第35話 感謝
前橋の駅前まで出てきたが、昼飯にはまだ早い時間のため、一同が向かったのは映画館。
「どれでも好きな物を見てくれ」
ここも奢ると、宗次は万札の詰まった財布を掲げる。
まだエース隊員としての給料は支払われていないが、実家の畑を手伝った小遣いや、今までのお年玉等がほぼ手付かずで残っていたので、懐には余裕が有るのだ。
陽向は少し申し訳なさそうにしつつも、好意に甘えてポスターを見上げる。
「そうね、アクション映画が好きなんだけど……」
ざっと見回しても、面白そうな物がやっていない。
どれも二、三年に作られた、しかも低予算の映画ばかりである。
ただ、これは群馬が田舎だからとか、そんな事は断じてない。
単純に新作映画がほとんどの国で作られていないのだ。
金銭的な面と、そして不謹慎だという世論的な意味で、人々の心に余裕が無いために。
CEという謎の敵に襲われるという、それこそ映画のような現実のせいで。
「いっそリバイバル上映でも見ますか~?」
心々杏が指さしたのは、CE襲来前に制作された大作映画のポスター。
「これ、前にテレビでやってたやん」
「僕もお父さんと一緒に動画配信で見ました」
「ちぇ~、じゃあ別のかな~」
いっそ、CE襲来時にも休まず放映され続けた、日曜朝の戦う女の子やバイク乗りの映画でも見るべきか。
そんなふうに一同が悩んでいると、神奈が急に大声を上げた。
「こ、これにしましょう……っ!」
興奮した面持ちで指さしたのは、真黒な背景に赤い血の文字が書かれた、見るからに恐ろし気なポスター。
「神奈、ホラー好きだったの?」
「い、いえ、けどこの映画、愛川君って、凄く格好良いアイドルが出演してて……」
「なんだ、ちゃんと現実の男子に興味有ったんだ」
意外とミーハーな友人の趣味に、陽向はむしろ安堵する。
だが、腐女子とはそんな生易しい生物ではない。
「あ、愛川君、同じグループの稲穂君と、凄く仲良くて、ライブでもいっつも、肩を組んだり、き、キスまで、ぐへへへっ……!」
「生ものにまで手を出すとか、神奈ちゃんは手遅れですね~」
腐ってやがる、遅すぎたんだ――と、宗次以外の皆は心の中でドン引きする。
ただ一人、田舎生まれでネットにも染まっておらず、BLを知らない槍使いだけは、素直に腐女子の願いを聞き入れるのだった。
「そうか、じゃあこれを見よう」
「は、はい……っ!」
「ちょっ、本気で見るのっ!?」
チケットを買いに歩き出す宗次と神奈を、陽向は慌てて呼び止めようとする。
しかし、その耳元でゴスロリの策士が囁いた。
「ホラー映画なら、叫んで隣の人に抱き着けますね~?」
「――っ!?」
「どうかしたか?」
「い、いや、何でもないわ、神奈の見たいやつにしましょう!」
振り返った宗次に、陽向は真っ赤になって頭を振る。
「そうか、映助達もいいか?」
「望むところや!」
「ホラーは苦手なんですけど、皆が見るなら……」
女子に抱き着かれるのを想像し、鼻の下を伸ばす映助と、皆に気を使った一樹も頷く。
こうして、彼らは揃ってホラー映画のチケットを買った。
ホールの中はがら空きで、貸し切り状態で上映が始まる。そして――
『ぐぼあぁぁぁ―――っ!』
「きゃあぁぁぁ―――っ!」
飛び出す大迫力の3D画面で、血まみれの怨霊が目の前に迫ってきて、悲鳴を上げて宗次の右腕に抱き着く。
「もうやだ、やだよぉ……」
可愛らしく涙目になってすがり付いたのは、当然ながら陽向――ではなく一樹。
「作り物なんだから、そんなに怖がる事ないだろ」
