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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
八章

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第72話 芋→片栗粉→水飴

「この季節に瘴気病(マル・アリア)が多く出ている村へ行くなんて、ぼくは反対だよ」


 いつも優しい兄はそう言って、珍しく眉をひそめた。


 アントワーヌ領から戻って三日が過ぎた、朝食の席でのことである。季節はそろそろ夏の盛りを迎え、北東ガリアに位置するここエルゼスでも汗ばむ日が続いていた。


 そんなエルゼスでは、瘴気病(マル・アリア)患者の発生数もピークを迎えている。実は多くの蚊は、三十度を越えるとバテてしまうらしい。そのため日本の真夏は逆に蚊が減ったりもするのだが、真夏でも三十度をめったに越えないここエルゼスでは、まさに今が流行の盛りなのだ。


 そこで血液サンプルを採取しにミアやカミル達の住むアヴォン村へ行きたいと兄に伝えた、その反応がこれだったのである。


「大丈夫ですわ。これまでだって何度も村へ行ってますけれど、気を付けておりますから感染していないでしょう? 行ってはいけないなんて、今さらではありませんか」


「それはそうだけど……悪い空気の正体が蚊だという君の話が本当だとすれば、今はまさに危険な時期でしょ?」


「でも芋や製塩の担当者たちだって村に通っていますけど、発症していませんよね? 悪い空気は夜行性と思われますから、昼間に滞在しただけなら問題ありませんわ」


 マラリア感染の原因になる『蚊』は、実はハマダラカという羽に斑点のある小さな蚊、ただの一種類だ。ハマダラカは夜行性であり、吸血は主に深夜、人が寝ている間に行われる。だからちゃんと分かってさえいれば、色々と対策ができるものなのだ。


 まあこの世界の感染症が地球と全く同じ進化を遂げているとは限らないから、あまり思い込みで動くのは良くないんだけど。


「確かにそうだけど……」


 私は視線に一歩も譲る気はないという意思を込めて、兄の顔を見る。すると兄はため息をつき、困ったように頭を掻いた。


「じゃあ解った。ぼくも行く」


「だっ、ダメです! 本日の業務はどうなさるのですか!? それにもし、おにい様に何かあったら……」


 母が感染したのは、瘴気病(マル・アリア)を調査する父について行ったから……そんな祖父の話を思い出して、私は慌てて手を振った。


「じゃあ君が行くのもなしだ」


 そう言って渋面を作る兄に今度はこちらが根負けして、私はうなずいた。


「……分かりました。充分に対策してから参りましょう」



 *****



 朝食の後。

 私達は村へ訪問を先触れする使者を出してから、身支度を整えた。目の細かい布で仕立てた長袖シャツをきっちり着込み、うなじをスカーフでふんわり被う。最後に蚊に効くかは分からないが、一応虫除け効果があるというミントの精油を少し肌にすりこんでおいた。


 真夏の服装にしては厚着に思えるかもしれないが、まだ時刻は午前七時を過ぎたばかりで、今は程よい気温である。かなり早朝からの訪問に思えるが、田舎では日の出と共に活動を始めるのはごく普通のことだ。


 村に到着すると、先触れを受けた村長ほか数名の村人が入口付近で待ってくれている。そこにカミルとミアの姿を見つけて、私は小さく手を振った。


「これは若さまにお(ひい)さま! お待ち申し上げておりました」


「急に訪問してすまない。先触れで伝えた通り、本日は瘴気病(マル・アリア)患者の調査に来たんだが……案内してもらえるかな?」


「はい、かしこまりましてございます」


「ほらフロル、行くよ」


「あ、はい!」


 兄と村長が話している間に……ミアたちと以前教えたアルプス一万尺の替え歌で遊んでいた私は、慌てて村の奥へと進む兄の後を追った。



 *****



 発熱のある人、治まった人、そして比較用に未発症の人……と分類しながら結構な数のサンプルを集めて、私達は村長の家に戻って来ていた。朝早くから活動を始めたおかげで、まだ正午の鐘までかなりの時間が残っている。


 私は村長家の自家製らしい爽やかな香りのする香草茶を口にふくむと、ほっと一息ついた。慌ただしく作業してかなり疲れたけど、これだけあれば何らかの成果は得られそうである。


「ありがとう、おかげで充分な数の標本が集まったよ」


「いえ、若さまのお力になれてなによりでございます。ところで血を調べたら呪いの状況が分かるとは、いやはや、驚くばかりでございますな」


 感心したようにうなずいている村長に、私は持参していた布包みを差し出した。


「少ないけれど、これは日頃の協力へのお礼よ。前にもらった芋から作ってみたの」


「これはこれは有難ぇことでございまして……拝見してよろしいでしょうか?」


「ええ」


 私がうなずくと、村長は小さな包みを開く。すると中から出てきたのは、ジャムを入れるような白い小さな壺だった。だがその中身は透明で、淡い蜜のようにほんのりと褐色がかっている。


「これは……?」


「これはね、水飴というの。芋から作り出したハチミツのようなものね」


「芋から……ハチミツじゃって!? いえ、ですと!?」


「よければ、少し舐めてみて」


 私が小さな木のヘラを渡すと、村長は恐る恐る水飴を掬って口に含む。


「こりゃ、なんと甘ぇ……」


「これは芋から作るのだけれど、ハチミツと同じで少量でもとても栄養価が高いの。だから満足な食事が難しい重症者でも、これなら栄養を摂りやすいのではないかと思うわ」


 この国でハチミツや砂糖が薬代わりに使われているように、昔の日本では水飴も滋養をとるための薬代わりとして使われていたらしい。それを思い出して、瘴気病(マル・アリア)の重症者のために持ってきてみたのだ。


「なるほど……」


「でね、製塩法を教えてもらった代わりと言ってはなんだけど……よければこの水飴の作り方、教えてあげるわ。食糧に余裕があるときにでも作ってみてちょうだい」


「そりゃあ願ってもねぇことです!」


「ではご夫人と台所、そして芋を数個借りられるかしら?」


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