第37話 理想の婚約者とは、誰のため(2)
オーヴェール城の一角にある、城主の執務室。その扉の前に立って、クレマンは声を上げた。
「大旦那様、フロランスお嬢様がお越しでございます」
「入れ」
「失礼致します」
返答から一拍おいて、クレマンは執務室の大扉を開けた。
「お嬢様、どうぞ」
言われて私が入室すると、老眼用の片眼鏡をかけて書類に目を通していたおじい様が、顔を上げた。
「どうした」
「先ほど、ジャン=ルイ公子が私の居室にいらっしゃいました」
「そのことか。ちょうど話をしようと思っておったのだ」
おじい様は上機嫌で片眼鏡を外すと、侯爵が執務を行うために用意された重厚な椅子から立ち上がった。クレマンに片手を上げて合図をすると、談話用に用意されているソファの方へと向かう。
「掛けなさい」
「はい」
私は大人しく指示に従い、おじい様の対面に腰かけた。
「ロートリンジュ公爵との協議の結果、お前とジャン=ルイの婚約が内定した。陛下に正式に婚約を願い出るのはお前の社交界デビュー後となるが、ほぼ間を置かず婚姻を結ぶこととなるだろう。結婚後ジャン=ルイはロシニョル家に婿入りし、オーヴェール城で暮らすこととなる」
ルシーヌが用意したばかりのお茶をローテーブルから取り上げて、おじい様は口に含んだ。そのまま一気に飲み干すと、カップを戻す。そして笑いながら言った。
「この上ない良縁ではないか」
確かに、おじい様の言う通り。条件面だけ見るとこの上ないお相手だろう。公爵家の次男坊で、大精霊の加護を持ち、王立学術院を首席で卒業した上、さらに美貌の二十二歳。
だが私は──
「おじい様、私の意見を申し上げてよろしいでしょうか」
「良い。申せ」
「私は……ジャン=ルイ公子とは結婚したくありません。私はあの方が」
嫌いです、とハッキリ言いかけて、私は言葉を変えた。
「私は、あの方が怖いのです。とても妻の御役目など務まろうとは思えません」
「何を言う! 苦言を呈すのは、お前のことを思ってのことなのだ。女子供の目にはそれが怖く映ることもあるかもしれんが、男とはそういう生き物だと理解しなさい。他の男に嫁いだところで、どうせ同じことだ」
確かに、おじい様の言うことにも一理ある。ジャン=ルイは言葉はキツいが、この国の男性貴族として至極平均的な思想の持主だ。だから誰と結婚しようと同じだということは、あながち間違いではない。
だが、たとえ同じ価値観を持っていても、それを直接ぶつけてくる人ばかりではない。オブラートに上手に包んでくれる人だって、少なからずいるはずである。子供心に暴言を浴びせられ続けたトラウマは、簡単には消えないのだ。
「しかし……ジャン=ルイ公子がこの家に入られたら、おにい様のお立場はどうなるのです。彼は次期エルゼス侯爵位を狙っているのでは……!」
テーブルに乗り出すほど前のめりで私が力説すると、おじい様は少し困ったような顔をして、私から視線を外した。
「事情を知っているジャン=ルイが婿入りすれば、お前も、アルベールも、このままずっとこの城で暮らしていくことが出来るだろう。これが当家にとって、現状での最適解なのだ」
そこでひと呼吸おいて、おじい様はぽつりと呟いた。
「……許せ」
いっそ、お前のためだ! とか恩着せがましく言い張ってくれていれば、もう少しゴネることもできただろう。だが、許せ、と言われたのだ。あの厳格で自尊心の塊のようなおじい様に!
──おじい様の決意は固そうだ。
私は最後の抵抗として黙って頭を下げると、ソファを立って執務室を出たのだった。




