141話 聖都アンダーグラウンド
カタロニアでの滞在も数日が過ぎ、いよいよ聖女認定の式典が明日に迫っている中で。式典のリハーサルを一通り終えた私は、今日の夕方に行われる民衆向けのデモンストレーションが始まる時間まで一休みしておこうと、割り当てられた宿坊の方へと向かっていた。
もう何度か歩いているこの廊下は、フィリウス教の総本山である大聖堂の、本堂の方から宿坊のある棟へと向かう通路となっている。広めの通路の左右には数メートル置きの等間隔に鉄鎧が装飾として並んでいて、雰囲気は教会というよりも、まるで武家の館のようだ。初めて来たときは驚いたけど、フィリウス教はそもそも解放軍が母体だから、こんなものなのだろうか。
テロを警戒して法術師の本山への同時入山は三人までだとか、聖女候補の命を前法王派の残党が狙ってるだとか、そんな事前情報からすごく警戒しながら聖都入りしたのだが――今のところは特に危ない目に合うことはなく、嫌味を言われることもなく、むしろ歓待を受けている状態だった。聖下はビアンカ姐さん経由で散々脅してくれたけど、上手く調整してくれていたということなのだろうか。
「なんか、思ったより平和ですねぇ……」
「ああ。だが、油断は禁物だろう」
全てが順調で油断しきった私が思わず呟くと、だが右隣を歩いていた大公殿下は慎重な声音で応えた。
なお今ここに居ない兄は、リゼットと共に明日の式典で私が着る衣装の最終チェックの方へと向かってくれている。実は法術師ではない使用人はもっと連れて来てもいいのだが、多すぎてもいざというとき人質に取られたら困るので、最低限リゼットだけに付いて来てもらっていたのだ。
リゼットは自分に護衛など不要だと遠慮していたけれど、いざとなったら見捨てられるわけがない。だが私の荷物やドレスの管理などを行ってくれる人は必要だし、式典でドレスアップする際にも初めて会うカタロニアの侍女さんだけでなく私の髪質をよく知っているリゼットには危険を承知で付いてきて貰っていたのだ。
「でもフィリウス教の皆様、なんだかどなたもすごく好意的ですよね。ただの肩書だけ聖女をわざわざ暗殺しようだなんて、杞憂だったのでしょうか?」
「だといいのだが……私は、先ほどから何か妙に気にかかる」
「気に……?」
まだ警戒を解いていないらしい殿下に、私は首を傾げた――その時。
噂をすれば影が差すとはいうが、それは突然やって来た。廊下に並ぶ鎧の飾りが数体、急に動き出したかと思うと、こちらへと槍の穂先を向ける。私の理解が間に合わないうちに、うち一番近い一体が先陣を切るかのように、素早く前へと踏み込んだ。
「魔女め、滅せよ!!」
なるほど、歓迎するフリで油断させといて、銀眼持ちのおにい様が私から離れる瞬間を待ち構えていたということか。こんな超古典的な罠にかかるなんて……飾り物の鎧が動き出すとか、ベタすぎて全く考えていなかった!
