第69話 ミクロの眼鏡とマクロの眼鏡
「──と、このように、凹レンズを通過した光はここで結像します。すると見える画像は、正立像になるのです」
そう言いながら、私はレンズの断面図っぽい図形に、光を表す何本かの直線を書き入れた。これは中学の理科で習った、正立とか倒立とか、実像とか虚像とかを作図する……アレである。
あらかじめ古い記憶をがんばって掘り起こして用意しておいた資料を交えながら、私は説明を行っていく。しばらく黙って聞いてくれていたリシャール卿は、私の話が終わるとぼそりと言った。
「この作図を用いた検討法、初めて拝見しましたが……とても合理的です。フロランス嬢がご自身で考案されたのですか?」
「ええ、まあ……」
毎度おなじみの罪悪感から、曖昧に口ごもる。そんな私に鋭い視線を向けて、彼は矢継ぎ早に質問を投げ掛けてきた。それになんとか応戦しながら、実物のレンズと燭台を持ち出してきたり、アレやコレやと議論を続けること、三時間ほど。
「……ねえ、そろそろ寝ませんこと? わたくし、もう限界ですわ」
すっかり疲れきった顔で言うオディール嬢に、隣で似たような顔をして座っていたオレリア嬢が、無言でうなずいた。
「あ、気がつかなくてすみません! ではそろそろお開きに……」
慌てて我に返った私の言葉をさえぎって、リシャール卿が口を挟んだ。
「お待ち下さい、令嬢方のご滞在はそれほど長くはないと伺っておりますが」
「今回は十日ほど滞在させて頂く予定ですけれど……」
「十日では試作を重ねる猶予はありません。時間が勿体無い、休むのはお話を全て伺ってからにして下さい。僕が試作を始めてから休まれたのでも十分でしょう。あ、姉上は別に不要ですから、先に寝て頂いて構いませんよ」
完全に据わった目で言い放つ弟に、オディール嬢は深くため息をついた。
「フロランス様はそれで構いませんの?」
「私は大丈夫ですわ。それで希望する品の完成に近付くというのであれば」
「では……フロランス様のお連れになった従者をお呼びした上で、さらにわたくしの侍女を同席させますわ。我が弟に限って間違いなんて起こさないとは思うけれど……未婚のご令嬢には外聞もあるでしょうし」
「も、申し訳ありません……」
「いいえ、お気になさらないで。ではわたくし達はお先に失礼するわね」
*****
「なるほど、つまりこの方法で……遠くにあって小さいものを拡大して見られるのみならず、近くにあっても小さいものまで拡大して詳しく見ることができる……という訳ですか。実に興味深いことです」
私はオディール嬢が残して行ってくれた侍女がいれてくれたお茶で喉を潤しながら、こっくりとうなずいた。
「興味を持って頂けて、嬉しく存じます」
「では試作に入りたいと思いますが、まず以前作成した望遠鏡をご覧頂きましょうか」
「はい、お願い致します」
実は顕微鏡だけでなく望遠鏡も、今回の旅の目的のうちの一つだ。現在兵士の肉眼で行っている国境警備だが、望遠鏡があればさらに早く異変に気付けるようになると考えたからである。
リシャール卿は棚から直径三センチ、長さ五十センチほどの細長い筒を取り出すと、テーブルに置いた。
「これが以前作ったものです。このような仕組みで相違ないでしょうか」
筒を確認した私がうなずくと、彼はたくさんのレンズが分類収納された箱を取り出し、組み合わせを試し始めた。
深夜を迎えた邸の中は、しんと静まり返っている。いつの間にか水時計もおやすみモードとなったようで、鐘の音は聞こえてこなくなっていた。そんな状況でただ待っているだけというのは、旅の疲れが残る身としてはなかなかの苦行である。
「フロランス嬢?」
「はっ、はい!」
うっかり椅子に座ったまま寝入ってしまっていたようで、私はハッとして顔を上げた。どうやら背中に掛けてもらっていたらしい毛織りのショールが、パサリと床に落ちる。私は慌ててそれを拾い上げると、頭を下げた。
「居眠りしてしまって申し訳ありません!」
「いえ、試作ができたのですが、こんな感じでいかがでしょうか」
筒の端を覗き込むと、そこには小さな光が見える。その光によーく目をこらすと、大きく拡大された向こうの景色が見えた。
「素晴らしいです。私が想定していた通りの出来ですわ」
「初めは凸レンズ二枚のものと比べかなり視野が狭いと感じましたが、目を動かすことでもう少し広い範囲まで見られますね。何より正立像になることと色収差が少ないのは、評価すべき事柄でしょう」
感心する私にそう少し早口で答えると、リシャール卿はニヤリと口角を上げた。おにい様と同系統のタイプの人かなとなんとなく思っていたんだけど、この人の笑顔はどことなくマッドに感じてしまうのは何故だろう。
「それは……良かったです」
「では今後も改良を続けたいと思います。納得のいくものが完成しましたら、そちらにもお送りしましょう」
「ありがとうございます!」
「ああ、そういえば……今回の共同開発における権利関係のお話については、当家の家令とお願いします」
リシャール卿は急にめんどくさそうな顔をしてそう付け加えると、部屋の入口へ向かって歩き始めた。
ぎぃっと重い音を立てるドアの取っ手を引いて、こちらを振り返る。
「では、今夜はこのくらいにしておきましょうか」
*****
──翌日。
昼食を終えた私達三人は、居間でお茶を飲みながらソワソワとしていた。今日の午後は、アントワーヌいちと名高い工房の外商が、ジュエリーをたくさん持ってくるという話だからである。持ってきたお小遣いはあまりないけれど、たとえ買えなくても綺麗なものを眺めるだけでテンションが上がるというものだ。
だが居間の入口に先触れもなく現れたのは、侍女でも工房の営業担当でもなく、この邸の主その人である。
「姉上、フロランス嬢をお借りできますか」
「リシャール! 不躾に現れて、我が儘ばかり言わないで!」
「しかし姉上、僕はこれでも姉上のご予定を執事に確認し、重要そうなものは終わるこの時までお待ちしました。エルゼス侯爵令嬢と直接検討できる機会は、今しかないのです。どうかご令嬢をお借りしたく」
「貴方は……」
オディール嬢は一瞬弟に文句をいいかけて、すぐにはっとしたような表情で口をつぐむ。そうして一転して私に向き直ると、にっこりと笑った。
「フロランス様には申し訳ないのですけれど、弟のワガママに付き合ってやって頂けませんかしら?」
「え、ええ。オディール様がそうおっしゃるのでしたら……」
私はオディール嬢の変貌に戸惑いながらも、ひとまず了承を返す。アントワーヌ領自慢のジュエリー、見たかったなぁ……。と残念に思いつつ、でも短い滞在期間で顕微鏡を完成させるにはリシャール卿の提案はむしろ好都合だろう。
私は女子チームに後ろ髪を引かれつつ、リシャール卿の後について工房へと向かった。




