銃弾の仕組み 8
地味に更新してみたり。これはかなり書き溜めてる分があるから更新しようと思ったらいくらでもできるんだけどね。
桁外れに広い視野を持つ〈蟲人〉は後ろに跳び退ることで銀光を避ける。
だが、颶風と化した長槍からは逃れることができなかった。その槍は〈蟲人〉の避ける方向が分かっていたかのように甲殻を砕き、胴体の中程を一気に食い散らして地面を陥没させる。
その蜘蛛はしばらく動かない。
そのうちに動き始めるが、歩みには先程までの力強さはない。足が崩れ黄色い体液を滴らせながら地面に伏すと、足だけが静かに踠き続け、やがて停止した。
バンドはその援護が作った隙の間に足元の蜘蛛の糸を焼き払い、〈蟲人〉に牽制の炎を吐くと大きく距離をとる。その横に二つの影が下りてきた。
一つは黒甲冑で体を包むニライだ。兜を付けていないので顔の動きが良く分かる。〈黒質〉の手甲が歯の根に響く軋みを上げた。
その傍らにいる道化の女はニライより破滅的な雰囲気で笑っている。その眼には吹き飛んだ理性と異質な冷静さが共存している。
「御苦労サま」
ニライの右手に黒い粒子が収束していく。その黒い狂気を見た〈蟲人〉達は少し後ずさる。
「私たちが殲滅しまス。二班は撤退しナさい。」
二班の面々は、突然の救援にあからさまな安堵の表情を浮かべている。自分よりも体の小さい二人の存在が彼らの中でいかに大きいのかを再認識する瞬間だ。
二班の兵士達は軽く礼をすると、負傷者に肩を貸しながら〈蟲人〉達と反対方向に撤退する。
「バンドは援護を頼ミますよ」
〈蟲人〉が逃げる隊員を追おうと微かに身じろぐ。ニライがその場で巨斧を振い、風切り音で虫に対して牽制した。
〈蟲人〉はニライの方向に八つの単眼を向けて動きを止める。
「お利口さんでスね」
斧を構えるだけで蜘蛛を止めた化け物が、酷薄な微笑を浮かべる。
「部下を負傷させちまった」
バンドが罰の悪そうに呟く。
「その話は今しないといけまセんか?」
ニライは興が削がれると言わんばかりに顔を顰める。だがすぐにそれも見えなくなる。
〈黒質〉が怒鬼の形相をした面頬でニライを覆ったからだ。彼は長大な斧を構えて蜘蛛を威圧する。
四体の〈蟲人〉がゆっくりと迫ってくる。蜘蛛の動きは非常に慎重だ。
ほんの一瞬、空気が止まる。
動いたのはカムリの右腕だ。手が閃き、纏わりつく銀を数条の光として疾らせる。〈蟲人〉の一人が頑健な甲殻を楯にして銀の光に真っ直ぐ突っ込んでいく。切断の光が甲殻の中に潜り込むが、叫声を発しながらも爆進を続ける。蜘蛛は頭部を下げ全てを圧搾するべく狂猪の様に速度を上げた。
戦車の質量が凄まじい圧を伴ってカムリに迫る。
その進路にニライが立ちはだかった。
ニライは斧を肩に担ぎ悠然とした佇まいで構え、異形の蟲を見据える。あっという間に肉迫してきた巨躯が手の届く範囲に来る。
ニライはその頭に柔らかく手を添えた。
「座り(・・)な(・)サ(・)い(・)」
爆発的な破砕音と共に石畳が大きく凹み、周辺の塵が消え失せるほどの烈風が周囲を撫でる。
〈蟲人〉の頭部をニライが地面へと押しつけている。虫が持つ戦車と同等の力と、重機を凌駕するニライの膂力が〈蟲人〉の頭部を凶悪に歪めていた。〈蟲人〉は黄色い汁が滲む頭部のまま、なおも前進しようと足掻く。が、ニライの驚異的な力がそれを許さない。虫の節足が空しく石畳を齧る。
地に伏した虫の上へカムリが駆け登る。その両手の周りには光が靄の様に纏わり付いている。それに気付いた〈蟲人〉は怯えたように巨体を揺らすが、カムリは意に介さない。
吹き飛んだ笑いを顔に浮かべたまま銀の靄を緑の甲殻に押し当てた。
靄に見えた銀光は瞬く間に数百条から成る光と化し不快な摩擦音を放ちながら甲殻の主要部位を微塵に、体組織を切断によって蹂躙した。銀の光一つ一つが飢えた鎌であるかのような惨劇は射程内にある物質を喰らい潰した。鎌の乱舞による暴風はカムリの極彩色の髪を真上にたなびかせ、バンドの髭を大きく揺らす。
