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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
五章

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第50話 華の王都は不衛生地獄

 しばらく仕事が立て込んでいた私が久しぶりに実家のリビングに顔を出すと、食卓にはいつものメニューが並んでいた。代わり映えのしない食卓。だが、どれも私の好物ばかりだ。


 最近白髪染めを休んでいるという母は、黒い瞳を閉じると困ったように頬に手を当てた。


『いつまでも独身でフラフラしてないで、早くいい人見つけて結婚しなさい』


『だからしないんじゃなくて、できないんだってば!』


 私は口を尖らせて抗議したが、だが母は全く聞く耳を持つことなく、さらに言い募った。


『お父さんも私もいつまでもいないんだから、せめて家族を持ちなさいね。ひとりで置いていくのが心配なのよ』


『何言ってんの? 母さんたち平均寿命までまだ何十年もあるじゃん』


 そう言って、私はどこか他人事のように笑った。


 ──母さん、ごめんね。私の方が先に逝っちゃったみたい。

 もっと親孝行しておけばよかったな……。



 ◇◆◇◆◇



 私が夢を見ながら泣いていると、突然、肩を掴んで揺り起こされた。驚いて目を開けると、視界に飛び込んできたのはド派手な赤毛にグレーの瞳のガイジンだ。


 ひっ……誰!?


 一瞬怯えた後、思い出した。私の髪も、彼と同じ真っ赤であることを。


「あ……おにいさま」


「大丈夫? ごめんね、うなされてたから」


 そう言って、兄はこちらに心配そうな目を向ける。私は彼を安心させるように微笑むと、礼を言った。


「ありがとう、おにい様」


 この新しい家族を精一杯大事にしよう。もう二度と、後悔はしたくない。


 兄は私に微笑み返すと、揺れる馬車の座席に座り直した。


「もうパリシオルム市街地に入ったから、間もなく到着だよ」


王都(パリシオルム)に!?」


 私ははやる心を抑えきれずに、締め切られた馬車の木窓に手を掛ける。すると兄はちょっと困ったように眉を顰めると、私を止めた。


「やめておいたほうがいいよ。まだ庶民の暮らすあたりだからね」


「ちょっとだけだから!」


 兄の苦言を振り切って窓を開け……私はすぐに後悔することになった。晴れているのに道は泥のようにぬかるみ、辺りには悪臭が立ち込めている。どうやらただの泥ではない。職業病で悪臭の原因を見極めようと我慢しながら往来に目を凝らしていると──


 突然通りにある家の窓から大きな陶器がにゅっと突き出されたかと思うと、何のためらいもなく中身が通りにぶちまけられた。その中身とは、まさかの汚物である。

 中世ヨーロッパで日傘を持つことが流行した理由は、上から急に降って来る汚物から身を守るため……そんな与太話を聞いたことがあるのだが、どうやらここパリシオルムではシャレにならない話のようだ。


 まさかぬかるみの正体が、おまるの中身だったなんて……私は吐き気を堪えながら窓を閉めると、出発前にルシーヌから手渡された魔除けのポプリ袋を取り出して、顔を(うず)めた。

 ハーブの香りをスーハースーハー吸いこんで、肺の中身を入れ換える。受け取った時は何故こんなものを? と思ったが、こういうことだったのか。


「これは……衛生状態がひどいにも程があるでしょう。もし疫病が流行したら、ひとたまりもありませんわ」


「パリシオルムは都市として急成長を続けているから、人口の増加に都市計画が追いついていないんだろうね。ピエヴェールも人を増やすなら気を付けないと、明日は我が身だよ」


「ひええ……」


 更に馬車で走り続けると、やがて貴族の邸宅が立ち並ぶ地区へ入ったと御者から声が掛けられた。再び外を見てみると、こちらの道はきっちりと石畳で舗装され、比較的整った街並みが広がっている。

 馬の落とし物はこちらも落ち放題だったが、これだけ通りに馬車が溢れている状況では仕方のない程度の量である。もしかしたら、ちゃんと予算を付けて通りの清掃を行っているのかもしれない。


「若さま、お嬢さま、王宮が見えてきましたよ」


 御者の声に視線を巡らせると、前方に広がる瀟洒(しょうしゃ)な宮殿が見えた。


「あれがパリシオルム宮殿……」


 もう来週には、あそこで社交界デビューが待っている。胸に去来する様々な想いを噛みしめているうちに、馬車は目的地に到着した。



 *****



「まあまあ、いらっしゃい! 待っていたのよ」


 馬車を降りるなり出迎えの大伯母に抱きしめられて、私ははにかんだ。


「お招き頂きまして、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 合わせて兄も、頭を下げる。ここは王都の貴族街にある、大伯母の個人的な別邸である。夫を亡くし公爵位を長男が継いだのを機に、本宅を息子夫妻に譲って自分は気ままな別邸を構えたという訳だ。


 こぢんまりとしているが手入れの行き届いた庭を抜けると、趣味の良い洋館が立っている。今回の社交シーズンは、この屋敷に滞在予定なのだ。


 この国の貴族は冬から初夏にかけての社交シーズンを王都で、それ以外を領地で過ごす者が多い。参勤交代みたいだけど強制ではないし、妻子の移動も自由だ。ただ顔を出さなければ時流に乗り遅れるという点、そして謀反の準備を疑われる点がデメリットだろうか。


 だが王都にあるエルゼス侯爵邸は使われなくなってから久しく、管理人すら置かれていなかった。無人の家は、恐ろしい勢いで荒れ果てる。ここ半年で少し使用人の数を増やしたとはいえ、荒れた邸の機能を回復させられるほどの人員は、まだ育っていなかった。

 そこで王都にある宿の口コミを大伯母さまに聞いてみたところ、うちにくれば良いと声をかけて頂いたのである。


「本当に何から何までお世話になってしまって……大伯母さまには感謝をしてもしきれません。本当に有難う存じます」


 私が胸に手を当て深々と腰を落として礼をすると、大伯母さまは笑った。


「わたくしはね、貴方たちのことは実の孫のように思っているのよ。特にフロランスは、ほら、わたくしの三人の息子たちも、その孫たちも、みな男ばかりでしょう? 娘とこうして王都で過ごすのは、わたくしの夢だったのよ。このくらいはさせて頂戴」


 そう言って大伯母さまは右手で私の手を、そして左手で兄の手を取ると、交互に顔を見ながら微笑みかけた。


「もちろん、新しい息子も大歓迎よ。さあ、今日は寒いから、早く中へ入りましょうね」


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― 新着の感想 ―
[一言] ぬかるみ地帯を女性を背負って行く仕事、が成立したらしいしね この世界にもあるのだろうか
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