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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
四章

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第43話 完璧公子の誤算

 祖父と兄の和解から、数日後。


「やっぱり……そう都合よく問題点なんてないのかな」


 私は昨年度の会計記録を保管庫の棚に戻すと、肩を落とした。念のため、もう一度今年度前半の資料を手に取る。


 あれから私は保管庫に毎日のように通い、何度も何度も会計記録を洗い続けた。だが不審な点は、全くと言ってよいほど見つけることはできなかった。


 とはいえ私みたいな素人が簡単に見付けられるような問題点を残すなんて迂闊(うかつ)なことは、あの抜け目のなさそうなジャン=ルイならばしないだろう。ようやく項目の意味が解ってきたところだし、もう少し続けてみよう。どうせ他にできることなんて、何もないのだ。


 私は保管庫の隅にうずくまると、ランプの灯りを頼りにもう何度目かの資料に目を通し始めた、その時だった。廊下へ続く扉が開き、眩しい光が差し込んでくる。


「……フロ、ル?」


「おにい様!」


 いつもの光球(イグニオ)を右肩のあたりに浮かべた兄が、そこに立っていた。明るく白い光と共に、温かい空気が流れ込んでくる。


 ここのところの兄は、以前私がおすすめしたモノトーン白シャツコーデを好んで着てくれていた。それ自体は大変嬉しいのだが、そういえば冬場にはかなりの薄着である。私は重ね着で着ぶくれた自分の姿と見比べて、ちょっぴり恨めしい気持ちになった。

 大精霊の無駄遣いにもほどがあるでしょうよ。


「こんなとこで何してたの?」


「いえちょっと……後学のために勉強を、と思いまして」


 私は当たり障りのない回答を返して、すっと立ち上がった。


「本当に?」


「ええ」


 手にした資料を、さり気無く棚に戻す。そうして入り口にいる兄のもとへ近付くと、私は何事もなさそうに笑った。


「では、私は部屋に戻りますね」


「待って」


 去りかけた私を引き留めると、兄は少し困ったように口を開いた。


「その……きみはぼくを助けてく、れたでしょ。次はぼくの番だ」


「……何の事でしょうか」


 私がしらばっくれると、兄はちょっぴり悲しそうな顔をしたあと、私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。


「ちょっ……、セットが崩れる!」


「この間はこっちがぐしゃぐしゃにさ、れたし、お互いさまだよ」


「もう……その通りですけど」


 ふくれる私にさも可笑しそうに笑ってから、兄は諭すように言った。


「そう、お互い様なんだよ。……兄妹でしょう」


 私はまた浮かびそうになった涙をなんとか抑え込むと、ぽつぽつと事情を説明し始めた。



 *****



「……という訳で、おじい様を説得する決め手を探しているのです。でも、なかなかこれといった問題が見つからなくて……」


 一通りの説明を終えて、私は項垂(うなだ)れた。結局おにい様を巻き込んでしまった自分が情けない。ところがしばらく黙って聞いてくれていた兄の答えは、とっても軽いものだった。


「問題があ、ればいいのかい? それな、ら、不正の心当たりがあ、るよ」


 このところおじい様から発音のコツを習っているという兄の口調は、もうずいぶんと滑らかだ。


「何かご存じなのですか!?」


 驚いて顔を上げる私に、兄はこともなげに頷いた。


「まあ暇だったし、城にある文献は一通い読みつくしてゆ……るか、ら」


「それは一体、どういった不正なのですか!?」


「結論から言うと、税の横領だね。ここ三年ほどエルゼス領全域で不作が続いて、るんだけど、実は先住民の村は殆ど影響を受けていないんだ。だから税の減免対象外になっていたんだけど、昨年度だけは減免になっていてね。なぜその年だけ? と不思議に思って精査す、ると、収穫量の第一報では問題なしとなっていたんだ。だが最終的に、不作により減免となってい……る。ならばと中間の資料を全て確認したとこ、ろ、修正の痕跡が確認できた」


