第84話 斑点病を名に持つ村(1)
翌朝──。
早々に朝食を終えた私は運動服に着替えると、厩舎へと向かった。あまり時間のない状況だし、馬車より騎馬が良いだろう。
城に住み込みの若い騎士達は私の運動服姿にすっかり慣れてしまっていて、ズボンに膝丈巻きスカートな姿でスタスタ歩いていても、もう動じないでいてくれる。そんな彼らと挨拶を交わしながら、ようやく厩舎が見えた頃。私は想定外の人物にかち合って、ぎょっとして脚を止めた。
来るなら先に連絡して下さい! ……とは思うけど、気軽な連絡手段のないこの世界では、アポ無し突撃がけっこう主流なのだから困りものだ。
「でっ、殿下、ごきげんうるわしゅう……」
「なっ、なんだ、その男のような身形は……」
女性用の運動服を初めて見たのだろうか。仮面の王弟殿下は驚いたような声を上げて私を上から下まで観察した後、慌てたように顔を逸らした。
「不躾に見てしまってすまない! だが、その服装は……」
「これはロマーニアの貴族女性が着用する、婦人用の運動服でございます。かつて聖女候補として剣を振るった、母の形見ですの」
「なるほど、お母上の……そういえばロマーニアでは、貴婦人も剣を取り戦うのだったな。しかしここはガリアだ。ご令嬢がそんなものを着て、一体何をしようというのだ?」
「……殿下には、正直に申し上げます。これからある村へ視察に行くため、動きやすい服装をしております」
「いつバルデンが動くか分からないと昨日伝えただろう? 令嬢の行動は感心しない」
「その行き先が、ヴァリオラ村だと言っても?」
「斑点病村だと!? ……どういう意味だ」
「もともと当領では、一部の領民を他領から購入して補っております。これまでは借金奴隷を中心として参りましたが、最近方針を転換しまして……斑点病の罹患者を集めるようになりました」
「なっ、人身売買、ではないか……」
「殿下はご存知ではありませんか? 斑点病に罹ったことで捨てられ満足な治療を受けられずに亡くなる子供たちや、我が子を捨てられずに村八分となった家族たちを……。当家ではそんな家族に支度金を渡して移住を斡旋したり、捨てられた子供たちを引き取っているのです」
「なっ!?」
もともと手離したいと考えられている存在であるため、斑点病の子供は借金奴隷なんかより何百倍もリーズナブルだ。そして人身売買は、この国では残念ながら合法である。それだけ言うと、非人道的に聞こえるけれど──。
「しかし、子供まで金で取引するなど……まるでモノ扱いではないか……」
──法術師とは、神に選ばれし存在である。
そんな選民思想はデフォルトの貴族にとって、平民はモノ扱いして当然というのが常識だ。……だがこの国の王弟殿下は、悲しそうにその仮面で覆われた顔を伏せた。
「ですが代金を支払うことなく連れ出せば、領民を誘拐したとしてその地の領主と揉めるもとになりますから。悲しいことではありますが金銭が動いた履歴があれば、法的に問題のない状況になります」
「……」
仮面の下で僅かに見える口許を強ばらせたまま、殿下は押し黙った。荒事の多い生業や厳めしい外見に似合わず、他人の痛みがわかる人なのだろう。
……王家の中枢にこういう人がいるのなら、この国もなかなか捨てたものじゃない。私は内心希望を感じながら、もう少し手札を見せてみることにした。
「……私はその村で患者の治療を行いながら、大きく二つのことを行っています。ひとつは斑点病の予防法の研究、もうひとつは看護師の育成です」
「予防だと!? それに看護……師、とは?」
「実際に御覧頂いた方が話は早いかと存じますが、本日の御予定はいかがでしょうか?」
「特にない。ぜひ、視察させてもらおう」
「幸甚の至りに存じます」
「では私は今から、そなた……いや、貴女の護衛騎士だ。そうだな、スタンとでも呼んでくれ」
王族からの突然の提案に、私は慌てて手を振った。
「えっ、そんな、おそれおおいことでございます!」
「しかし公に王族が訪問したと記憶されるのは、まだ時期尚早なのではないか?」
「確かに……おっしゃる通りでございます」
「理解したなら、口調を改めたまえ。一介の護衛騎士にご令嬢がとる態度ではあるまい」
そんなこと言ってる貴方こそ、口調が高位貴族のままですよ! ……と、大声で言ってやりたい。ほんと。
「でっ、ではせめて、他家からいらした貴族階級の騎士様という設定ではいかがでしょう? そもそも当家の騎士とは服装からして違い過ぎますし」
今日の殿下の服装は華美なものでは全くないが、とっても織り目や染色の質が良いものだ。さらにその堂々たる佇まい……さすがにただの護衛騎士ではないことは、村の子供にだって分かるだろう。
「そうか……了解した。では、そなた……いや、君と常勤の護衛一名、そして私と護衛一名の、計四名で向かうとしよう」
「畏まりました」
「ほら、口調」
「あ……分かりました。では私からもひとつお願いしてもいいでしょうか?」
「なんなりと、我が令嬢」
「では、仮面を外して下さい」
「な!? それは……」
あからさまに動揺する殿下に、私は安心させるように微笑みかける。
「大丈夫ですわ。その村には斑点病の既往歴がある者とその家族しかおりません。そもそも最初の受け入れの際から説明を徹底している関係上、エルゼス領民のほとんどの者が、一度完治したら二度と感染しないという斑点病の特徴を理解しております」
いきなりトップダウンでお触れを出しても、浸透させるのは難しい。にも関わらず短期間での意識改革に成功したのは、小まめに教会で開催した草の根ワークショップの効果だった。
「まさか、そんなことが……」
「むしろ仮面なんて着けて出歩いていた方が、不審者ですわ」
「ふ、不審者……」
ちょっぴりショックを受けたようにのけ反る殿下に、私はにこやかに言った。
「本日の貴方は一介の騎士、スタン卿でいらっしゃるのでしょう? さあ、仮面を外して下さいませ」
「……了解した」
渋々といった様子で外された仮面の下から出てきた顔は、元々綺麗だが厳つめな顔立ちの上に、しっかりと眉間に皺が寄せられている。彼は大事そうに懐に仮面を仕舞うと、軽く後ろに流されていた長めの前髪をくしゃくしゃと手櫛で下ろした。でもまだ落ち着かない様子で、周囲に視線を巡らせる。
「これで良いか……?」
「はい!」
私は努めて明るく答えると、ニッコリと笑った。殿下の眉間に深く刻まれている皺が、僅かに弛む。
「では、準備が整い次第、出発しましょう!」