蟲人の唯一残った脚部が濡れた石畳に倒れ、虚しく跳ねる。カムリは体中に黄色い体液がかかり、髪に新たな色合いを添えていた。黄は戦化粧となり、銀フレームの眼鏡と共に殺戮者の顔の笑みを飾っていた。
ニライが手に付いた黄色い液体を払うと、黒斧槍を構えてゆっくりと前進。その一歩一歩が、凶悪な戦士である〈蟲人〉の精神に恐怖を刻み込んでいた。
「あんたも笑いなさいよ、バンド」
「小話の一つでもあれば笑ってやるぞ」
「………………………………」
カムリはバンドを鋭い目付きで見つめる。
「いや、そんなに睨まなくても――」
「『三人の男と迷子の子猫ちゃん』を―――」
「小話を始めんじゃねぇよ!」
バンドの言葉の直後、向かってくる生き物の気配と共にニライの声が聞こえた。
「無駄話はしナいように」
ニライは斧を振いながらゆっくりと歩いて行く。
ニライの視界の外にいた〈蟲人〉は壁を伝ってニライを大きく避けると、カムリとバンドの方に突っ込んできた。
バンドは両掌の銃口を開き白熱した銃弾で〈蟲人〉を迎撃、更に膝、脛部、肩に数えきれない程の砲門を開き、口から放たれる指向性の高い炎と共に分厚い弾幕を展開した。個人の火力を遥かに凌駕する超火力だ。だが、その代償にその強烈な反動を一人で支える事になる。普通の人間なら反動で身体が引き千切られる。流石の〈蟲人〉も近付くことはおろかまともに防御する事すら出来ない。巨大な虫の体力が削られているのが分かる。
バンドが強烈な反動に対処していると、頭に微かな重みが感じられた。
「そのまま体を動かさないで」
カムリは先刻まで手に纏っていた光を全身に広げている。その影響か、長い髪が生き物の様に鎌首を擡げ服が風にはためいているような動きを見せた。
微かに笑う表情はカムリの顔を一際美しく彩る。
カムリの靄は瞬く間に数百条からなる光と化す。そして、その光は無言の号令と共に、
静かに降り注ごうとしていた大量の蜘蛛の糸を対象と定めた。
凶暴な力は、耳が壊れそうな爆発音以上の存在感を持つ。必殺の意図を持って放たれた捕食糸は逆に飢えた光に喰われた。地面に落ちる頃には糸の切れ端は雪片よりも無害な粒子となる。
見ると建物の上に一体の〈蟲人〉が静かに座していた。大量の糸を放った事により疲労が表面に出たのだろうか、退避しようとする動きは非常に緩慢だ。カムリはその様子に目を細める。バンドの肩の上からトンボを打って飛び降りると赤い影が残るほどの加速度で狩りを開始した。
だが、バンドはその光景を見る余裕はない。今まで防戦一方だった〈蟲人〉が周囲の建物を糸で引き倒し、建物の外壁を糸で包む事で丸ごとバリケードとして利用し始めたのだ。
建物は基礎の部分ごと地面から引き剥がされ、その際に激しい破砕音と乾いた埃の臭いが生じる。その力は余りにも現実離れしているとしか言いようがない。とんだ荒業だ。着々と生成されていく敵の楯を見たバンドは砲門と銃口を閉じ、後ろに下がり始めた。蜘蛛は銃撃がやんでもバリケード越しの安全な侵攻を止めない。
「……………」
バンドは頭の口を開くと、そこから握り拳よりも小さい球体を放つ。それは〈蟲人〉の進行経路にまっすぐ飛んで行くと、バリケードと化した建物に当たって重く跳ねる。蜘蛛は流石に少し警戒するが、それで速度を変えること無く進む。その球体を小型の手榴弾と判断したのだろう。
球体から出てきたのが爆風ではなく薄黄色の塵であることに気付いた時にはもう遅過ぎた。
予想外の現象に咄嗟の回避行動をとるが、爆風に匹敵する膨張速度の前には意味を成さない。
黄塵は石造りの建物と共に〈蟲人〉を巻き込み、緑の甲殻は薄黄色に埋もれて見えなくなった。
周囲の気温がぐんぐん下がっていく。
黄色い塵が体積を増やすために周囲の気温を貪る。無音の内に周囲の建物の残骸、バンドが溶かした石畳、蜘蛛の死骸、そしてバンドを巻き込んで尚も膨張を続ける。
