伊賀七さんの天灯への思い <C121>
幕間の続きです。
今回は、ご隠居・伊賀七さんの日記から抜粋という風に執筆してみました。
文化十四年、水無月15日(1817年7月28日)。
別宅の主人・ご隠居様である飯塚伊賀七 日誌より抜粋
朝食が終わると、八兵衛が自分の守り仏の妙見菩薩を差し出し、これに健一様が憑依したという風に出来ないかと言い出した。
そうして実際にこの妙見菩薩を書見台にちょこんと乗せ、文机の横に置いてみた。
今まで、八兵衛の中に憑依した健一様に相対するとき、奉公人としての八兵衛を見据えておきながらその中にある健一様にものを申すという形であったため、話しをする私も、直接相対する八兵衛も大変緊張を強いられていた。
しかし、私が健一様にもの申すときには、八兵衛から少し方向をずらし、書見台にいる厳しい顔をした妙見菩薩に向かうことで、私も遠慮なく畏敬の念を発揮して丁重にもの申すことができるようになり、また八兵衛も怯えることなく控えていられるようになった。
憑依した健一様も、こうすることで随分話しがしやすくなったと喜んでいるようである。
また、この工夫によって夕食時に囲む囲炉裏の場所も、三方に載せた妙見菩薩を置くことで、全員やっと自然な位置に収まるようになったのだ。
八兵衛は本当に良い提案をしてくれた。
さて、今日はまずは昨夕の非礼を詫びることから始めた。
とは言え、今後の行動方針に繋がる伊能忠敬様への文を最優先にするためであり、これは仕方ないと思う。
そして、次に茶運び人形を見て出して頂いた書付への御礼である。
もう改善する所もなかろうと出していた茶運び人形に、まだまだ考える余地があることを指摘され、返す言葉もない。
とりわけ、素材の弱さを構造で補うという斬新な発想は私にはなかったものである。
蜂巣構造など、いわれてみれば思い浮かべることもできるが、これを実際に使うことで問題を取り除ける可能性があることに驚愕した。
ただ、この話しにだけ終始してはならない。
見てもらった茶運び人形も、藩への納入品2点のうちの1点なのだ。
まず、納入品はそのままにしておくしか無いだろう。
さて今日は、他では見ることがない私の自慢の製品、九段重ねの大型算盤を見てもらう。
この算盤の使い方は、いかに未来知識を持っている健一様もご存知あるまい。
もしくは、この算盤が遍く広まっていていれば別な意見を聞けることだろうと思っていた。
この算盤をじっと注視する八兵衛、ではなく中の健一様。
しばらくして、健一様はこの算盤の狙いや使い方について意見を述べた。
驚愕である。
それぞれの段に特定の意味を持たせ、これを相互参照することで効率的に計算できるということを的確に見抜いていた。
しかも、私が抱えているこの算盤の致命的な弱点、他の人には使いこなせないという点も含めてだ。
私は八兵衛が事前に何か漏らしたのかと疑ったが、八兵衛はそこまで重言できるほど、この算盤を見ていないし、ましてや使うところを見せたこともないので、それもまた違うようだ。
そして算盤を軽く使っての欠点を指摘された。
「それではこの算盤の特徴を生かすことができなくなるのではないか」
そう申し立てをすると、算盤の本質を考えることを提案された。
そして未来では算盤に替り一般的となった『電卓』という製品について話しをされた。
私には『電卓』という言葉の見当がつかなくて戸惑っていた。
健一様は『電卓』の電気ということについての説明に窮していたが、全てのことをご存知ないのも当然だと思う。
おそらく、私の認識できる技術ではないのだろう。
夕食後、算盤も計算機の一種であると断言されて、その操作を細かく分解して説明を行われた。
最初に算盤の指運びを手ほどきされたときのことを思い出しながら、足し算の操作を歯車で代用できることが図示されていく。
今回は基本中の基本という感じで、1桁と1桁の足し算の動きを逐一追いかけたが、歯車を一回転させると1桁分の足し算が行われる実感を持てた。
そうすると12桁の足し算は、軸を12回転させればできることになるのだろう。
そのように当たりを付けたところで、女中のトメが本宅からの伝言を持って現れた。
算盤に代わる歯車式の計算機については、まだ引き算・掛け算・割り算の動きをどうするのかの解明は終わっていないが、今回足し算の考え方を思い浮かべていけば、同じような考え方で作れるような気がする。
ただし、算盤のほうが歯車式より断然早く楽に思えてしかたがない。
にもかかわらず、電卓が算盤を駆逐したというのが信じられない。
このあたりについては、折を見て健一様に直接聞いてみるしかないだろう。
女中のトメがもたらした伝言は大した内容ではなかったが、計算機に没頭していた頭を引き戻す効果があり、話はなぜか「空に浮く・空を飛ぶ」技術のほうへ向いてしまった。
健一様が歴史の知識だけでなく、説明の限界はあるものの色々な技術にも通じていることは話を聞いていても段々見えてきている。
しかし、どの方面の知識・技術に明るいのか、苦手の分野があるのかは全く見えていないので、ここは話しを飛ぶに任せて色々話してもらい、そこで示唆された助言から私自身が深堀していくのが良いのだろうと考えた。
健一様は『天灯・天篭』という名前を出されて空に浮く方法について、説明された。
丁度夕暮れ時で、これから行灯に火でも入れようというときのことであった。
行灯に火を入れると、上に熱い空気が流れ出るようになる。
この事象一つをとらえて、そうなる原理について説明を加えたのだ。
そして、熱い空気の塊は周りの空気より軽いので上に行こうとすること、この空気を大きな紙袋に閉じ込めると紙袋に引っかけた紐で上に引っ張られるようになること、ある程度の大きさであれば人を持ち上げることもできるようになること、などを話された。
人を持ち上げる位の大きさのものは、熱気球と呼ぶようだ。
この話しには、大いに驚かされ、また関心を持った。
図に描かれた『天灯・天篭』を見ると、かなり簡単に作れそうなものであり、明日の昼間に作って浮かせる実験までしたいとのことだ。
材料は竹ヒゴと丈夫で軽い紙、蝋燭と紐程度で済むため、明日朝にでも準備ができそうだ。
私は図を見て、太くて白い筒が、船の帆が風一杯はらんで膨らんでいるような姿を想像した。
健一様の説明される製品で、指揮されるもので実際に作成するのは最初のものとなるが、多分上手くいくと思われる。
思わず白い帆が一杯に広がりながら空を登っていく姿を想像した。
『ああ、ひょっとすると、空を登っていくのは非業の死を遂げた里人の魂かもしれない』
もし昼間の実験が上手くいったなら、工房のみんなに声をかけて沢山作ってみよう。
本宅の皆にも声をかけて、沢山の『天灯・天篭』を空へ放ってみたい、皆と見送りたいと思った。
さあ、これで明日の朝の作業が楽しみになった。
基礎もない内に連続小説なんてものにいきなり挑戦しています。
どういったスタイルが執筆しやすいのかも含めてチャレンジと考えています。
なので、スタイル・視点ごちゃまぜになることはご了解ください。