「怖い物は怖いんですよ……っ!」
プルプル震える一樹の頭を、宗次は子供をあやすように撫でる。
対して、彼の左側に座った陽向はというと――
「次、次こそは、ガバッと、頑張れ私……っ!」
抱き着くタイミングを計っては、結局恥ずかしくなって固まり、尽く失敗していた。
「うわ~、マジヘタレです~。前は握手と頭突きまでしたくせに、どんだけ退化してるんですか~」
「あ、愛川君も良いけど、こっちも、ぶふぅ……っ!」
心々杏は呑気にポップコーンを頬張りながら、親友の情けなさに呆れ、神奈はスクリーンと宗次達を見ては、慌ただしく鼻血を拭っている。
そして、一樹の横に座った映助はというと――
「あかん、マジあかんってこれ! 兄弟、頼むからワテも手を握って!」
本気で映画を怖がって、一樹に抱き着く余裕もなく、宗次に助けを求めていた。
そうして二時間の上映が終わり、一同はホールから出てくる。
「ぐすっ、怖かったよ……」
「あかん、ワテもう一人でトイレ行かれへん……」
純粋にホラー映画を怖がったのは一樹と映助の二人。
「映画館に来たのは初めてだが、凄い迫力だったな」
「宗次ちゃん、3Dの幽霊に正拳突きはもうしちゃ駄目ですよ~」
「あ、愛川君の怯え顔、超萌えでした……」
宗次、心々杏、神奈の三人も、とりあえず映画自体は楽しみ。
「いいわよ、どうせ私はヘタレの負け犬よ……」
陽向だけは敗北に打ちひしがれ、どんよりと影を背負っていた。
「そろそろ昼飯にしようか」
落ち込む陽向にどう声をかけて良いか分からず、宗次は話題を変える。
「それなら僕、行ってみたいカフェがあるんですけど、いいですか?」
「あぁ、前に言っていたな」
オズオズと申し出た一樹に、宗次は思い出した顔で頷き返す。
初めての実戦の時、彼は確かにそんな事を口にしていた。
「そういや、焼肉の件はどないなったん?」
「私は忘れてないですよ~」
「きょ、京子先生達は、忘れて欲しそうでしたけど……」
そんな事を話しつつ、お目当てのカフェがある駅前に移動する。しかし――
「えっ、閉まってる?」
昼間だというのに、店の入口はシャッターで締め切られていた。
そこには一枚の紙が貼られ、無常にもこう書かれていた。
『閉店のお知らせ』と。
ほん二日前に、突如閉店する事が決まったと、今までのお礼やお詫びと共に。
「何で急に……」
言いながら、一樹だけでなく全員が理由を察した。
ピラーの出現とCEの襲撃、それで命の危機に怯えて避難したのだ。
よく見回せば、他にもいくつかの店がシャッターを下ろしている。
「そっか、普通は逃げるわよね……」
今まで軽井沢方面からしか現れず、エース隊員や自衛隊の手で食い止められ、安全だったはずの前橋市も、もはやいつ戦火に見舞われるか分からない、危険地帯と化したのだ。
今残っている人達とて、仕事や金銭の問題があるから、容易に離れられないだけであろう。
誰だって出来る事なら、ピラーから遠く離れた地に逃げたいと思っているのだ。
「戦争中、なんだよね……」
忘れた訳ではない、だが認識不足だった、戦争という現実と改めて直面して、皆一様に暗い面持ちで口を閉ざす。
そんな重い空気を変えたのは、戦場以外では鈍感で天然な槍使いであった。
「ラーメン屋、美味しそうだな」
シャッターが下りていない一軒の店を見つけると、そこに向かって歩き出す。
「カフェはまた今度奢るから、今日はあそこでいいか?」
「えっ、うん、私はいいけど」
「女子をラーメン屋にエスコートとか、宗次ちゃんは本当にダメダメですね~」
