第79話 蒼虹の結晶
──あれから十数日後。
注文していた品がようやく届くと、兄と私は早速城内に用意している工房へと向かった。届けられたビスマスは、鉛色のとけた丸モチみたいな金属の塊である。
「これが……きれいな結晶? 確かにちょっと虹色っぽいところもありますけど……」
「ああ、一回融かして再結晶するんだよ」
そう言って兄は蒼鉛を坩堝に入れると、点火で加熱する。たちまちドロドロに融けた銀色の液体を涼しい場所に置いて粗熱を取ると、箸のようなものを使って容器からひょいひょいと結晶を取り出し始めた。
「えっ、これ……こんなになるの!?」
銀色の器から次々と取り出されたものは、同じものが一つとして存在しない……幾何学的なデザインを持つ、美しいアート作品たちである。だが美しいのは、デザインだけではない。金属特有の光沢を持つ蒼の中に、虹の色彩がゆらめいているのだ。
「元はただの鉛色って感じだったのに、なんでこんな綺麗な色に……」
「ああ、これは表面を被っている酸化膜のせいなんだ。干渉色……ええと、つまり幻の色だね」
「へえー……これ、触っても大丈夫ですか?」
私は思わず感嘆の声をもらしながら、恐々と指を近づける。
「いいよ。毒とかはないけど、まだ熱いから気を付けて」
小さな結晶のひとつをそっと持ち上げると、私は目に近付けるようにして、それをしげしげと眺めた。深い青の階段に溶けるように拡がる虹の色彩は、まさに幻影かのように……見る角度で全くその表情を変えてくる。
「きれい……」
目を離せないまま思わずそう呟くと、兄は笑った。
「気に入ってくれたみたいで何よりだよ。一個いる?」
「いいんですか!?」
「もちろんだよ。どれがいい?」
「ええと……」
どれも美しい結晶たちの中から、さんざん悩んだ挙げ句。私はようやく小ぶりだが目を引く逸品を探し出して、満足して笑った。
「これっ。これがいいです!」
兄の了承を得て私は北側にある窓辺に駆け寄ると、差し込む光で結晶を照らした。薄暗い部屋の奥とは違い、午後の柔らかな光がいっそう鮮やかな色彩を描き出している。
くるくると回しながら飽きもせずに眺めていると、苦笑しながら兄が言った。
「君と同じくらい猊下も気に入ってくれるといいんだけど」
「これなら絶対に大丈夫ですわ!」
「じゃあ今日は護衛を付けるから、猊下のところに持って行ってくれるかな」
「はい!」
*****
最高の出来といえる中でも、タイプの違う結晶を三つ選んでラッピングすると。私は早速、ピエヴェールの司教館を訪ねた。
「これは素晴らしい! この奇跡のように美しく連続する幾何学形に、天上の虹を思わせる輝き……これほどの物は見たことがないぞ!」
兄の作品を褒められて、私は思わず満面の笑みを浮かべた。とはいえ今すぐ本題を頼んでしまうのは早計だろう。まずは純粋にこの結晶を気に入ってもらうことが先決だ。
「猊下は先日、エルゼスは鉱山があるわりに珍しい石の一つすら手に入らんと嘆いていらっしゃいましたでしょう? 猊下に少しでもこの地を気に入って頂けるよう、兄と共に一生懸命探しましたの。きっとその願いが天に届いたのでしょう」
「うむ、令嬢の感心なる行いは、きっと父なる神にも届いておるぞよ。今後も励むとよい」
「有難きお言葉に存じます」
兄と相談した結果、この石はエルゼスで産出した天然物としておくことになった。いちおう天然でこの形の結晶が産出する場所も、遠い国にはあるらしい。どうにも詐欺師になってしまったような気分だが、まあこのぐらいのハッタリは許してもらおう。
とりあえず今日は、このぐらいにしておこうかな……そう考えて、退出するタイミングをうかがっていたのだが。
「で、そなたはわしに何を求めておるのだね?」
司教はどっかりと深くソファに腰かけると、ひじ掛けにもたれてこちらに目をやった。ニヤリと深く口角を上げ、言葉を続ける。
「多額のお布施を積む者は、往々にして何か望みのある者よ。急にこんな物を用意しておいて、何も目的がないとは言うまいて」
そういや司教は、敗れたりとはいえかつてあのフィリウス教の総本山で権勢を争った人物である。ただの自堕落なおじさんではないということを思い出して、私は言葉を選びながら慎重に口を開いた。
「これは……ご賢察にございます。実は偉大なるエヴァンドロ司教猊下から我が領民に、とある香草の栽培を奨励して頂きたいのです」
「ほほう、香草とな? そんなもの、エルゼス侯爵の名の下に奨励すればよいではないか」
「その香草を『魔除けに効く』としたいのです。それが猊下のお言葉であればこれ以上ないほどの信頼をもたらし、民たちは熱心に栽培に励むでしょう」
「そんなもの、栽培させてどうするのだね? どうせ本当に魔除けになるわけでもあるまい」
「実はその香草からは東大陸で使われているような練り香を作ることができるのですが、その香を焚くことで煙が虫除けになるのです。猊下は蚊はお好きですか?」
「そんなもの、嫌いに決まっておるだろう」
「そうでございましょうとも。でもエルゼスは湿地の多い土地がら、蚊が多いのです。わたくし蚊が大嫌いなもので、その練り香をエルゼス全土に普及させたいと考えておりますの」
そこまで言ってから、私は困ったような表情を浮かべた。
「しかし空腹を満たすでもない草を栽培させるのは簡単なことではなくて……。もし可能であれば毎週末の集合礼拝の後にでも、教会で種を配って頂けますと理想が叶うのですが。……いかがでしょうか?」
「なんだ、虫が嫌だとは、年頃のご令嬢らしく可愛らしい我が儘ではないか! そのくらいお安いご用ぞ。このわしに任せるがよい。その代わりにまた良い結晶が手に入ったら……な?」
「もちろんでございます。お任せ下さいませ」
こうして意外に話が分かる司教と表面上だけでも利害が一致して……私達は、不敵に笑い合ったのだった。




