◆王弟ルート恋愛エンド
「これはこれはエルゼス侯爵令嬢、いや、預言の聖女様ではございませんか! 先日のお披露目でのお姿まさに神々しく、不肖の息子なぞあまりの美しさに声を失っておりましたぞ」
「父上、聖女様に対し、なんとお恥ずかしいことを! とはいえ、僕がフロランス嬢に心奪われたことに相違はございません。どうぞ、当家との縁談を……前向きにご検討下さい」
「そうですね。検討いたしますわ」
──とある夜の、王宮主催の舞踏会でのことである。ところで、どちら様でしたっけ? ……そう聞きたいのをなんとか我慢して、私は内心盛大にため息をついた。
予防薬普及のため聖女認定を受けた私は、あれからその価値の真の意味を誤解した貴族達から政略結婚相手として引っ張りだこになってしまっていた。とはいえ二十歳を迎えてそろそろこの国の適齢期では後半戦に差し掛かってきた私には、好都合な状態である。上手く利害を共有し、むしろ応援してくれそうな相手を探すには、候補が多ければ多い方がいいだろう。
だがまだまだ、候補の絞り込みには難航していた。疫病のことをきちんと理解してくれそうな人物は、やはりまだ限られている。そうなると結局、有力候補はアントワーヌ伯爵かフランセル宮中伯に戻ってくる訳なんだけど……。
研究への理解面ならアントワーヌ伯爵が断然だけど、これから他国へも働きかけていくなら何だかんだ根回し力の高いフランセル宮中伯の方が便利かしら。相変わらず腹の立つ男だけど、今ならケンカしつつもそれなりにやっていけそうだ。
結局は貴族の結婚なんて、利害最優先なのがデフォルトだ。以前の私は夢見る子供だったけど、結局は個人的な感情なんて二の次なのだと……ようやく気付いたのである。
その時──私の視界の端に、見慣れた長身が映り込んだ。今日も多くの貴婦人方に囲まれ少し困ったように笑っているその顔には、もうあの白い仮面はない。
ふとこちらを向いた彼と目が合って、私は黙礼を送った。そのままやり過ごそうとした私に、だが殿下は貴婦人方を手で制し、こちらに向かってくるようである。彼女たちは軽く抗議の声を上げ……だがすぐに相手が私であることに気付いたようで、慌てたように礼を取った。
もしかして『聖女』、ちょっと恐れられてたりする? もうちょっと親しみある感じの方がいいのかな……うーん。
私は思案しつつもスカートを掴んで腰を深く落とし、近付く殿下に頭を下げた。
「ベルガエ大公殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう存じます」
「フロランス嬢、久しいな。少し話を出来ないか」
「畏まりました」
「では、あちらで」
殿下が視線で指し示した先は、あのバルコニーにつながるカーテンだった。
*****
「そなたと初めて会ったのは、ここだったな」
「はい」
心地よい春の夜風に吹かれながら、私はなびく後れ毛をかき上げた。まだ少しひやりとする風が、広間の熱気にあてられた頬を心地よく撫でてゆく。
「兄上がご婚約されたそうだな。また後日直接会ったら言おうとは思うが、ひとまず、そなたからおめでとうと伝えておいてくれないか?」
「お心遣い有難う存じます。確かに申し伝えます」
「ああ、頼む。ところで……」
そこで殿下はなぜか言い淀むと、咳払いをしてから言葉を続けた。
「次はそなたの番ではないか? たいそうな数の縁談が届いているそうではないか」
「まあ数は頂いておりますけれど……なまじ聖女などという肩書を頂いてしまいましたから、最適なお相手を見つけようにもひと苦労ございまして」
「そうか……」
「そういう殿下こそ、アクティーヌ公爵令嬢との縁談が持ち上がっているとか。イスパーニア王家の血を引く殿下と南西の国境を守るアクティーヌ公爵家の縁組みとは、この上ない良縁でございますね。心よりお祝い申し上げますわ」
「ああ、あの話なら断った」
「まあ! 当代の社交界の華とも名高き公女とのご縁をお断りするなんて、なんともったいない。……でもそういえば、殿下にも縁談がひっきりなしとのお噂。他に意中のお相手がいらっしゃるなんて、隅に置けませんわ」
「フロランス嬢」
「はい」
「違う、何故私はこうなんだ!」
彼はそう嘆くように言うと、綺麗に整えられていた自分の髪をぐしゃぐしゃと掻く。そうして思い詰めたような顔をすると、こちらへと向き直った。
「フロランス」
いつもと違う雰囲気で名を呼ばれ、私は僅かに身構える。
「は、はい」
「あの日、そなたに求婚を断られてから……何度も、諦めようとした。ただ近くで守ることが出来るならば、そなたが幸せであるならば、それでいいと。……だが、出来なかった」
彼はそこで言葉を切ると、何かを乞うように手を差し出して……絞り出すように言った。
