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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
九章

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第80話 ワークショップは教会で

 あれから半年がたち、私は十五になった。二十歳を迎えた兄は爵位を継承し、正式にエルゼス侯爵としての全執務をとっている。


 生きていく上で必需品の塩と主食を共有したことで、移民と先住民との壁も徐々に薄くなっていた。私が企画した合同の芋の収穫祭も大成功で、交流を増やす一助となったようだ。

 そんなこんなで、家臣の役人達による私の評価は『困った社長のワガママ娘』から『縁故(コネ)採用だけど結構使える社員』くらいにはなれたようである。


 またアントワーヌ伯爵から改良型の望遠鏡と顕微鏡が送られてきたことで、マラリア原虫の存在はより確実なものとなった。さらに蚊の体内からも、同じマラリア原虫を発見することに成功したのだ。

 おかげで私は兄の完全な説得にもようやく成功。本格的に時間と予算をかけて、蚊の対策に注力できるようになっていた。


『悪魔は夜にやって来る』


 そんなキャッチフレーズのもとで、私は直接の表現を避けつつハマダラカ対策のプロモーションを始めた。その結果、夜寝るときは蚊帳(かや)に閉じこもって悪魔から身を守り、さらに魔除けのお香という名の蚊取り線香を焚く習慣を根付かせることに、成功したのである。


 なにそれ悪魔とか胡散臭すぎる、と、思われるかもしれない。だが定期礼拝でちょっとエヴァンドロ司教にオススメしてもらっただけで、あっという間に流行してしまった。教会の影響力恐るべしとは、このことであろうか。


 バレリオ助祭は最近妙に積極的に動く司教を少し不審がっているようだが、司教が自ら行った活動を否定するほどの権限は、助祭にはないようだった。


「──というわけで、先ほど取り分けた子房をしっかりと乾燥させたものが、こちらになります」


 エルゼス南部にある、とある教会の一室。私は近隣の村から集まった様々な年代のご婦人方に囲まれて、蚊取り線香作りのワークショップを開催していた。私が持参したドライ除虫菊(ピレスラム)を石臼で挽いてみせると、ご婦人方も次々と真似をする。


「ピレスラムを粉末にできたら、次に糊を用意します。糊の作成には、以前の制作会でお伝えした芋粉を使用します」


 私は片栗粉と水を熱してデンプン糊を作ると、除虫菊の粉末に練り込んだ。それを細長い形に固めて乾かせば、蚊取り線香の完成である。


「ではあとは乾くのを待ちながら、お待ちかねのお茶の時間にしましょう!」


 そう言って私がお菓子の入った袋を取り出して笑うと、歓声が上がった。エルゼスの各地で開催しているこのワークショップの後には、いつもこうしてティータイムを設け、地元の情報収集をしているのだ。


 季節は穏やかな春の昼下がり。地域の集会所も兼ねている教会から備品のカップを人数分借りて、皆でテーブルを囲む。小さいが甘く可愛い菓子を摘まめるこの会はかなり好評で、毎回多くの人を集めていた。庶民が砂糖を使った菓子を食べる機会なんて、そうそうないからである。


 人間関係だけでなく、インフラの不備や不審者情報、疫病の発生状況、そして作物の出来具合など。未婚の女子から主婦層、そして高齢者まで、日々の不満をどんどん吐き出してもらう。するとみるみる生の情報が集まって、優先して解決すべき問題点が次々と見つかった。


 それに大きな利点は、もうひとつあった。それは地元女性達からの教会への信頼を、私という個人、そしてロシニョル家という家名にまで、そのままコピペすることに成功したのだ。


 実はこのお茶会、私のアイデアではなく、入植の初期におばあ様が実践していた方法らしい。大柄で威圧感の塊のようなおじい様では、住民に心を開いてもらえるものももらえないだろう……そう言って危険だと止めようとするおじい様を何度も説得して、このお茶会を始めたということだった。


 そこにワークショップを加えたのは私だけれど、礎を作ってくれたのは祖母である。私が生まれた直後に亡くなったのだという祖母の記憶はないけれど、どんな人だったんだろう……。


 私は心の中でおばあ様に感謝しながら、今日もお茶会を楽しんだのだった。



 *****



 お茶会を終えた私が荷物をまとめていると、バレリオ助祭に声をかけられた。そういえば助祭、この教会の司祭も兼ねているんだっけ。


「お疲れ様です、フロランス様。本日も大盛況だったようですね」


「これはバレリオ助祭様、いつも民の集いの場をご提供頂きまして、有難う存じますわ」


「いえ、ご令嬢が各地の教会でお茶会を開催されるようになってから、礼拝にも通うようになった信者が著しく増加しております。フィリウス教の伝道師の立場と致しましても、本当に有難いことでございます」