天を突く黄色は巨大な慰霊碑の様相を呈していた。
その光景は余りにも異様。
音を出す存在が目に見えない捕食者から身を隠しているかのような、圧倒的な静寂が広がる。
辺りが真冬並みの気温になった時、既に一粒が樽程の大きさになった黄色い粒子の間からバンドが転がるように飛び出した。外に出るや否や、その場に膝をつき大きく咳き込む。皮膚は爛れ落ち、内部の骨格が剥き出しになっていた。
その内部の構造は明らかに人間のそれでは無かった。
その骨格は筋肉から骨、血管に至るまであらゆる部位が同じ材質で出来ているように見える。不思議な光沢の物質が健気に人間の真似をしているかのように、淀みなく定められた動作を行っている。血管の内部では何かの液体が流れ、筋肉は適度な収縮と弛緩を繰り返す。だが生き物ではない。全ての存在が、彼が生物であることを否定するだろう。それほどまでに不完全な人間の模写だった。
その骨格にも霜が降り、身体は真っ白に染まっている。だが、猫の顔だけは全く変わらない。皮膚が存在を維持できない程の環境にいたにも拘らずバンドの意のままに表情を変えている。
「ハァ、ハァ、ハァ」
バンドは骨格が剥き出しの状態で荒い息をついている。
「制御、できねぇ、兵器なら、実戦で、使用させんじゃねえ!」
荒い息で何者かに毒づく。息を整えるためか建物の陰に座ると、深く息を吸い込んだ。数回深呼吸して、軽く空を見上げる。
しばらくして溜息のように大きく息を吐き出し、それから猫の口を大きく開けた。中から茶色い団子の様な物体が転がり出てくる。それを空中で受け取ると猫の口で一息に飲みこんだ。
数拍後にバンドの体の表面に劇的な変化が現れる。濁流の様な勢いで身体の皮膚が再生し始めた。再生が始まってからほんの数秒で、元の傷だらけの肌が十数分前と同じようにバンドの体を覆っていた。
頑健な体を偽る皮膚を動かして再生直後の軋みを解していく。その皮膚は中身の構造を完全に隠しバンドが人間であると人々に誤認させる。
「終わりまシたか?」
バンドが顔を上げるとニライが巨大な斧を担いで立っていた。。霧の鎧はなく、彫像じみた美貌がこの世に曝け出されている。
もっとも纏う空気は狂戦士のように荒々しく、生半可に近寄ると食い殺されそうだ。
「こっちは終わったぞ。カムリの方もたぶん大丈夫だろ」
「そうでスか」
ニライは斧を肩に担いだまま、近くに聳えている黄色い物体の集合体に目を向ける。今やそれは辺りのどの建物よりも高く、ちょっとした山の様に見える。
「こレが新しい兵器ですか?」
ニライは斧で粒子の一つを突く。粒子は大きな風船のように揺れるが山が崩れることはない。粒子同士が糊で接着しているような状態になっているらしい。
「あぁ、グリモアの第三章に載ってた技術らしいぜ」
「ほぉ、どんな使い心地でシたか?」
まだ突いている。
「最悪だ。効果自体は申し分ないが、いかんせん範囲の制御ができてねぇ。失敗作だ」
ニライは肩を竦める。
「でも破壊力は申し分ないみたイですね。あなたのズボンを消し去ル程に」
バンドは物凄い勢いで自分の下半身を見る。
「嘘デす」
ニライはしれっとした態度だ。
「その布もグリモアの技術なんですカら。そウそう破損したりしませんよ」
「なになに?バンドが露出に目覚めでもしたの?」
話に割り込むようにしてカムリが帰ってきた。身体に滴っている黄色い体液の量が明らかに増えている。眼鏡のレンズについていた筈の体液だけは拭き取られている。
「カムリ、首尾はドうですか?」
「上々よん」
満足そうな表情を浮かべてバンドとニライに近づいてきた。
「お、そういえばカムリ、〈蒼〉への出向御苦労さまだったな」
「ありがと」
バンドの言葉に手を軽く振って返すと、近くに聳えている黄色い隆起を見つめた。
「もしかしてこれの性でここら辺寒いの?」
「あぁ、これが周囲の温度喰ってるからだ」
「へぇ、なんかすごいのね」
