第38話 天岩戸を開ける方法
失意のまま自室へと戻った私は、ベッドに向かって崩れ落ちた。溢れ出す涙が止まらない。私はいったい何のために、どうしてあんなに頑張ってしまったのだろう。同じ愛がないのなら、こんなことになるくらいなら……なぜ黙ってギィとの婚約を受け入れておかなかったのか。
「ごめん……ごめんね、フロル……」
私が、ミヤコがいなければ、フロルは憎からず思う相手と幸せになれたかもしれなかったのだ。それをミヤコが余計なことをしたせいで、台無しにしてしまった!
私はぐっと背中を丸めると、肩を震わせながら泣き続けた。後悔しても、もう遅い。あれほどおじい様が乗り気なのだ。私なんかが少しくらい足掻いたところで、覆すのは無理だろう。
覆せるとしたら、嫡男が正当な理由を持って反対するくらいしか方法はない。
そう、嫡男が──
「たすけて……おにいさま……」
──私は、兄が嫌いだった。だがそれは、大きすぎる期待の裏返しでもあった。
私達の両親の葬式は、しとしとと霧雨の降る中で執り行われた。兄はまだ幼い妹の手をしっかりと握りしめ、父母の棺に土がかけられてゆくのを、睨み付けるような目で見つめていた。
兄は言った。
『泣かアいで。父さまと母さまのぶんまエ、僕がフオウを護ウかア』
私はぎゅっと兄にしがみつくと、泣きじゃくりながら言った。
『おにいさま、ぜったいよ。おやくそくよ?』
『ああ、約束すウよ──』
だがその日から一年とたたず……兄は自室に引きこもり、出てこなくなってしまった。いつも不機嫌なおじい様と寂れた城に取り残されて、フロルは心底兄を恨んだ。
『おにいさまのウソつき! まもってくれるっていったのに!』
幼いフロルは兄が引きこもる部屋のぶ厚い扉を、何度も何度も叩き続けた。だがやがて期待は諦めに変わり、フロルはただひたすら寂しさを我慢した。自分の境遇を呪い、助けてくれない兄を呪った。
だが精神的に大人になった今なら、分かるのだ。兄も辛かったのだと。いくらこの国では所帯を持てる成人扱いだと言っても、まだたった十三歳の少年である。両親を喪い、残された家族の大きすぎる期待を一身に背負うには……まだ彼は幼すぎたのだ。
かつての私にはどうにもならないことだったのだが……今の私であれば、あるいは──
私は涙を拭って立ち上がると、厨房へと向かった。
*****
私は香草の入ったポットとお湯、そして自信作のメレンゲ菓子を木製のお盆に乗せると、厨房を出た。目指すは西塔の、兄の引きこもる部屋である。
もう少し長い目で見ようと考えていたが、もう時間がない。早くしなければ、おにい様が廃嫡されて……いや、恩着せがましく言い訳するのはもうやめよう。私はどうしても、ジャン=ルイとは結婚したくないのだ。
彼が領主代行官としてここエルゼスに赴任して来てから四年。顔を合わせる度に、不出来だ、不器量だと罵られ続けた。アラサーの図太い精神が宿った今でさえ、その顔を見るだけで未だ無意識に身体が強張ってしまうのだ。
こんな時だけ虫が良い話だとは、分かっている。でも……もう頼れるのは、兄しかいないのだ。
兄の居室の扉の前に立つと、私は意を決して扉を叩いた。
「おにい様、フロランスです」
返事はない。だが私はめげずに、言葉を続けた。
「私、メレンゲ菓子を焼きましたの。お茶と共に扉の前に置いておきますから、食べて頂けると嬉しいです」
「……わかった」
扉の向こうから微かに、だが確かに返事が聞こえて、私の心臓は大きく跳ね上がった。
この様子なら……!
私は扉の前にお盆を置くと、すぐ横の壁を背にしてうずくまった。そろそろ暦の上では春が近いとはいえ、エルゼスの気候は日本で例えるなら札幌だ。しかも現代の札幌とは違い、全館暖房の呪文なんていう便利なものはない。
底冷えのする石の廊下にじっとしゃがみこんで、私は震える膝を抱えた。十二単とは言わないまでも重ね着の枚数はかなりのものだが、動きにくい割に寒さは全然防ぎきれていない。軽くて暖かいダウンコートが恋しくなってくる。
しかしおにい様、なかなか出てきてくれないな……。確かおにい様の趣味は読書と囲棋というボードゲームだったと思うけど、父が亡くなってから新しい本を購入する余裕などなかったはずだ。囲棋も一人ではできないものだし、暇を持て余してはいないのだろうか?
っていうか、寒い!
「点火」
私は小声で呪文を囁くと、指先に小さな炎を灯した。それを抱き抱えるようにして、暖を取る。今ならマッチ売りの少女の気持ちが分かりそうだ。ああ、あまりの寒さに、なんだか眠気が──
その時。ぎぃっと大きな音が聞こえて、私は瞬時に覚醒した。術者の集中が乱れたせいで、指先の炎が虚空に溶ける。視線を頭上に向けると、扉の隙間からそっと左右の様子を窺っている兄の顔が見えた。兄はうずくまっている私には気付かないまま扉をもう少し開くと、しゃがんでそっとお盆に手を伸ばす。
「ごきげんよう」
「う、うわぁああっ!」
突然声をかけたせいか、中腰だった兄は驚きのあまり後ろにひっくり返った。
「なっ、なんで……」
「どうしてもおにい様と一緒に食べたくて」
私はすかさずドアが閉められない位置まで膝立ちで滑り込むと、満面の笑みでお盆を差し出した。
「でっでも、この部屋は……人をいえやえゆようなとこよじゃっ……!」
「ダメ、でしょうか……」
しゅんっとして肩を落とした私に、兄は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あ……」
尻餅をついたまま、こちらに手を伸ばす。
その手が私の肩に届くことはなかったが、あとひと押しである。私は両手を口許に近付けると、寒そうにはぁっと吐息をかけた。ちょっと芝居がかりすぎたかな? でもさっきから小刻みに震えているのは、けっこう本気である。
さっ、寒い……!
あまり気が利く方ではない兄でも私が小刻みに震えていることにようやく気付いてくれたようで、慌てて身を起こすと部屋の中を指し示した。
「とっ、といあえず、はいって……」
「はい!」




