第94話 領都防衛戦
私は本陣で男爵の姿を見つけると、司教の袖を掴んだまま声を上げた。
「マクレ男爵様! 民衆の混乱が激化しています。演説のご許可をお願いします!」
「ここはエルゼスですぞ。エルゼスの民に訴える件で、私にエルゼス侯爵令嬢に許可を与えるような権限はありません。つまり……好きになされよ」
「ありがとうございます! ただ……演説の際には、男爵様にもご助力お願いしたいのです」
「フン、代わりに話せとでもおっしゃいますかな?」
「いえ、演説は私が責任をもって行います。男爵様には、風術で私の声を大きく増幅して頂きたいのです」
「声を大きくする!? 何をバカなことを! そんなこと、出来るわけがない」
呆れたように大きく頭を振る男爵に、だが私は真剣な顔を向け、言った。
「いいえ、出来るはずです。音は空気の振動です。あまねく気体を操る風属性の術師であるマクレ男爵様であれば、私の口から出る声という風の波を、大きく増幅することができるのではないでしょうか」
「しかし前例が……」
「これは高位の風術師たるマクレ男爵リオネル様にしか、お願いできないことなのです。どうぞ、お頼み申し上げます!」
分家でもない男爵位ながら三大公爵家で今の地位にある彼が、実際に術師としてかなりの実力者なことは……兄から聞いたことがある。切実に目を見つめて頼み込むと、司令はとうとう腹を括った様子で頷いた。
「ご令嬢がそこまで言うのであれば、試してみましょうぞ。何か適当に喋られよ」
「はい。ええと……本日は晴天なり」
私の声に合わせるように、男爵が低く呪文を唱える。すると私の口から出た吐息は、風となって壁へと吹き付けた。しかし肝心の音量はといえば、変わらぬままである。
「もう一度」
「はい。本日は、晴天なり」
「もう一度」
「はい。本日は……」
マクレ男爵の順応性は、さすがは前線で司令を拝命するだけはある。音という波を拡大するイメージを伝えつつ、そんなやり取りを数回繰り返した結果。ついに風術による声の拡大に成功したのだ。
この世界には、まだ拡声器的なものは存在しない。偉い人の演説だって、大声で叫ぶだけだ。そんな世界でものすごい大声を響かせられたなら、それだけで人々をビビらせる効果は絶大だろう。
「はははっ、とうとうやりましたぞ! これは、なかなか便利そうではありませんか。声を空気の振動と捉える発想は無かったが、大部隊の指揮にはもってこいの術ですな!」
「はい、さすがはロートリンジュ公爵閣下のご信頼も篤き重臣、マクレ男爵様でございますわ!」
ダメ元で頼んだのに、こんな短時間で成功させてくれるとは。私が心からの称賛を送ると、男爵は満足そうに頷いて言った。
「うむ。では鐘を鳴らしましょうぞ」
私は鐘楼に人をやり、非常事態を告げる鐘を打ち鳴らした。同時にこれは、領主からの言葉があるから中央広場に集まれという合図にもなっている。
私は司教、および男爵を連れてバルコニーに立つと、息を大きく吸い込んだ。
「皆の者、よく聞きなさい。わたくしは、ロシニョル家のフロランス!」
腹の底から声を出すと、まるで街全体に遠く響き渡るかのように、音が増幅されてゆく。慌てたようにわらわらと人が集まってくる広場に向けて、私は演説を続けた。
「今、わたくし達の街は魔族の攻撃にさらされています。
ですが、何も心配することはありません。
職人たちよ、生産を続けなさい。
商人たちよ、商いを続けなさい。
皆、それぞれの生業を続けなさい。
神の子フィリウスとロシニョル家の名にかけて、貴方とその大切な人々の命は、わたくしが必ずや守ると誓おう!」
そう力強く言い切って、私は司教を見る。私が小さく口角を上げてニヤリと笑って見せると、司教は自棄になったかのように叫んだ。
「ロシニョル家に祝福を!
エルゼスの民に祝福を!」
もちろん、マクレ男爵による音声増幅のオマケつきである。
「ロシニョル家、万歳!
エルゼス侯爵領、万歳!」
広場に仕込んでおいたサクラの声を皮切りに、やがて大きな万歳コールが群衆の間に巻き起こった。この様子であれば、しばらくは無駄な混乱を抑えることができるだろう。
私は手を挙げてしばし声援に応えてから、男爵と司教を伴い建物内に戻った。
「大見得を切ったが、民を虐殺から守るあてでもあるのかね? 現在の戦力差では、援軍到着まで持ちこたえられるとはとても……」
早くも絶望しきった顔で、エヴァンドロ司教がぼやく。
「ご安心下さい。いざとなれば私を捕虜として差し出し、民には手を出させぬよう交渉する予定です」
私が力強くそう言い切ると、マクレ男爵はさも面白そうに口角を上げて言った。
「ほう、その心意気やよし! さすがヴィルジール閣下のご令孫、女子であれどなかなかの胆力の持ち主であられますな」
「もっとも、ただで捕まる気はございませんわ」
「その通り。では、我が令嬢を守るため、我ら騎士は死に物狂いで戦うと致しましょうぞ」
「頼りにしておりますわ、マクレ男爵。でも……」
私と同じ年頃の娘がいるという彼の言葉を思い出して、私は付け加えた。
「くれぐれも、御家族を悲しませることのないように。……お気をつけて」
だが男爵はニヤリと笑うと……立派に跳ねた口髭の端を指先で捩り、言った。
「私の家族は、騎士の名誉を存じております」
「そう……ですね、出すぎたことを申し上げました。どうぞお忘れ下さい」
「ええ、忘れましょう。しかしながら……私はロートリンジュ公爵に剣を捧げし身なれど、貴女のために戦うのも悪くない気がして参りましたぞ」
そう言い置くと。マクレ男爵リオネル卿は、片手を上げて立ち去って行った。
*****
男爵達と別れたのち。私は野戦病棟内にある仮設の執務室に戻ると、倒れ込むように椅子に座った。すかさずリゼットが差し出したショールに身を包み、温かい香草茶で暖をとる。
そうしてようやく、私は自分がずっと小さく震えていたことに気が付いた。
──矢面に立つということが、こんなにも重圧を伴うことだなんて。おにい様はずっと、こんなものを背負って戦っていたのね。
兄の引きこもる部屋の扉を開けようと決めた、あの日。『兄も辛かったのだ』なんて……大人ぶった私は、上から目線で考えていた。でも結局、私は兄の抱える責任も、重圧も……何も分かってはいなかったのだ。
「お嬢様、ご立派でございました」
「ありがとう、リゼット。でも私は、そう言ってもらえるような人間ではないみたい」
──本当は今すぐにでも逃げ出して、おにい様の背中に隠れてしまいたい。
私が震える拳をぎゅっと握って皮肉げな笑みを見せると、リゼットは真剣にこちらを見詰めて、言った。
「私めは、ずっとお嬢様のお側におります」
「リゼット……ありがとう。危険なことに巻き込んでごめんね。でも貴女が居てくれるから、私はまだまだ戦えるわ」
私は残りの香草茶を一気に飲み干すと、椅子から立ち上がった。いつのまにか、続いていた震えはすっかり止まってしまっている。
胸を張っておにい様にまた会うためにも、今できることを全力でやりとげよう──そう決意した私は……病棟へと戻るべく、執務室を後にした。
そして、その翌日。
領都ピエヴェールは、陥落した。




