第68話 嫡男という足枷
その後も開発会議で楽しく激論を戦わせた(?)私達は、ようやく一段落して晩餐の席に着いていた。だがいくら待っても、空席がひとつ埋まらない。
それでもしばらく時間を忘れておしゃべりしていたのだが……やがて教会のものとは違う鐘の音が聞こえてきて、オディール嬢ははっとしたように声を上げた。
「もうこんな時間!? ニコラ、伯爵を呼んできて!」
慌てて部屋を出ていく従僕の少年を見送って、オディール嬢はため息をついた。
「本当にごめんなさい! まったく、あの子は集中したらすぐ時計が聞こえなくなるの」
「お気になさらないで、おしゃべりしてたらすぐだもの」
「そうそう。ところで、あの鐘の音って教会のものより細かな単位で、それも音が違うようですけれど……どういったものですの?」
この国で時計と言ったら、朝から晩まで一刻、つまり約二時間おきに鳴らされる教会の鐘が一般的だ。鐘の音が届かないような地域は、基本的に時計は気にしない。そして朝日と共に起きてきて夕日と共に寝てしまうのが、デフォルトなのである。
「ああ、あれはこの伯爵邸に設置してある水時計の鐘ですわ。四半刻に一回鳴らしているの」
「自邸に時計があるのですか!?」
時計がないって、あるのに慣れていると地味に不便だ。無いのに慣れている皆様は時間に対してとってもおおらかなのだが、慣れた記憶があると約束の時間に遅れはしないかとソワソワしてきて仕方ない。
時刻を調べる技術って教会が握ってるんだと思ってたけど、四半刻──つまり三十分単位で分かる時計を自宅に設置できたら最高だ!
「よろしければ、食後に時計をご覧になります?」
「ぜひ!」
私が思わず、前のめりで答えたときである。
「旦那様のご到着にございます」
侍従の先触れが聞こえて、この家のまだ若き当主が食堂に姿を現した。だがその表情は、かなり不機嫌そうである。
「作業が佳境だったんですがね……」
「リッシャアアアル!! 今日はお客様と会食だから遅れないようにと、あれほど言っておいたでしょう!」
「……すみません」
とうとうガチギレした姉にボソッとそれだけ返したリシャール卿は、めんどくさそうに当主の席に着いた。彼は確か私の一つ上でオレリア嬢の同期だから、いま十五歳かな。
以前ジャン=ルイが『兄上より僕の方が優秀なのに、次男というだけで爵位を継げないのはおかしい!』とか主張しているのを聞いたことがあるけれど、長男だって不自由だ。
次男以降であれば王都の学術院に進学して、騎士やら学者やら官僚やら、卒業後の進路はある程度好みで選択できる。だが爵位が確約されている代わりに、長男の進路は父親の後継一択なのだ。まだ若いのに当主になったリシャール卿は、反発したくなっても仕方ないだろう。
かといって家臣や領民の生活を考えると、オディール嬢の気苦労も良く分かる。貴族に生まれるのも色々と大変だ。私もおにい様をあまり困らせないように……できてるかなぁ。
その後も若き伯爵は無言のまま、食事をとり始めた。三人娘のおしゃべりが全く耳に入っていない様子で、黙々と食べ進む。だがある話題が出たところで、その手をピタリと止めた。
「そういえばフロランス様のお手紙に書いていらっしゃった、物を大きく見せる眼鏡のことですけれど……二枚のレンズを縦に並べるとは、どういう感じなのかしら。普通の眼鏡とは違いますの?」
「それは……普通、眼鏡といったらこうでしょう?」
私は両手の親指と人差し指でそれぞれ輪っかを作ると、両目に当てた。そしてオディール嬢がうなずくのを確認してから、左手の方の輪っかを右目の前に移動する。
「そうではなく、このように片目で二枚のレンズを見るのです。そうすると、小さな物をとても大きく拡大して見ることができるのですわ」
「それなら、試したことがあります」
不意にリシャール卿が口を開いたので、私達は驚いて彼に視線を集めた。
「まあ、では……」
「その方法ならば、確かに遠くの物を拡大して見ることが可能です。しかしながら、何故か物が逆さまに見えるという問題があります。咄嗟に思考で上下を補正するのは難しいので、実用するには改良が必要でしょう」
「それ、解決する方法がありますわ」
「それは、どのような!?」
「二枚のレンズのうち、接眼レンズ……つまり目に接する方のレンズに、凹レンズを使うのです」
対物レンズに凸レンズ、接眼レンズに凹レンズを使う仕組みの望遠鏡は、ガリレオ式望遠鏡と呼ばれている。しかしこの方式は凸レンズを二枚使うケプラー式望遠鏡と比べて、視野がかなり狭くなるという難点があった。
そのためケプラー式の難点である倒立を簡単に補正出来るようになった現代では、ガリレオ式はほぼ使われなくなっている。だが補正する技術のない段階では、ガリレオ式の方が有利かもしれない。
「まさか……それで何故、像が正立になると言えるのですか?」
「その説明は、図示しながらの方が分かりやすいかと存じます」
「図……確かに! では、今すぐ僕の工房へ」
そう言ってすぐさま席を立った弟を見て、オディール嬢はまたもやツノを生やす羽目になったのだった。
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その後一応ちゃんと最後まで食事を済ませると、伯爵はいそいそと席を立った。
「では、先に戻り準備しておりますから、ご令嬢は後ほどお越しください。場所は侍従に案内させます」
それだけ言うと、今度は姉に止める隙を与えないうちに彼はさっと姿をくらませる。
「まったく、本当に勝手なんだから! フロランス様、あの子の言う通りにする必要はありませんわ。旅の疲れもあるでしょうし、無視して今宵はもう休んで頂いてもよろしくてよ!」
「いえあの……私はぜひレンズについてリシャール卿とお話をしたいのですが……よろしいでしょうか?」
私がおずおずと問うと、オディール嬢は苦笑した。
「フロランス様がそうおっしゃるのなら……参りましょうか」