「教会への一助となりまして、本当に光栄ですわ」


「実のところ、初めはご令嬢が聖典の教えに無い表現を民の前で使われるところにいささか抵抗を感じておりましたが……布教には分かりやすさも大切であると、考えさせられた次第でございまして。さらにはご令嬢が熱心に教会にいらっしゃる影響か、このところはエヴァンドロ司教猊下も教会の業務に真面目に取り組んで下さり助かっているところです」


「まあ、猊下は初めてお会いしたときから、偉大なるお方でしたわ」


「そう、ですね。……これは一本取られたようです」


「バレリオ助祭様にも、エルゼスの民の心の拠り所として日々真摯にご活動頂き、本当に感謝しておりますの。このように危険な辺境まで助祭様のような立派なお方に来て頂けるなんて、なんという幸運でしょう。これからも、エルゼスをよろしくお願い申し上げます」


「これは……はは、承知致しました」


 そう言ってバレリオ助祭は、少しばかり照れたように頭を掻いた。ううむ、融通の効かない真面目な働き者タイプの人って今回の件ではけっこう厄介な存在だと思っていたけれど……結局は悪い人ではないのよね。

 本山に異端バレしてもこの人は連座の対象にならないよう、気を付けとこう……。


 真面目な人を誤魔化していることにちょっぴり罪悪感を抱きつつ、私は教会を後にした。



 *****



 そんなこんなで忙しくしていた私のまわりで、季節は恐ろしい速さで過ぎ去って行った。再び夏がすぎ、そして秋の初めを迎えた頃。あとは収穫を終えたら先に王都で旧友と過ごしているおじい様に合流しようと計画していた、あるお昼時のことである。


 季節はお外ランチにちょうど良い季節ということで、私と兄は城の屋上に出したテーブルセットを囲んでいた。城山の一部は紅葉に染まり、抜けるような秋晴れも相まってカラフルな景色を描いている。


 そんな絶景を眺めながら、私が芋のポタージュを口に運んでいると。些細なことをふと思い出しただけといった雰囲気で、兄が言った。


「そういえば、ベルガエ騎士団の次の任地がエルゼスに決まったみたいだよ」


「ええ!? ここのところは南東方面を抑えていたのでは……」


 私はつい驚きの声を上げて、兄の方へと視線を向けた。

 ベルガエ騎士団といえば、ベルガエ大公……つまり例の仮面の王弟殿下の率いる精鋭部隊のことである。彼らはその時々で最も戦争に近いとされる地域に派遣されていたはずだ。つまり──


「もしや、魔王国(ゲルマニア)の動きに何か!?」


「ああ、それほど緊急って話じゃないんだ。南東方面が落ち着いたから、なら次に一番危ういのは北東、つまりエルゼスだろうって感じみたいだよ」


「それはそうですが……」


 確かにエルゼスは、もうずっと国内でも一二を争う危険な地域と言われ続けている。でもこのタイミングでよりによって赴任してくるのがベルガエ騎士団だなんて、本当に大丈夫なのだろうか。


 ベルガエ騎士団は五百余騎の精鋭からなる、この国一番の騎士団である。この国一番がたったの五百と聞くと、少なく感じるかもしれない。だがうち百人余りが貴族の子弟、つまり法術師であり、一般の徴募兵と比べたら一騎当千の実力者達である。残る四百はその従者にあたるが、いずれもよく訓練された職業軍人の兵士達だ。


 それが特にきっかけもなく、動くことがあるのだろうか? 別に南東方面だって、特に状況が変わったという話も聞かないし……。


「そういえば王都に向かう時期のことだけど。今年の収穫はぼくだけで十分だから、フロルは先におじい様に合流してはどうかな? 大伯母さまから早く会いたいってお手紙も頂いていることだしね」


 そう言う兄の様子に、特に変わったところは見られない。だがうちのおにい様って、けっこう感情を隠すことに長けているタイプなのだ。このタイミングで私を遠ざけようとするなんて……少し不自然だろう。


「いえ……まだ少しやりたいことが残っていますから、それらが片付いてから参りますわ」


「そうなんだ。ぼくに手伝えることがあるなら、何でも言ってね」


「ありがとうございます」


 ──やっぱり、おかしい。

 私は兄に負けじと平静を装いつつも、内心は疑念を残したまま……それでも昼食はぺろりと平らげたのだった。


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