戸惑う陽向を余所に、心々杏は愚痴りながらも彼の後に続く。
「じゃあ、また別のお店を探しておきますね」
「え~、ワテは中華そばが食いたいわ~」
「そ、それラーメンと同じ物じゃ……」
他の皆も努めて明るく振舞い、ラーメン屋の暖簾をくぐる。
店内はガラガラに空いており、客は二人しか居なかったが、いかにも頑固親父っぽい店長は気にした様子もなく、威勢のよい声で出迎えてくれた。
「らっしゃい、お好きな席にどうぞ」
その招きに応じ、宗次はテーブル席に座ると、メニューも開かずに注文した。
「カレーライス一つ」
「何でやねんっ!」
ラーメン頼めや――という映助の裏拳ツッコミは、相変わらず片手で止められてしまったが。
その漫才に、頑固店長も思わず破顔した。
「悪いな兄ちゃん、うちはカレーライスやってないんだよ」
「そうですか」
「せやろ、ラーメン屋に来たらちゃんとラーメンを――」
「カレーそばでいいかい?」
「はい」
「何でやねんっ!」
いっそライスを出せや――というツッコミは無視して、店長は調理に取り掛かった。
「何やこの店、大丈夫なんか?」
「味は保証しますよ」
失礼にも疑っていると、店長の娘らしき大学生くらいのお姉さんが、熱々のおしぼりを差し出してきた。
その大人っぽい笑みに、映助の顔は一瞬で真剣なものに変わる。
「お姉さん、ワテと結婚を前提にメル友になってください」
「ごめんね、ケータイ持ってないから」
「ぐはっ……!」
あからさま嘘で断られ、映助は吐血して倒れ込む。
そんなアホは放っておいて、皆それぞれ注文を始めた。
「私は塩ラーメン一つで」
「半チャンセットを味噌で、あと餃子も頼んじゃいますよ~」
「わ、私は醤油……」
「じゃあ、僕も醤油ラーメンでお願いします」
素早く復活した映助も、豚骨ラーメンにチャーハンを頼み、それぞれの料理が出来上がるのを待つ。
その間に、先程のお姉さんがウーロン茶の入ったコップを皆に配った。
「はい、これはオマケね」
「いいんですか?」
水はともかくウーロン茶は、一杯三百円とメニューにも書いてあるのだが。
訝しむ宗次に、お姉さんは色っぽく微笑んだ。
「貴方達、特高の生徒さんでしょ?」
「分かるんですか?」
「うん、顔つきが違うもの。それに、普通の高校生はこんな時に外出しないわよ」
小型ピラーも破壊され、一時脅威は去ったとはいえ、いつまたCEが襲ってくるか分からない。
こんな状況で外出して、のんきにラーメン屋に入ってくるのなんて、特高のエース隊員だけという事だ。
「いつも私達を守ってくれてありがとう、これはささやかなお礼よ」
そう言って、一人一人の前に丁寧にコップを置いて去っていった。
宗次はその背中を見送り、ゆっくりと味わってウーロン茶を飲む。
「……何か、いいな」
「えっ、宗次君って年上好きっ!?」
「陽向ちゃん、乙女心も時と場所を選びましょうね~」
良い空気が台無しだと、焦る親友にツッコム心々杏も、少し嬉しそうだった。
「ちゃんと感謝してくれる人も居るんですね」
「う、うん……」
一樹と神奈も、嬉しそうに頷き合う。
「なのに、何でワテはモテんのやぁぁぁ―――っ!」
嘆き悲しむ映助の事は、皆揃って視界の端に追いやっていたが。
「へい、カレーそばおまち!」
「いただきます」
店長の差し出した器を、宗次はありがたく受け取って箸をつける。
コシの強い歯ごたえがある蕎麦に、醤油でマイルドな味となったカレーが絡み合う。
それが生涯でも一番美味く感じられたのは、店長の腕だけが理由ではなかったのだろう。




