タレントの事ではないかと私は考えた。
「ああ、そう言えばいたね。そういうのが。なるほどね。あり得るかも」
「ただ、精霊の御子は教会の管轄でどこの王家もうかつに手は出せない。本人が望めば、一般人としての暮らしもできる訳だが……裏では教会が監視の目を光らせているからな」
御子の研究自体、行われているのかいないのか。
「そうなの? 何で?」
「精霊の御子の多くは、出家している。出家する時期については、早いか遅いか、二極化が進んでいるようだが……。何にせよ、精霊は神の使者とも言われているからな」
「あ~、カミサマの使者の子供は、カミサマの管轄ってわけ?」
「かみ砕いて言えば、そういう事なのだろう。マザー・ケートには報告しているが、正直なところ、タレントの存在を公表するのは、やめておいた方が良いように思う」
「そういう事情があるのであれば、その方が良いでしょうね。宗教問題に発展しかねません」
長いため息をついたバルバートの、非常に残念そうな顔といったら。露骨にしょぼんとしているものだから、御子の記録で良ければ取り寄せて渡す事にした。
彼には、これから世話になるのだし、これくらいの事はしても良いだろう。
「それにしても、その……伝染源と言う、タレントは何とも薄気味悪い能力だな。その力を使えば、自分の周りにいる人間を、自分の都合のよいように動かせる、という事だろう?」
レベルの差異により、動かせる人間と動かせない人間がいるようだが、それでも、自分の言動がその者に操られているかも知れないと思うと、ゾッとする。
「弟たちの不可解な言動も、それによるものだと?」
「おそらくは。伝染源には2つのタイプがあるのですが、彼女は作家型と呼ばれるタイプの特徴が強く表れているようです。このタイプは、作家が登場人物の思考や言動を描き出すように、自分の理想とする言動を相手にさせる事が多いようです」
もう1つのタイプは、侵食型と言って、自分の思考や感情を相手に植え付けるものだそうだ。
バルバートの故郷にいる伝染源は、こちらのタイプが多く、芸能関係の仕事に就いてプラス感情を発信する事により、上手く社会と適合しているそうだ。
「あのさ、可能性の話なんだけど、マリエールも伝染源にヤラレてた、って事はないかな? マリエさんは、悲劇のヒロイン気取ってたって言ってたけど、カノジョが出てくるまでのマリエールの献身ぶりを思うと、あの程度の事でって言ったら、語弊があるか……でも、耐えてそうじゃない?」
「…………何とも言えないが、そうかも知れないな」
確かに、それまでの報われなさを思うと、今更、女の影がチラついたところで、レディ・マリエールが潰れるとは思えない。女の影に涙しつつも、ぐっと堪えそうな気がする。
「マリエさんには言わない方が良いと思うけど。あ、そう言えば、ランってば、ミス・マリエじゃなくて、マリエって呼ぶ事にしたんだ?」
「あぁ、何となくそぐわない気がしてな。別に構わないだろう?」
私が言うと、チトセは「いんじゃない?」と軽い返事をよこす。嫌がる権利は、本人にしかないのだから、チトセがどうこう言えるものではないしな。
「話を戻しますが、この作家型は侵食型より厄介な一面があるのです。と言うのも、作家型が知らない事は、ない事にされがちでして──」
「……祝祭の寄付も生誕祭の寄付も、彼女が知らないから、キアランたちにとってもないものになっていった?」
──だとしたら、とんでもなく迷惑な話だな。
……涙を飲ませて片付けてしまう訳にはいかないだろうか? 私のその考えが顔に出ていたのか、バルバートから、
「ちょっとでも苦しみを与えると、それが伝染しかねませんから、やめた方がよろしいかと」
伝染源の苦しみが伝えられた者が、ショック死してしまいかねないと釘をさされてしまった。
つくづく、厄介な能力だな。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
野郎どもの内緒話、ここで終わるはずだったのに、終わらなかった……。




