第42話 おじい様の事情
「え、ここに座ゆの!?」
食堂に入るなり、兄はそう驚きの声を上げた。長大なテーブルの両端に分けられていた席は中央にまとめられ、おじい様と近い方で向かい合うように私達二人の席が用意されている。
「はい。たったの三人なのですから、こちらの方が便利でしょう? 家庭内の席次は特に作法で定められてもおりませんし、おじい様にお願いしましたの」
「そうなんだ……あの、おじい様に……」
まだ驚きを噛みしめている兄と共に椅子の前に立つ。ややあって足音と共にコツコツという杖の音が聞こえてきたので、私達はピンと背筋を伸ばした。
今日の晩餐からおにい様が復帰するということは、あらかじめおじい様に伝達済みである。食堂の入り口をくぐっておじい様が姿を見せると、隣からごくりと唾を呑み込む音がした。
席の手前に到着した頃合いを見計らって、私達はおじい様に頭を下げた。下げたままおじい様の着席を待ち、少し遅れて席に着く。
やがておじい様のリードで、食前の祈りが始まった。手首をくっつけ、祈りの言葉を復唱する。おじい様は祈りを唱えているおにい様にちらりと目をやると、一瞬驚いたように見開いて、そして何事もなかったかのように視線を逸らした。
祈りの言葉を終えて、とうとう食事が始まった。皆出された食事に向かって黙々と、無言で食べ進めて行く。私が何か良い話題がないか悩んでいるうちに、口火を切ったのはおじい様だった。
「アルベール」
「は、はい!」
急に名を呼ばれて、おにい様は弾かれたように顔を上げた。
「息災であったか」
「は……い。おかげさまで」
「そうか」
──再びの沈黙。
ああ、なんで私はコミュ力が低いんだろう。こんな時に気の利いた話題の一つも見つからないなんて……!
私が自己嫌悪に陥っていると、また口を開いたのは、おじい様だった。
「いや……その、なんだ。いざとなると、うまく言葉が見つからぬのだな……」
目を伏せて顎を撫でるおじい様に向かい、兄は声を上げた。
「お、おじい様……どうぞ、ぼくの今までの行いをお許し下さい! これか……らは、心を入……れ替えて……」
発音に気をつけながら慎重に喋る兄だったが、だが祖父はそれを遮った。
「まあ待て、そうではない。そうではないのだ……」
祖父は困ったようにため息をつくと、やがて意を決したように口を開く。飛び出して来たセリフは、考えもしなかったものだった。
「アルベールよ……本当にすまない」
「いえ、おじい様のせいでは……」
「いや、儂のせいだ」
祖父はそう言うと、空っぽの口をあんぐりと開けて見せた。その舌はしっかりと下顎に繋ぎ留められ、上がり切らない舌先がM字を描いている。
実のところおじい様の立派な口髭の下はあまりまじまじと見たことがなかったのだが……そういえば舌下短縮症は、遺伝性なのだ。
「儂もお前と同じように、生まれつき発語に難を抱えておったのだ」
「……まさか!」
「いや、事実だ。儂は文字通り血反吐を吐くほど努力して、違和感のない発語を手に入れた。どうしても発音が難しい音の組み合わせについては、順序や単語の入れ替えで回避するすべも身に着けた。悔しゅうて、悔しゅうて、儂のことを莫迦にした者共を見返してやろう! ……その一心で、努力を重ねたのだ」
そこで言葉を切ると、おじい様はごくりとひとつ唾を呑み込んで、続けた。
「だから儂に似てしまったお前がろくに戦いもせず逃げたことが、自分のことのように悔しく、歯痒く、許せんかったのだ。お前は儂とは違う人間だというのに……すまぬ」
「おじい様……ぼくも以前は努力をしようともせず自分の境遇を呪うばか……りで、守ってく、れ……る家族の元に、逃げ込んでしまっていました。でも……」
決意の秘められた瞳で、兄はまっすぐに祖父を見つめる。
「これからはぼくが家族を守、ります」
その横顔は、最早かつての自信を失った兄のものではなかった。