「それって……税を減免したことにして着服したということですか!?」


「裏付けは取ってないけど、その可能性は高いね」


 涼しい顔をして不正を見逃している兄を前に、私は鋭く疑問をぶつけた。


「ならば、なぜ黙っていらっしゃったのです!」


「それは……言ったところでどうにもな、らないか、らだよ。弾劾したとこ、ろで、他に適任者なんていないでしょ」


 本家筋の嫡出子で、学業成績は大変優秀、その上かなりの社交家。スペックだけなら領主代行官に最適な人物であり、同時に他に手頃な候補者もいなかった。


「ぼっぼくが不甲斐ないせいで……単純に罷免したとこ、ろで、困、るのは、領民達なんだ。それにジャン=、ルイ公子は中央での根回しは巧いか、ら、下手な手を打てば当家の評判を貶さ、れかねないし」


「言われてみれば……」


 社交家である彼は領主代行の癖に社交シーズン以外もしょっちゅう領地を離れ、他家のパーティーに出席していた。彼は領主としての実務能力はイマイチだったが、その社交能力は祖母譲りの高さである。


 ロシニョル家に足りない社交担当を引き受けてくれているので不在がちなのは黙認されていたのだが、質に関わらず友人知人が多い者相手にケンカをするのは分が悪い。


「とはいえ不正には違いないか、ら、証拠を突き付けて目をつぶ、る代わりに、縁談を撤回させ……るくらいはでき、るかな。あ、あとは、ぼぼぼくが、社交界でしっかりと顔を繋ぐことができ、できえば……」


 トラウマを思い出したのだろう。近頃鳴りを潜めていた吃音が、再び彼を襲う。


 ──だが。

 アルベールはごくりと唾をのみこんで、自らを落ち着かせるよう、ひとつ深呼吸した。


 きっと兄は戦ってくれているのだ。今度こそ私との約束を守るために。彼は気丈にも笑みを浮かべると、再び口を開いた。


「じゃあぼくは君の結納の日取りが決まってしまわないうちに、急いで裏付けを取って資料にまとめ、るよ」


「それ、私にも手伝わせて下さい!」


「心配しなくても大丈夫、ぼく一人でも十分間に合うよ。あ、りがとう」


「いいえ、そうじゃないんです。おにい様にはお手数をおかけしてしまいますが、報告書の読み方を教えて頂きたいのです。お一人で作業するより手間も時間もかかると思いますが……ダメ、でしょうか」


「駄目じゃないけど……なぜ」


「わがままですが……私、もっとおにい様のお力になりたいのです。守ってもらうことを当然と思い、ひとりで待つのはもう嫌なんです」


 フロルの感情が溢れ出し、私の頬を濡らす。拭っても拭っても、涙はこぼれ続けた。子供の身体はやたらと涙腺が緩くて、困ったものである。


「フ、ロル……」


 震えを止めるように、おにい様は私の肩を抱いた。

 そして、噛みしめるようにこう言った。


「寂しい思いをさせてごめん。これからは二人で、家と領地を守っていこう」


「……はい!」



 *****



 後日。

 私は複写した資料を一部ずつ糸で綴じ終えると、満足そうに(わら)って言った。


「これだけ確たる証拠が集まっては、かのジャン=ルイ公子にも反論の余地はありませんわね。では早速おじい様を通してフランセル家に報告し、責任の追及を……」


「待って」


 今にも部屋を飛び出そうとしている私を制止して、兄は静かに続けた。


「この件は、ぼくに任せてく、れないかな」


 静かに、だが珍しく(いな)やを言わせない雰囲気を漂わせる兄に、私は驚きを隠せないまま頷いた。


「かしこまりました」


 確かに、成人して間もないような小娘の訴えでは、まともに取り合ってもらえない可能性が高い。成年の嫡男である兄に任せるのが、ここは妥当だろう。


 だけどこの雰囲気は、それだけではないような──


 私はどのようにするのか聞きたいのをぐっと堪えて、明るく兄に笑いかけた。


「おにい様のご随意に」


 せっかく兄は変わろうとしているのだから、その考えを尊重したい。聞いてしまったらあれこれ口を出したくなりそうだから、私はあえて口を閉じた。


「どうするのか聞かないんだね」


「私は、おにい様を信頼しておりますから」


「そうか……ありがとう」


 兄は嬉しそうに微笑むと、一転して瞳に力強い光を宿してこう告げたのだった。


「絶対に、フロルを悲しませる結果にはしないことを誓うよ」


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