第52話 それぞれの「ざまぁ」の形
「おかえり、フロル」
王の御前を離れて兄の元へ戻ると、私はようやく人心地がついて、ほっと息を吐いた。
「ただ今戻りました、おにい様」
「どうだった?」
「想定外の御言葉も頂きましたけれど、おかげさまでつつがなく成人の御挨拶を終えることができました」
「そう、良かった」
自分のことのように安堵の笑みを浮かべる兄に、私は申し訳ないと思いつつ、国王陛下からの伝言を伝えた。
「そういえば……国王陛下よりおにい様に、後ほど顔を見せるようにと言付かっております」
「そうなんだ。じゃあフロルを一人にして悪いけど、今から謁見の列に……」
兄が、そう言いかけたときである。
「これはこれは、アルベール卿ではないか!」
「イヴォン卿……」
大声と共に向こうからずかずかと近づいてきた男は、数人の取り巻きを引き連れたまま、私達の目の前で足を止めた。イヴォンということは、こいつ……コホン、この男性が、件のべロム侯爵令息、イヴォン・ド・アルカンなのだろう。
「随分とお見かけしなかったが、その後初級呪文以外も唱えられるようになりましたかな?」
薄ら笑いを浮かべたイヴォン卿がそう口にすると同時に、彼の取り巻きたちもニヤニヤと下卑た笑いを浮かべた。全く、貴族らしい優雅さの欠片もない人たちである。
「おっ……んん」
兄は発しかけた吃音を咳払いでごまかすと、ゆったりと口を開きなおした。
「おかげさまで。万事順調だよ」
兄の表情は向こうを向いていて、半歩後ろに従うこちらから窺うことは難しい。だが緊張しているのだろう。礼服の袖口から覗いている指先は、いつにも増して白く見えている。
べロム侯爵領は侯爵だがそれほど大身というわけではない。アルカン家の歴史も浅めで、家格もそれほど高いというわけではない。いくらうちが新興貴族といえど、ちょっぴりでも王家の血を引くぶん、アルカン家より格下とは言い切れないはずだ。
だが兄と同い年であるはずの彼は、見下すような視線を兄に向ける。そして後ろにいる私へと移動させると、わざとらしく驚いたように声を上げた。
「ほう……妹君はまだ幼いが、なかなかの美形ではないか。エルゼス侯爵閣下も跡取り殿がこうも病弱では、さぞご不安なことだろう。妹君の縁談を打診しておられるとの噂を聞き及んでいるが、私が貰って差し上げても構わないぞ。安心してくれ給え、貴家の借財程度いくらでも工面してやるさ。なんなら爵位ごと引き受けて差し上げようか? 病身に当主の務めは辛かろう」
そうイヴォン卿は長々と言い放つと、嘲るように口の端を歪めた。
あーもうこいつ、ぜっっったいに許さん!
三倍返しだ!!
……そう息巻いた私は、一歩前に出て傍らの兄を見上げ──ハッとした。なんと兄は眼鏡の奥の目を細めると、優しげに笑みを浮かべていたのである。
「貴卿の申し出は大変光栄なことだけど、僕は当面妹を他家にあげるつもりはないんだ。こんなに可愛くて素晴らしい妹を幸せにできる男なんて、僕以外にはそうそういないからね」
兄はそこで言葉を切ると、見上げる私に目を合わせて慈しむように微笑んだ。
……ああそうだ。こんな取るに足らない人なんて、相手にしてやる価値もない。わざわざ同じレベルに落ちてまで、合わせて差し上げる必要などないのだ。
「まあおにい様、おにい様より素敵な方などこの世におりませんのに。嫁ぎ遅れたら責任取って下さいませ」
私がぷくっと小さくふくれて見せると、兄は破顔した。
「はははっ! 仕方のない子だね」
自らが幸せで満たされているならば、他人を攻撃する必要なんてない。今の自分に満足していないから、他者を貶めて自分を慰めるのだ。そんなもの、今の私たち家族には必要ない。
思惑が外れたらしいイヴォン卿は、やがてきまり悪そうにぼそぼそと口を開いた。
「そ、そうか。それは残念なことだ……」
──その時。
向こうから颯爽と人垣を掻き分けて近付く目立つ金髪に気が付いて、兄に強い緊張が走った。私は右手で兄の腕を取ると安心させるようにぎゅっと握って、もう片方の手でスカートを少し持ち上げる。
そしてまだ何か言いたげに立ち尽くしているイヴォン卿に向かい、ニッコリ笑って手を振った。
「では、ごきげんよう!」
「あれっ、ええと、また……」
イヴォン卿がなにやら言い澱んでいる間に……兄と私は近付いてくる『親友』──ボルゴーニュ侯爵令息、アンリ・ド・キュヴィエの方へと向き直った。




