次男の憂鬱(再従兄)
「なぜ、僕だけ行かなければならないのですか!?」
食い下がる僕に、だが父は渋い顔をして言った。
「我儘を言うな。貴族の男子に生まれた以上、学術院への入学は義務なのだ」
「義務? 義務だと言うのなら、兄上が行けばいいではありませんか!」
「長男は次期当主として、当主の傍で学ぶという別の義務がある」
「生まれた順番で決まる……そもそも、それがおかしいのです! 兄上なんかより銀眼を持つ僕の方が、武術も法術も完璧な僕の方が、爵位を継ぐのによりふさわしいはずだ!」
「大馬鹿者が!! 継承順の乱れは家を乱し、やがては国家を乱すのだ。そんなことも分からんお前に、当主が務まる訳もない。王都でその思い上がった頭を存分に冷やして来い!!」
この国の貴族に生まれた跡取以外の男子は、十歳からの七年間を、王都にある全寮制の学術院で過ごすこととなっている。だがそこに送られることに、まだ幼かった当時の僕は不満を抱いていた。
感情のままに父の執務室を飛び出した僕は、母の住まう別棟へと向かって駆け出した。厚い板硝子がはまった窓は僕の背丈には少しだけ高いところにあって、拾った小石を投げつける。
それがコツンと音を立て、待つことしばし。窓際に現れた人影は、僕を見つけて嬉しそうに手を振った。
僕はポケットからくしゃくしゃになった羊皮紙を取り出すと、人影に向かって意気揚々と広げてみせる。
「見てください、母上! また満点を取ったのです。先生もこんなに出来る生徒は初めてだと、今日もまた褒めて下さいました!」
母はニコニコとしながらうなずくと、小さく口を動かした。だが間を隔てる硝子は厚く、か細い声はこちらにほとんど届かない。
肺病を患う母はもう何年も別棟に隔離されていて、窓ごしにしか会話を許されていなかった。だがそれでも、顔を見られるだけで良かったのだ。
本当は、当主の座などどうでもよかった。遠い王都へ行きたくない、ただ、それだけだった。このところどんどん痩せゆく母のそばを、まだ幼い僕は離れたくないだけだったのだ。
だが無力な子供の抵抗はむなしく、結局、僕は王都へと強制的に送り出された。
そしてその次の夏。母が急死したという知らせを受けたのは、その死後七日目のことだった。
もちろん、連絡をあえて遅らされたという訳ではない。ただ領地から王都への道のりは遠く、七日という時間は早馬の到着に必要な日数だったというだけの話である。
僕は急ぎ領地へと向かったが、再び真夏の七日を数える間に、母の埋葬は終わっていた。
僕の恐れていたことは、これだったのだ。僕は母の最期の顔を見ることすら、叶わなかったのである。
*****
喪が明けた父が迎えた新しい妻は、無難で無害な人だった。まだ現役の続く当主の社交に夫人の存在が不可欠であることは、十分に理解している。だがとうに実家から足が遠のいていた僕は、今年も長期休暇を隣領のオーヴェール城で過ごしていた。
この城の主は不遇の次男として生まれながら、槍一本で侯爵位を勝ち取った傑物である。そんな大叔父上を尊敬してやまない僕は、休みの度に稽古をつけて頂いていたのだ。
その日の鍛錬を終えた僕が井戸端で水をかぶっていると、後ろから舌っ足らずな声が掛けられた。
「ねぇ、囲棋を教えてよ! 明日ならいいって、昨日約束したえしょ!」
この再従弟はまるで幼子のような喋り方をするが、僕の四つ下の九歳である。何度やっても祖父に勝てないというその再従弟は、祖父と対等に渡り合う僕に囲棋を教えてくれと言っては、チョロチョロと後をついて来るのだ。
僕は髪を拭きながら大きくため息をつくと、渋々答えた。
「仕方ないな。着替えてくるから部屋で待っていろ」
――数十分後。
愕然とした顔で盤面を見つめる再従弟を見下ろしながら、僕は鼻で笑ってやった。
「この程度でこの僕に勝負を挑むとは、片腹痛いな」
青一色に染まった陣地は、僕の圧勝を示している。
今年成人を迎えたというのに、子供相手に本気を出して大人げないとでも言うだろうか? だが僕は、この再従弟に格の違いというものを見せつけてやりたかったのだ。
この子供は何の努力もせず、ただ長男というだけで、大叔父上の努力の結晶である爵位を引き継ぐのだ。その上で僕と同じ、銀の瞳まで持っている。
全てに恵まれた環境で、ただぽやぽやと生きている。そんな再従弟に現実を見せてやろうとしたのだが。
「もっかい! もう一回だけ!」
「駄目だ。何でこの僕が、面倒くさい」
「ねぇ、お願いってば! あと一回だけだかや!」
