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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
三章

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第32話 科学の力でお花ジャム

 良い感じに焼き上がったデコメレンゲを眺めながら、私はまだ満足できずに腕組みをしていた。


 エメのおかげで、メレンゲ自体は文句のない出来栄えだ。可愛いお花のブーケや小鳥たちは他のお菓子に華を添えるトッピングとしても便利で、これまで地味なデザインばかりだった焼菓子界に革命を起こすこと請け合いだろう。


 だがこれだけで、あの海千山千のヴァランタンから十分な専売料を取れるとは、とても思えなかった。よく考えたらこういう見た目だけのアイデアって、パクり放題なのである。


 レシピに対する専売権はあるが、デザインを保護する意匠権なんてものはない。それにこういうアイデアがあるということさえ気づけば、絞り出しの技法なんてヴァランタン商会の菓子職人が本気を出せば容易にたどりつけるだろう。


 これだけではダメだ。何かもっと再現が難しくかつ売れそうな、切り札となりうるものがなければ──


 うーん……ちょっと休憩!


 私は考えあぐねた末にため息をつくと、気分転換に香草茶(ティザーヌ)でも飲むことにした。戸棚に並んだ香草の壺からひとつ選ぶと、傍に控えていたリゼットを振り返る。


「これ、ここで飲んでも良いかしら?」


「すぐに準備致します」


 自分で淹れる気満々だったのだが、私が器具の場所が良くわからなくてまごまごしているうちに……。テキパキと動いたリゼットの手によって、あっという間に厨房の片隅にお茶の準備が整った。


 ありがたく椅子に座って、壺の蓋を開ける。中に入っていた青紫色のドライフラワーをひと(すく)いポットに落とすと、私はリゼットにお湯を注ぐよう頼んだ。


 この香草茶は薄紅葵(モーブ)という花を乾燥させたもので、咳や胃炎に効くと言われているハーブの一種である。


 薄紅葵(モーブ)は、五枚からなるハート型の花びらが可憐な薄赤紫色の花で、花びらを生でサラダにするもよし、葉や茎を茹でて食べてよしという便利食材だ。だが特筆すべきは、乾燥させた花びらにお湯をかけたときの性質だろう。


 ポットの中の乾燥花にお湯を注ぐと、たちまちお湯が真っ青に染まる。乾燥させる前の薄紫色の花びらからは想像もつかないような、鮮やかなロイヤルブルーである。その青いお茶をカップに注いでしばらく待つと、あら不思議。


 濃いサファイアは徐々に淡いアメジストへと移り変わり、やがてかつての花びらを思わせる薄紅色へと変貌する。まるで夜空から朝焼けの空へと移り変わるようなその姿から、この国で薄紅葵(モーブ)のお茶は「夜明けのティザーヌ」と呼ばれていた。


 さて、この夜明けの淡い色も素敵なのだが、最後に仕上げといきましょうか。私はポットの横に用意されていたシトロンの輪切りを摘まみ上げると、カップに絞り汁を一滴垂らした。


 ──その瞬間。

 雫が落ちたところから、ぱあっと鮮やかなピンク色が広がった。


 実はこのお茶の青色の正体は、目に優しいので有名なアントシアニンである。そしてシトロンとは、この国の言葉でレモンのことだ。

 アントシアニンはアルカリ性で青、中性で紫、酸性でピンクに変色するという性質がある。空気に触れて徐々に酸化が進んでいたところに、レモン汁を垂らして一気に酸性へ傾ける。こういう仕組みで、この一連の色変化が楽しめたという訳だ。


 しかし何度見ても綺麗な色だなぁ。この鮮やかな色で寒天ゼリーでも作ってみようかな。以前ロマーニア産の葡萄ゼリーが超高級品として上級貴族の間で流行した実績があるから、モーブゼリーもいけるかも!?


 ……いや、やっぱダメだ。寒天は簡単には手に入らない、とても高価な交易品だ。実物を作ったこともないのにアイデア買ってください! では、買ってもらえる訳がない。


 あとこの色が生かせそうなプルプル系と言ったら、ジャムとかかな。日本ではピンクの薔薇ジャムとか薄紫のラベンダージャムとか見たことあるけど、ガリアではお花のジャムは聞いたことがない。


 あーでも、確か花系のジャムはペクチン添加しないとプルプルのジャムっぽくならないんだっけ。でも私の知ってる限りプルプル系素材は寒天だけで、ゼラチンはおろかペクチンなんて見たことも聞いたことも──


