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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
十章

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第88話 救護幕舎の惨状(1)

 紅や黄に色づいた葉が、ひらひらと舞い落ちるなかで。私は城から出陣する兄の、最後の見送りに立っていた。


「ご一緒できないのがこんなに不安だなんて……思ってもみませんでした。目の届くところに居てくれさえすれば、おにい様は私が絶対守るのに……」


 そう言って私は兄の利き手をとると、唇を噛み締めた。だがそんな私に対し、兄は静かに口を開く。


「実はぼく、これで良かったと思っているんだ。近くにいた方が安心かなとも思ったけど、やっぱり前線よりは領都の方が安全だろうから」


「おにい様、絶対に、ぜったいに、帰ってきて下さいね。どうぞ無理はしないで……約束です」


「ああ、今度こそ必ず、約束は守るよ。……じゃ、そろそろ行かなきゃ」


 兄は空いた方の手で私の頭を撫でると、そっと私の手をほどいた。



 *****



 兄と別れた私は急いで城の屋上にある物見台まで駆け上がると、移動してゆく兄の軍勢を見送った。


 今の兵力は、郷士や傭兵を中心として約五百足らず。しかし移動しながら常設の警備兵や各村からの徴募兵と合流し、最終的な戦力は二千ほどになるだろうか。


 ベルガエ騎士団が五百、西隣のロートリンジュから計千五百。さらにあと四日もすれば、南隣のボルゴーニュから千の増援が到着するだろう。それで約五千というところか。


 今のところ渡河の準備をしている敵兵力は、下級の魔物を中心に約二千という報告がある。領都に守備兵百余を残しているが、万一ボルゴーニュの参戦が遅れてもこちらは約四千。もとより守備側は有利だし、そこまで不利な戦況になることはないはずだ。


 とはいえ魔族と人間との戦力差は、単純に数で比較できるものではないようだ。それにまともに戦術の勉強をしたことがある訳でもない私の予測なんて、考えるだけ無駄かもしれないけれど──。


 とりあえず、今は静観しているらしい他のゲルマニア諸侯が動かないことを……全面戦争ではない、紛争レベルで終結してくれることを、願うだけだ。


 ──そんなことを考えながら。

 私はいつまでも、移動してゆく部隊を見送っていた。



 *****



 開戦から三日がたつと、徐々に領都の壁内に運び込まれてくる負傷兵の数が増えてきていた。教会の設備とそれに隣接する集会所を解放して用意された臨時の野戦病棟には、貴族やそれに準ずる階級の者しか入れない。


 そんな状況で傭兵や平民から徴募された一般兵たちは、ところ狭しと建てられた救護用の幕舎(ばくしゃ)、つまりテントに収容されていた。まあテントとはいえひと張りにつき二十数名が休める大型でしっかりとした造りのものだが、問題は衛生関連を始めとした水場を持つ設備を個別に伴っていないことだろうか。


 この一連の設備の責任者は、ベルガエ騎士団所属であるティボー子爵フェルナン卿である。彼は治療呪文を扱える水属性の術師であり、特に治療に特化した専門家だ。


 ベルガエ騎士団は、内部に衛生兵的なポジションである治療師隊を抱えている。そんな彼らは、軽傷の兵士はその場で癒して戦場に戻してしまう。だが現場での完治の難しい重傷者たちはこの野戦病院へと後退し、きちんとした治療を受けるのだ。


 だがそんな術師達の治療を受けられるのは、貴族のみ。かなり手が空いているときならば、ようやく準貴族の騎士に順番が回ってくる程度だろうか。


 だが治療呪文の利用を前提とした医療技術しかないこの世界で、呪文の恩恵を受けられないということは──。


 幕舎の中の状況は、今どうなっているのだろう。フェルナン卿から病棟内部への立ち入りを禁止されている私は、中の様子を想像して胸を痛めた。


 前線に出られないのなら──せめてエルゼス領民の兵士たちの看護くらいはやらせてくれと、何度頼み込んだだろう。だがその度に、すげなくお断りされていた。ならば相手が根負けするまで、頼み続けるだけだ。


 私はヴァリオラ村から連れてきた看護師のうち二名と護衛騎士を伴い、今日こそはと滞在中の領主館からすぐ近くにある野戦病院エリアへと向かっていた。目指すは貴族だけが入れる教会内の施設だったが……だが建ち並ぶ仮設病棟を抜けた先で立ち話をする貴族達を見つけて、私はにこやかに声を掛けた。


「これはティボー子爵様にマクレ男爵様、ごきげんよう。昨日もお伝えしました通り、病棟で何かお手伝いできることはございませんか? わたくしの配下はみな看護の専門家ばかりです。きっとお役に立てるはずですわ」


「いえいえ、わざわざフロランス嬢のお手を煩わせる必要など何もございませんよ。平民の世話などご令嬢のなさることではありますまい。余計なことはなさらず、どうぞ我らを信頼してお任せ下さい」


 ティボー子爵フェルナン卿は、騎士というよりは先生と呼びたくなるような雰囲気を持つ四十がらみの紳士(イケオジ)である。だが彼はそう言って、有無を言わせぬ笑みを浮かべた。


「しかしながらわたくし、大公殿下より領都の守備にあたれとご命令頂いておりますの。何もやらないのは何だか申し訳なくて」


「いや、あれはものの例えでありますよ! 私の方へは大事なご令嬢を必ずやお守りするようにと、殿下より厳命頂いておりまして。ご令嬢を危険に近付けたとあっては、私が殿下よりお叱りを受けてしまいます」


「では……せめて我が領民を慰問することは可能でしょうか? エルゼス兵が収容されている幕舎の視察をご許可願いたいのです」


「その必要はありません。ご令嬢がご覧になったところで、ご不快になられるだけでしょう」


「どうだろうと構いません。お願い、致します」


 いつになく真剣な表情で詰め寄る私に、子爵は困惑したような顔を向ける。だがやがて小さくため息をつくと、やれやれといった様子で首を縦に振った。


「まあ……そのくらいであれば。一度現実をご覧になれば、ご令嬢の慈悲の心も萎えゆくことでしょう。ただし護衛を連れて行くことを、ゆめゆめお忘れなきように」


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