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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
六章

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第63話 領地経営って難しい(1)

 ようやく城に帰り着いたのは、もう夕刻も近い頃である。私は城内の車止めで馬車を降りると、鍛練場の方へと向かった。この時間であれば、たぶん兄はそこに居るだろう。


 鍛練場の脇にある井戸で水をかぶっている赤毛を見つけて、私は声をかけた。


「おにい様、ただいま戻りました」


「フロル! そろそろ迎えに行こうかと思ってたんだよ」


「約束の狼煙はちゃんと上げておきましたでしょう?」


「でも、ちょっと遅すぎじゃない?」


 そう言って、兄はため息をつきつつ濡れた長髪を掻き上げる。そうして井戸の縁に掛けていた手拭いを取ると、最近少し日に焼けた肩にかけ、顔を拭った。


 すっかり元気を取り戻した祖父や騎士見習いの郷士の子弟達と共に日々鍛練を続けている兄は、つい先日までのモヤシっぷりから大きな変化を遂げていた。細身だがすっかり引き締まった体躯に仕上がって、騎士の称号にも恥じない姿を見せている。


 しっかりと鍛えられた背筋のおかげだろうか。以前の酷い猫背はなりをひそめ、居間でくつろいでいる時ですらその姿勢がサマになってきているのだから、人体ってほんと不思議だ。


「遅くなったのは謝ります。でもそんなことより、報告したいことが山ほどありますの!」


 興奮ぎみに拳を握る私に苦笑して、兄は言った。


「仕方ないなあ。着替えてくるから、居間で待ってて」



 *****



「……と、いうわけで。提供を受けた種芋を増やすための実験農園を用意してはどうかと思うのですが、いかがでしょうか?」


 今日の成果を、だいたい報告し終えたのち。私は自分のアイデアを付け加えて、兄の表情をうかがった。


「なるほど……しかしその農園を耕すための人員は、どうするの? 製塩を学んで量産向けに改良するための人員も必要だしね」


「農園については、ひとまず罪人達を使ってはいかがでしょう? もちろん監視が必要で、全員とはいかないでしょうが」


「罪人、か……扱いは難しいけど労役にでも使わなきゃ、単なる無駄飯食らいだからなぁ」


 そう言って、兄は困ったようにため息をついた。


 実はここエルゼスは、あまり治安がよろしくない。元々危険な辺境は傭兵崩れのならず者が集まりやすいのだが……エルゼスではそれに加え、かつて開拓労働力の確保のために多くの借金奴隷を継続的に購入していたためだ。


 ただ農奴とは言っても、この世界の基準からすれば待遇はかなり良い方である。決められた小作地の作業を終えたら、自分で新たに原野を開拓してもいいのだ。そうして出来た農地は自分のもので、それだけで食べていける広さになったら晴れて市民権ゲットというわけである。


 ところがここ数年の凶作で思うように開拓が進まなくなった小作地からは不満が噴出し、脱走する農奴が増え始めた。脱走奴隷の行きつく先なんて、ただ一つ。野盗をはじめとした、ならず者達である。


 そんなならず者達の取り締まりをこの頃強化したところ、ピエヴェールの地下に広がる牢獄は罪人達であふれかえってしまっていた。ただ牢屋に閉じ込めておくだけでも、人間を生かしておくのはコストがかかる。ならば有効に労役で使ってしまおうという算段だ。


「あーあと……例の堆肥を作る実験にも使えるかと思うのですが、提案は通過しました?」


「例の? ……ああ、し尿処理問題のやつだね。ひとまず試してみることになったよ」


 そう言って、兄は苦笑した。元々提案したのはこっちなのに、直接表現避けててすみません……。


 王都の惨状があまりにも印象深かった私は、戻ってすぐに領都ピエヴェールのし尿処理状況について調べた。すると現在の仕組みでは、市民が汲み取り業者に代金を払い、街壁の外に埋め立て廃棄してもらっているということが分かったのだ。


 実はこの処理方法は、王都でも用いられている。つまりちょっとしたきっかけで崩壊して、街に汚物があふれるという危険をはらんでいるのだ。


 それに埋め立て廃棄という方法は、ほんの少し雑にするだけで簡単にコレラなどの流行を生んでしまう。ピエヴェールの今の業者は安価で真面目に請け負ってくれているようだが、変なのに代替わりなんかしたら大変だ。


 そこで考えたのが、戦前までの日本で行われていた処理方法だ。業者にお金を払って処理してもらう西欧に対し、日本では『し尿』とはお金を貰って業者に売れる、財産だったのである。


 ではお金をかけてまでかき集められたモノは何に使われていたのかというと、肥料の原料である。刻んだ藁と水を混ぜてよくかき混ぜるだけで、優秀な堆肥に生まれ変わるらしい。


 しかも残らず綺麗に回収し、そして発酵させることで、コレラ等の発生も抑えられる。さらにこの堆肥を使うことで、単位面積あたりの作物の収穫倍率が倍ほども跳ね上がるというのだ。


 こう聞くと一見最高に優秀な方法だと思われそうだが……発酵が甘いと逆に細菌や寄生虫感染の温床になってしまう危険もあるので、注意が必要である。


 それになにより、発酵中の肥溜めって……ものすごく臭いらしいのよね。でも王都の惨状を考えると、ちゃんと処理して活用した方がまだマシな気もするし……。

 計画的にやればきっと大丈夫! ……かもしれない。


「では、それも芋の農園に併設して実験しましょう。作業員は……服役中の皆さんで」


「はは、その噂が広まったら治安が良くなるかもね!  ……なんて冗談はさておき、農園と製塩については早速行政府で対応を始めるよ。芋の普及に必要な郷士たちへの説得は、ぼくに任せてくれ。和解のとっかかりを見付けてくれて本当にありがとう。きっとエルゼスの現状を大きく変えてくれるはずだ」


 そう言って、兄は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ていると役に立てて良かったなという気分になってくるのだから、やはり兄は意外とリーダー向きなのかもしれない。


 なお兄は、家族だからかもしれないが私の意見も普通に聞いてくれていた。だが役人達の中には、女が行政に口を出すと露骨に嫌な顔をする人もいる。そのため最初は担当者を交えて話をしていたのだが、やがて私が意見を出すのは兄と二人きりのときだけに留めるようになった。


 ごり押しすれば、最終的に貴族であり主家の娘でもある私が勝つだろう。だがそうすると、役人達には必ず不満が残ってしまう。今は少しずつ信用を積んで、いつか自然と一緒に仕事ができる人だと認識してもらえたらいいな……。


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