「これだ!!」


 私が突然立ち上がったので、椅子がガタンと派手な音を立てる。隣で目を丸くしているリゼットに気付いた私はコホンと一つ咳払いすると、ごまかすように頼み事をした。


「エメに頼んで(かまど)と鍋の準備をしてもらえる? あとシトロンをふたつ」


「かしこまりました」



 *****



 私は用意されたシトロンの皮をよく洗うと、まず外側の黄色い外皮を包丁で薄く剥いた。次に白くてフカフカの内皮を削り取り、さらに薄皮、果肉、種に分解していく。

 二個のうち一つをリゼットに手伝ってもらいながらなんとか皮と果肉を仕分けると、鍋に沸かしていたお湯で果肉以外をそれぞれしっかりと茹でこぼした。そして皮から苦みが抜けたら、果肉以外を水と一緒に鍋に入れ、蓋をして弱火でしっかり煮込む。

 煮込んだものを布で漉したら、ペクチン液のできあがりである!


 ペクチンとは、動物の骨や皮を煮込んで抽出するゼラチンとよく似たもので、植物の種や皮を煮込むことで抽出できるプルプル成分のことである。このペクチンが使われているものの代表といえばジャムで、ジャムのプルプルの部分がこのペクチンなのだ。


 だがこのペクチンは植物であれば何でも豊富に含まれているわけではない。例えばシトロンのような柑橘類には豊富に含まれていて、マーマレードにはプルプル部分がたっぷりできる。

 逆に花びらにはペクチンが殆ど存在しないので、プルプルのジャムを作ることはできないのだ。二十一世紀の日本で人気の薔薇ジャムなどは、このペクチンを抽出したものを添加して作っているのである。


 二十一世紀であればペクチンは粉末状のものを買ってくるのが主流だが、動物を使うゼラチンとは違い、ペクチンは自宅でけっこう簡単に抽出できる。そうして出来上がったのが、このシトロンのペクチン液なのだ。


 次に薄紅葵(モーブ)から食感の悪いがくの部分を取り除いて青紫の花びらだけを集めると、私は煮立った鍋に花びらを投入した。

 ぱあっと青に染まった鍋の中に砂糖をたっぷり煮溶かすと、先ほど作ったペクチン液の半分と残ったシトロンの果肉から絞った果汁を加えてゆく。たちまち鮮やかなピンク色に変貌した鍋の中身をしっかりと煮詰めると、私は煮沸消毒しておいた空き瓶に、鍋の中身を注ぎ入れた。


 本当はシトロン汁を入れずに綺麗な青でジャムを作れたら理想なんだけど……ペクチン液を凝固させるには、シトロン汁の酸っぱ成分であるクエン酸が必要なので仕方ない。まあシトロン汁には酸化防止剤として使われるビタミンCも豊富に含まれているから、そっちは大歓迎なんだけどね。


 よく成分表に書かれている酸化防止剤(ビタミンC)とは、果実加工品や漬物の変色・褐色化を防ぐ目的で使用される食品添加物である。つまりビタミンCには、完成したジャムの色をずっと綺麗に保ってくれる作用があるのだ。素晴らしい。


 粗熱の取れた瓶を光に透かしてみると、とろりときれいなピンク色の液体の中に、半透明の無数の花びらたちがゆらゆらと揺れている。幸い今は冬なので、寒いところに置いておいたら明日にはしっかりとした固さのジャムに仕上がるだろう。


 実はこの薄紅葵(モーブ)は、夜明けつながりで小夜啼鳥(ロシニョル)と共に我が家の家紋のデザインに採用されている。フレームこそ一般的な盾型だし一応剣も描かれてはいるが、小鳥とお花が目立つ紋章って……武勇を誇る家の家紋としてどうなんだろ? という心配は置いといて、うちの名産品に薄紅葵(モーブ)のジャムはうってつけじゃないかしら?


 私は満足げに笑うと、ふと思いついて戸棚からペタルドローズという香草茶が入った壺を取り出した。華やかな香りで大人気である薔薇の花びら(ペタルドローズ)を使えば、前世で人気だった薔薇のジャムもできるだろう。そもそも乾燥させたものを使わなくても、旬であれば色々な生花からお花のジャムを作ることもできそうだ。


 少なくともこの国には、ジャムのプルプル成分の正体がペクチンであり、それを抽出して他に添加できると気付いている人はまだいないはずだ。これならヴァランタン商会が抱える一流の菓子職人といえど、レシピ無しでの再現は相当難しいはずである。


 これは専売権を売りはしないで、うちで作ってヴァランタン商会には優先的に卸す契約だけにしておこう。私はニンマリと笑うと、目ぼしい香草茶の壺を持って早速鍋へと戻ったのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言]  エメのおかげで、メレンゲ自体は文句のない出来栄えだ。可愛いお花のブーケや小鳥たちは他のお菓子に華を添えるトッピングとしても便利で、これまで地味なデザインばかりだった焼菓子界に革命を起こす…
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