「君を……愛している」
彼のその一言を聞いた瞬間。
私の唇から、慮外の本音がこぼれ落ちた。
「わたしもです……」
打算も、遠慮も、しがらみも──
私を縛っていた全ての鎖は、そのたった一言で吹き飛んで……残ったのはただ、純粋な気持ちだけだった。
百の利点を並べるよりも。
欲しかったのは、ただ、その一言だけだったのだ。
差し出された手に、恐る恐る指先で触れる。刹那、ぐっと強く手を引かれ、気付けば彼の腕の中にあった。布越しにも伝わる温もりが、私の肩を包み込む。
「どうか、君の描く未来を……隣で見せてはくれないか?」
低く掠れた声が響き、ごく近くで私の耳朶を震わせた。
「はい……」
そう小さく答えると。
息が止まるほどに強く抱きしめられて、私は身悶えた。
「っ……くるしい、です」
「す、すまない」
慌てて身体が離される──それを名残惜しく感じてしまった自分に気が付いて、私は赤く染まった顔を伏せた。だがすかさず大きな手が伸びて、私のうなじを絡めとる。見上げた先で彼の熱を帯びた瞳に射竦められて、思わず身を固くした。その時──。
唇をかすめる、温かな感触……それが何かを理解する前に、私は呼吸を奪われた。咄嗟に息を求めて逃げ惑う唇は、あえなく再び囚われる。やがて深まる熱から甘い痺れが広がって、私は抵抗をやめた。
――どれほどの間、そうしていただろうか。ようやく離れた唇に、名残惜しそうに熱い吐息がかかった。
「ああこれは、夢では……ないのだな。ずっと、愛していると、伝えたかった。だが好きでもない男に、それも無駄に力だけはある男に、狂おしいほど求められているなどと知れたなら……恐怖すら感じさせてしまうのではないかと思うと、どうしても、言えなかった」
黄玉の瞳に真っすぐに見つめられて、何か言わねばと唇を震わせる。だがそれは言葉にならなくて、私は己を恥じた。この人は勇気を出して伝えてくれたのに、私はまた、逃げるのか。私はごくりと一つ喉を鳴らすと、今度こそ強く、開く唇に力を込める。
「……あのとき、貴方から妻の役目を求めないと言われて、私は落胆してしまったのです。この方が私に求めているのは妻ではなくて、医療者としての私だったのだ、と。でも本当は、私自身を求めてくれたらいいのにと……そう、思っていました」
「それは……我ながら、卑怯な詭弁だったな。他の男のものとなってしまわないように、まずは掌中に収めておいてから……いつか自然な流れで本当の夫婦となれればよいと、そう、考えてしまったのだ。だが……伝えても良かったのだろうか? 初めて会った時から、ずっと想わない日はないのだと。その後も知れば知るほどに、どうしようもなく君に惹かれてゆくのだと。本当は……ひと時だって、この腕の中から離したくなどないのだと」
「もしあの時、そう言ってくれていたのなら……少しでも一緒にいられる方法を、考えましたのに」
「まさか……!」
「……いえ、貴方だけのせいにすべきではありませんね。結局は私も、一方的に期待してから拒絶される、勇気がなかっただけなのですから」
好きであることを自覚してしまったら、また、がっかりして傷付いてしまうかもしれない。だから、自覚してしまいそうになるたびに、一歩引いて、気持ちを抑え込むことにした。
別に、この気持ちはそんなものじゃない。
だから私は、傷つかない――
「勇気……か。私も同じだな。恐がらせたくないなどと言い訳をしながら、結局は、拒絶されて自分が傷つくことを恐れていた」
殿下は不意に私を抱きしめると、哀願するような声音で言った。
「必ず誰よりも幸せにすると約束するから、ずっと傍にいてくれ。二度と離れないでくれ。愛してる。愛しているんだ……」
「殿下……」
「フロランス……どうか、名で呼んでくれないか?」
「……セレスタン様」
その名を口にした瞬間。一層強い力で抱きすくめられて、私は涙をこぼした。なぜ涙が出てしまったのかは、わからない。でも確かに今、私は幸せだった――。
*****
こうして私は、デビュタント、そして聖女の認定式に続き、三度目の白いドレスを身に纏うこととなった。父親代わりの黒い礼服を身に纏った兄の手を離れ、新たに家族となる人の腕を取る。白い礼服に身を包んだセレスタン殿下は、私を見つめて微笑んだ。
誓詞を唱え終えた法王聖下が、参列者に届かない程度の声音でぼやく。
「まったく、散々皆をやきもきさせてくれたものであるが、其方らもようやく年貢の納め時よのぅ」
「そ、そんな風に見えていたのか……」
「知らぬは当人ばかりなり、であるな。年寄りには刺激が強すぎるゆえ、さっさと終わらせてしまおうぞ」
「すまん」
そう生真面目に返す夫となる人の姿に、私は思わず声を上げて笑った。
私の新しい人生は、ここから始まるのだ──。
fin




