第67話 令嬢達と兄弟の悩み
渋々といったていで挨拶だけは済ませたリシャール卿が、さっさと入り口の向こうに姿を消すと。オディール嬢は深くため息をついた。
「もう、本当にあの子ったら!! オレリア様、フロランス様、不肖の弟が失礼致しまして、本っ当に、申し訳ありませんわ」
「お気になさらないで」
微笑んで首をふるオレリア嬢にならって、私も優雅にうなずいた。
「ええ」
「寛大なご対応、ありがとう存じますわ。家督を継いでもう一年以上が経つというのに、何もかも叔父様に任せっきりでちっとも当主らしくならないのだから!」
「でも、水術を用いた研磨の技は、天才と名高いではございませんか。わたくしと同じ年とは思えない、素晴らしい才能をお持ちですわ」
ティーカップを持ったオレリア嬢が心底感心したように微笑むと、オディール嬢は複雑そうな顔を返す。
「確かに当家は代々当主も技術開発に携わってきましたけれど、あの子は放って置いたらほんっとうに一日中工房から出てきませんの。これでは領地の行く末が心配で、安心してお嫁に行くこともできないわ」
そう言って深くため息をつく彼女に、私は冗談めかして言った。
「あら、当家の兄なんて、四年も自室から出てきませんでしたのよ」
「でも貴女のお兄様はご病気だったのですし、今では快復されてご立派に務めていらっしゃるのでしょう?」
そうか、おにい様って表向きは病気療養になっていたんだっけ。余計なこと言っちゃうところだった……。
「それは……ええと、リシャール卿もきっと色々と考えがあってのことでしょう」
返答に困った私が曖昧に答えると、オディール嬢は皮肉げに笑う。
「本当に考えてくれているならいいのだけれど……その点、オレリア様が羨ましいですわ。誰よりもご立派なお兄様がいらっしゃるのだもの」
オディール嬢の言葉を聞いて……だがオレリア嬢は、ゆっくりと頭を振った。
「わたくしの兄は……妹のわたくしが言うのもなんですけれど、出来すぎるのですわ。出来すぎて……完璧になんて出来ないわたくしの気持ちを、ちっとも理解してくれないのです」
「それは……素晴らしすぎるご兄弟がいるというのも、案外大変なのですね」
そう私が言うと、オレリア嬢は軽く目を伏せる。
「素晴らしい……ですか。わたくしはフロランス様がうらやましいですわ。アルベール様のように思いやりのあるお方がわたくしの兄なら良かったのに」
あんなに出来る兄さんがいれば何の不安もなく日々過ごせるのかと思いきや、オレリア嬢にも色々と思うところがあるようだ。
「なかなか理想通りとはいかないものよね。さて、兄弟がいる者同士なんだか気が合ったところで、そろそろ本題に入りましょうか」
オディール嬢はそう言って肩をすくめると、使用人を呼ぶベルを鳴らした。
*****
持参した形見の真珠を、アントワーヌいちの腕前と名高い職人に預けてもらったあと。私達は客間に用意された、オディール嬢がデザインした貴婦人の正装用眼鏡を吟味していた。
「──で、こちらが初心に返ったもので、手持ち型の眼鏡よ。そして、こちらが首かけ型、これは仮面にレンズを入れたものだけれど、仮面舞踏会くらいでしか使えないかしら」
「どれも本当に素敵ですわ! 意匠も洗練されて美しくて……どれひとつ取っても惚れ惚れとしてしまいます」
眼鏡を手に取りながら感嘆の声を上げたオレリア嬢に、だがオディール嬢は真剣な顔を向けた。
「お待ちになって、今回はぜひ遠慮のないご意見を伺いたいの。良いところ探しではなく、悪いところ探しでお願いするわ」
「そ、そうなのですか? では……夜会で困りますのは、何気なくすれ違ったときにお顔が分からないことなのです。首かけ型では、いざという時に間に合わないかもしれません」
「なるほど……」
フムフムとうなずきながら、蝋板にメモを取るオディール嬢。
「あと手持ち型については……夜会では扇子も持っていますから、二本もあるとどちらか取り落としてしまいそうです」
確かに。右手はエスコート役の腕に添える時間が長いと考えると、左手の持ち物が二つに増えるのは考え物だ。
「やはり常時掛けておけるに越したことないですよね……いっそ小さなレンズを目に貼り付けてしまえたらいいんですけれど」
私はミヤコが毎朝目に入れていた小さなレンズのことを思い出して、思わず呟いた。あれは使い捨てのソフトなレンズだったけど、確か最初はハードレンズっていうガラスのレンズもあったらしい。
「レンズを……目に!?」
面食らったような顔をするオディール嬢を見て、私は慌てて小さく手を振った。
「いえあの、ものの例えですわ」
さすがにコンタクトレンズの詳しい仕組みなんて知らないし、分かったところでそんなに薄くて丈夫なレンズを作るのは無理だろう。ていうか目の中でガラスが割れたらとか考えると、怖すぎる。
そう考えた私はそこで話題をやめることにしたが、だがオディール嬢は顎に手を添えて、言った。
「リシャールなら作れるかしら……」
こんな突拍子もないアイデアを本気の顔で考えさせるなんて……さすが工房から出てこないと言われるだけあって、まだ若いのにリシャール卿の技術は相当なもののようだ。
その後、とりあえず顔の前にかざすことの多い扇子にレンズを付けてしまえばどうかという話になった私達は、そのデザイン談義に花を咲かせたのだった。