カムリは無造作に黄色い粒子を突いている。
カムリとニライはしばらく一心不乱に黄塵を突いていた。バンドは黄塵の山の頂上が不規則に揺れているのを見ている。
「そうイえば、バンド」
突然思い出したようにニライが声を上げた。
「なんだ?」
「ナユタからは、女五人と男一人、子供一人がいると聞いたんデすが、男と子供は〈蟲人〉では無かったんですか?」
「もしかしたらそうなのかもしれねぇが、違うと思うぜ。交戦した〈蟲人〉は五体しかいなかった」
「じゃあ、彼らはどこに行ったんですか?」
「そりゃあ………」
三人の間を風が吹く。周囲の気温の性でかなり冷たい。
「………………」
「………………………」
「……………………………あれ?」
バンドが自分の記憶を検索する様に頭を掻く。猫の表情も一丁前にしかめつらだ。
「戦闘に参加していないんでスよね」
「―――あぁ、その筈だ」
「巻き込まれて死んだんじゃないの?」
カムリの言葉が二人の耳を叩く。軽薄な口調ではあるが十分に考えられることだ。
「い、いやたぶん大丈夫だ。あの虫どもはガキを守るように動いていた。自分たちが戦うと決めた段階で逃がしているはず!」
自分に言い聞かせるように拳を固く握りしめる。
「〈蟲人〉が守ってイた?」
ニライの言葉が驚愕に彩られる。カムリも同様だ。
「そうだ。その動きのおかげであいつらの正体が―――」
自慢げに語るバンドの言葉をニライが遮った。
「〈蟲人〉が五体がカりで守っていた?」
「…?あぁ。そうだぜ」
カムリは呆れたようにバンドを見ている。
「…………………………」
「〈列強〉が〈蟲人〉を五体つぎ込むほどの重要人物を見失っタんですか?」
「…………………………………」
「………バンド」
「……あちゃあ」
バンドが額に手を当てる。
「ニライの失敗ならともかく、バンドの失敗は庇う気が起きないわ」
カムリが言う。
「失敗って言うほど失敗じゃねぇだろ」
「失態ですガね」
「…………楽しいか?」
「そんなことありまセんよ」
「だいたい、お前の完璧を部下に求めんじゃねぇよ」
バンドの言葉にニライの表情が一瞬強張る。
「ん?どうした?」
バンドの声音に困惑が混ざる。
「なんでもありマせん」
「そうよ~、何でもないわよ~」
カムリは毒婦の様な笑みを浮かべてニライの反応を窺っている。
「ね?失敗しない優秀なダーリン❤」
その瞳には嗜虐心が滴り、笑みには甘美な毒が滲み出ている。
「…………カムリ、後で覚えておきなさイよ」
「何をしてくれるの?」
「何もしマせん」
「そんな!」
カムリは強いショックを受けたように身体を震わせる。
カムリが何か言葉を続けようとした瞬間、ニライの目付きが変わった。肩に担いでいた斧を構え、低い体勢で周囲に目を配る。殺気をその身に纏い、身体の全神経を戦いに備えて整えた。
バンドはその気迫に反応して自分の感知対象を切り替える。カムリも飄々とした表情ではあるが身体の筋肉を緊張させている。微かに彼女の周囲に銀の光が浮かび上がる。
「どうした?」
「何か来マす」
ニライは辺りに目を配り、耳をそばだてる。普通の兵士が来たような反応ではない。何か恐ろしいものが近づいている気配を鋭敏に感じ取っている。
「何かって、何だよ」
「知りまセん」
ニライがバンドの質問に冷たく返す。
「ですが、普通のものでないという事は間違いないデすね」
「ノトエトの奴らか?」
「だから分からなイと言っているでしょうが」
ニライの声に苛立ちが募る。
「隠れる?逃げる?」
カムリが周囲の銀光を濃くしながら尋ねる。
「とりあえず隠れマ―――――――――」
と、ニライが言った瞬間、その体が強張る。
「来マす!」
ニライの体から漆黒が飛沫を上げて飛び出す。二人もそれに続いて戦闘態勢を整える。
周囲一帯の壁や地面、目の前に聳える黄塵、生き物以外のすべての面が、超弩急に鈍感な者でも感じることができるほどあからさまな黒色に塗り潰された。