うざったくなった僕はまたボコボコに負かしてやったが、それでも再従弟は何度も何度も食らいついてきた。
まあ、これはこれで……不肖の弟ができたようで、悪くない。
*****
翌年の休暇もオーヴェール城へと向かった僕は、いつものように再従弟とテラスで囲棋を打っていた。だが今日の対戦相手は、ずいぶんと覇気のない様子である。
「どうした、いつもの勢いは。もう飽きたのか?」
「ち、ちあうよ! ぼく、まだ中級呪文がうまく唱えあえなくて……先生はあせあなくていいって言うんだけど、アンイはもう使えゆっていってたし、ここんとこずっと気になってて……」
うつむく再従弟に、だが僕は思いきり鼻で笑った。
「ハッ、中級呪文だと!? お前は僕と同じ、神に選ばれし人間だろう? 所詮は中級以上の呪文など、大した法力も持たない凡夫共が、わざわざ長い呪文を唱えて苦し紛れに使うものなのだ。中やら上やらの呪文を自慢してくるような阿呆がいたら、お前の初級呪文で消し炭にしてやれば良い!!」
僕が自信たっぷりに言い切って見せると、再従弟は小さく苦笑しながら礼を言った。
「……あいあとう、りゅイ。でも……貴族殺しは重罪やよ?」
「物の例えだ、馬鹿者」
*****
あの再従弟が病に臥せったと聞いて、僕は慌ててオーヴェール城へと向かった。だがそこに待っていたのは病身の再従弟ではなく、ただ開かないだけの扉だった。
祖母から軽く事情を聞いて、僕は心底腹が立った。
僕と同じ銀眼という素晴らしい才能を持っているくせに、あのような雑魚共相手に負けただと!?
侮辱してくる奴がいるのなら、それ以上にやり返してやれば良い。なぜ、やられっぱなしで縮こまってやらねばならぬのだ。
「この、軟弱者が!!」
腹立ちのままに、僕は再従弟のこもる部屋の扉へと怒りをぶつけた。これだけボロクソに言ってやったのだ。すぐに腹を立てながら飛び出してくるだろうと、僕はたかを括っていた。
だが、扉は開かなかった。
まもなく学術院を首席で卒業した僕は、ほぼ時を置かずしてエルゼスの領主代行に任じられた。あの大叔父上も、父上さえも、僕を推してくれたのだという。
僕は奮い立った。父の、そして兄の鼻を明かしてやる絶好の機会ではないか。兄なんかよりこの完璧な僕の方がやはり領主に相応しかったのだと、証明してやるのだ。
だが現実はそう、上手くはいかなかった。日々悪くなりゆく状況に、僕はますます焦りを募らせて行くこととなる。
今日も返事のない再従弟に苛立ちながら城の廊下を歩いていると、角を曲がったところで小さな影にぶつかった。
「ごっ、ごめんなさ……」
こちらに気付くなり消え入るような声で謝る再従妹に、僕は込み上げる感情をそのままぶつけた。
「お前は、謝ることすらまともにできないのか!?」
「もうしわけ……ありません……」
その蚊の鳴くような声に、僕は大きくため息をついた。
「もういい。お前なんかに期待した僕が馬鹿だった」
この程度で簡単に涙を浮かべる再従妹を、僕は冷ややかに見下ろした。ただただ泣いて、誰かが助けてくれるのを待っている。十歳の頃の僕は、こんなに無力だっただろうか。
泣いていれば、当然男に助けて貰えると思っている。まったく女というものは、お気楽で羨ましい生き物だ。
*****
領主代行としてこの地で過ごす、最後の日。四年余りを過ごした執務室で終業の鐘を聞きながら、僕は席を立った。
「今日で最後だね。……お疲れ様でした」
そう言ってどこか寂しそうに笑う再従弟に、僕は不敵に笑って見せる。
「僕は、宰相になる」
「宰相に?」
「ああ、見ていろ。上り詰めた暁にはエルゼス侯爵に便宜を図ってやろう」
自信たっぷりに言い放つ僕に、再従弟は今度は明るく笑った。
「はは、期待してるよ!」
「さてお前は、この僕が出来なかったことを、果たしてやり遂げられるのか?」
「残念ながら、ぼくは君より上手くやってみせると断言するよ。だって、この領地のことを誰よりも大事に思っているからね」
そう言ってニヤリと笑う再従弟に、僕はそっくりな笑いを返す。
「そうか……ならば、やってみせろ。一応期待はしておいてやる。それに、お前の妹も……もう、ただ泣いているだけの無能ではないようだからな」
その翌日、僕はエルゼスを後にした。
悔いがないといえば、嘘になる。もっと上手くやれたのではないかと、もっと力を尽くせたのではないかと、全く思わないと言ったら嘘になる。
だがその時。
僕は確かに、満ち足りた笑みを浮かべていたのだ――
おしまい




