第60話 瘴気病の症状
「もう、ここらでええよ。なんのお礼もできんで悪いけんど……ありがと」
村の入り口に到着すると、カミルはそう言って頭を下げた。遅れてミアもちょこんと頭を下げる。できれば村人に少し話を聞きたかったけど、カミルが嫌そうだからやめておこうか……。そう考えた私が、手を振って踵を返しかけたとき。
「カミル! ミアも! 探しよったんぞ!」
集落の外の方から数名の村人が現れて、一緒にいる私達に目を止めた。
「な、なんだ、あんたら……いや、あなた様がたは」
村人の一人が声を上げたが、正規騎士の存在に気付いたのだろう。すぐに口調は丁寧なものに変わったが、しかしその視線は警戒を強めたままで、訝しげにこちらを見ている。
もっともこちらは手足にお縄を頂戴したならず者達をズラズラと引き連れているのだから、警戒されるのも無理はない。
私は口を開きかけたステファンを無言で制すると、一歩前へ出た。
「わたくしはロシニョル家のフロランスと申す者。その二人が野盗に襲われていたので、保護しました」
「なっ、りょ、領主さまのお姫さまで!?」
慌てて平伏しようとする村人達を身ぶりで制して、私は警戒を解くようにっこりと笑ってみせる。
「カミル達の親御さんに会えるかしら?」
すると中でも一番の年長者らしき壮年の男が、代表するように口をひらいた。
「あの……カミルは父と祖母と暮らしとりますが、あいにく今父親が瘴気病で寝込んどりまして……」
「瘴気病!? まだ初夏なのに……今、患者はどのくらい出ているの!?」
「それが……この集落だけで、ざっと十名ほどです」
「集落の人口は?」
「二百足らずです」
「すごい罹患率じゃない……毎年のことなの?」
「へえ。この村はルウィンの沼地にも近いもんですから……」
ワイン造りに適した日当たりの良い河岸を持つルウィン川だが、複雑に蛇行を繰り返す川がもたらすのは良い土地ばかりではない。対照的に水捌けの悪い沼地や湿地も、多く抱えているのだ。
そして瘴気病の原因となる悪い空気は、主にそれらの沼地から発生していると言われている。実際に湿地帯に近付く機会の多い住民達を中心に、瘴気病は広がっているようだった。
「では、カミルの父親に会わせてくれる?」
「とっ、とんでもねぇ! お姫さまを病人に会わすなんぞ、領主さまに申し訳が立たねぇですけん!」
慌てたようにかぶりを振る男に、私は今度は疑問形ではなく、断定形で言った。
「領内の状況把握も一族の務めよ。案内してちょうだい」
「はい……」
*****
私は馬車の荷物から割烹着のような形の簡易防護服とマスク、そして髪を包む帽子を取り出し装着すると、蒸留酒などの小瓶を入れたポーチを腰に下げた。
瘴気病は一般的にヒトーヒト感染はしないと言われているが、それによく似たその他の感染症でないとも言い切れないから、念のためである。
「姫様、そちらのご衣装は……」
「邪気払いの装束よ。ほら、ガエタンも着て。ステファンはここで狼煙を上げてから、御者と共に罪人達の見張りを」
私は護衛の片方にも防護服セットを身に付けさせると、村人を促した。
「では、行きましょう」
私達の格好が気になるものの、領主の娘に滅多なことは言えないのだろう。チラチラと不審げにこちらを見てくる村人へにこやかに手を振りながら、私達は集落の道を進んだ。
*****
本人と家族に問診した結果、カミルの父親の症状はインフルエンザによく似たものだった。だが数日おきに周期的に発熱と解熱を繰り返す点や、眼球結膜……つまり白目などに黄疸がみられる点から、ほぼ瘴気病とみて間違いないだろう。
検査できないので断定はできないが、病室を出たらひとまず警戒心を生みやすい防護服は片付けてもよさそうだ。
私は一息ついて防護服を脱ぐと、念のため外側を中にして巻き取り、袋にしまった。
「あのぅ、孫たちを助けてもろうたそうで……本当に有難いことでございます」
地面に膝を突こうとする老女を支えるようにして止めると、私は口を開いた。
「そのままで構わないわ。領民を守るのは私達の務めよ」
「本当に、本当にご迷惑をおかけして、申し訳のうことでございます。……カミル! あれほど勝手に森へ行ったらいかん言うとったじゃろ!」
「でもばあちゃん……父ちゃんの薬草とりに行ったんよ」
「これ……」
ミアが斜めかけのカバンから大事そうに数種のハーブを取り出すと、祖母に手渡した。
「ああ、でもそれであんたらに何かあったら……」
「この薬草はどういったものなの?」
会話の途中だが思わず口を挟むと、老女は手に取ったハーブのひとつを指差した。
「これは、解熱と痛み止め作用のある薬草です。こっちは息苦しさを和らげる作用がございます」
「詳しいのね」
「うちの村では、昔から瘴気病が出たらこれらで対処しとりますけん。あとはしっかり栄養つけて、天に祈るのみです」
「つかぬことを伺うけれど、カミル達のお母様は……」
「カミルの母親は、去年の夏に畑で倒れたまま亡くなりました。じゃがミアの両親は……共に瘴気病です」
「カミルとミアは兄妹ではないの?」
「この子らはそれぞれ、私の二人の息子の子供ですんで」
「そうだったのね……。私も小さい頃に両親を亡くしたの。二人とも、辛かったね……」
私はしゃがんで子供たちを抱き寄せると、背中を撫でた。たちまち泣き出したミアに対してカミルはぐっと涙をこらえると、小さく呟く。
「父ちゃん……治るかな」
「ごめんね、辛いこと思い出させちゃって……。大丈夫よ。きっと良くなるから」
今はそれだけしか言えなくて、私は黙った。二人を抱く腕に、ぐっと強く力を込める。
致死率は統計を取っていないので分からないが、かなり高そうな状況だ。特効薬はないから、対症療法を続けつつ免疫を高めるくらいしか、有効な治療法もない。
エルゼスの発展を阻害しているのは、どうやらここ数年の凶作だけが原因ではなさそうだ。領民達の暮らしを良くするためには、この地の風土病とも呼ばれている瘴気病をなんとか対策しなければ。
私は決意を持って立ち上がると、子供たちに笑いかけた。
「さ、二人ともお昼まだでしょ? 悪い空気に負けないように、しっかり食べるのよ」
「うん」
うなずく二人の頭を、私がくしゃくしゃと撫でていると。問診中からこの場に立ち会っていた村人のうち、村長の夫人だという女性がおずおずと口を開いた。
「あのう、ご昼食がまだでしたら……貴族さまのお口に合うかは分かりませんが、ぜひともうち……いえ、私どもの家にお出で下さいませ。男衆もそろそろ畑から戻る頃合いですけん」
「気遣いに感謝するわ。でも、村の貴重な食糧を頂くわけには……」
そう言いかけたときのことである。解放された窓から隣家のお昼を作る香りが漂ってきて、鼻から脳天を直撃した。
ぐうーっとひとつ、まさかのお腹の虫が鳴く。
しばらくの沈黙が降りたあと。私は真っ赤になった顔を両手で覆った。
まだ育ち盛りなものでスミマセン……。
「ねえちゃんもおなかすいとるん?」
無邪気なミアの言葉に、顔を覆ったままこくりとうなずくと。笑顔から緊張が抜けた村長夫人たちに連れられて、私は彼女の家で昼食を頂くことになったのだった。