すっかり固まってしまった私の腕を瞬時に掴んで引っ張ると、殿下は繰り出された長槍を自らの左脇腹で受ける。そのまま槍の首を掴み力ずくで穂先を抜き取ると――ふところ側へとぐっと引き込み、足を振り上げ勢い良くその長い柄を踏み付けた。
「っな!?」
手中から強引にもぎ取られるかのように長柄を地面へ叩きつけられ、襲撃者は一瞬強く狼狽える。その隙をつくように、彼は槍の穂先側を掴んだまま石突で襲撃者の眉間を打ち抜いた。
ごずっと鈍い音が響くと、襲撃者はたまらず膝から崩れ落つ。だがそのまま沈黙した男を踏み越えて、数体の鎧が続々と槍を構えた。向かう殿下は穂先をくるりと向こうへ向けつつ利き手に持ち替えると、左腕で私を庇うように抱き寄せる。
「殿下、血が!」
「構わん、離れるな!」
間髪入れず、次の一撃が伸びてくる。彼は長槍を片手持ちのまま操って、輪を描くようにそれを絡め落とすと。隙を突くかのように踏み込んで、穂先で兜を横殴りに薙ぎ払った。
ぐわんっという大きな金属音と共に、ひしゃげた兜が弾け飛ぶ。長槍を片腕で操るなんて、一体どれほどの膂力があれば出来るのだろう。その一撃を受けた中身は廊下の壁に激突し、そのまま沈黙した。
そこへ、ガシャガシャという金属音に紛れ……後衛の詠唱が響く。だが完成した呪文を実行しようと、鎧が手を振り上げた瞬間――殿下は前衛の槍をいなしつつ、足元に転がる兜を後衛に向けて蹴り飛ばした。不意に顔面へ鉄塊の猛襲を受けた後衛は、くぐもった声と共に後ろへと倒れ込む。
その間、私は何もできないままである。肩を抱き竦められたまま、できるだけ邪魔をしないよう付いていくのが精一杯だ。呪文でサポートしようにも、適した型も、タイミングも分からない。
そもそも呪文の発動には、正確な発音が必要だ。呼吸が重要となる前衛職が呪文を織り交ぜて戦うのは、熟練者でも難しい。だが殿下は一息に呪文を組み上げると、叫んだ。
「炎の矢!!」
頭上に現れた無数の炎の矢が、続く実行命令と共に解き放たれる。それが鉄鎧たちへと降り注ぐと――着弾箇所を赤変させた板金鎧の内部から漏れ出すように、肉の焦げ付く異臭が辺りに漂った。
熱板を纏い、のたうち回る鎧たちに恐怖を覚え、私は思わず目を逸らす。その刹那――
「地獄へおぢろおおおお!!」
ひときわ大きく怨嗟の声が響いたかと思うと、急に足元の石床が崩れ去った。暗い奈落が口を開け、浮遊感に包まれる。
思わず身体を丸めると、頭を庇うよう何かに覆われた、刹那――。
強い衝撃が全身を襲ったかと思うと、しばし呼吸の仕方が分からなくなって、私は口をはくはくさせる。この様子なら、落ちたとしてもほんの数メートルだったはずだ。なのに、なんで、息が……!
「落ち着け。一回息を止めて、ゆっくり三つ数えるといい」
背に手を当てられながら言われた通りに息を止め、ゆっくり呼吸を再開させる。
「……大丈夫か?」
「はい、ご心配おかけし……」
そう答えつつ身を起こそうとした、その時。ドレスにべったりと血がついていることに気が付いて、スイッチが瞬時に切り替わった。痛みも恐怖も消え去って、素早く周囲の状況を観察する。
そういえば、フィリウス教の総本山には、奈落と呼ばれる広大な地下遺跡があると聞いたことがある。今はそれを本山に入り込んだ異教徒や背信者を落とすために使っているという『怖い話』を聞いたことがあるが、バカげた都市伝説の類いじゃなくて、本当の話だったとは。
その伝承が全て正しければ、ここはかつてピレネオスの山間まで追い詰められた人族の手によって、魔族から隠れ住むために作られた地下施設のはずだ。照明代わりの点火を灯すと、周囲には半分が干からび半分が白骨化した遺体たちが転がっている。
こんな古典的な落とし穴なんてバカみたいと思ったけれど、もしやこれが、ここに落ちた背信者たちの末路では――
私は一瞬もたげかけた恐怖を、意思の力で押し込める。今は余計なことを考えている時間はない。ひとまず目に見える危険はないようだから、今優先すべきは殿下の傷の止血だ!
早速傷口を特定しようと、上衣をよけてシャツの裾を捲くり……だが私をまず驚かせたのは新しい創傷ではなく、鍛え抜かれた身体を覆う無数の古い傷痕だった。ここには斑点病の瘢痕も紛れているのかもしれないが、それすら霞むものだろう。
ひとたび王族が傷を負えば、たとえそれが擦り傷ほどであろうとも、誰より早く治癒される。だが傷を負うたび誰より早く治るということは、誰より早く戦場に戻り、戦い続けるということだ。
前の防衛戦争のときだって、身近な人が負傷した姿を直接見ていなかったから、実感がわいていなかった。でもそうだ、私の前に現れた時には、もう治療済みに決まってる。殿下も、おにい様も……「強いから大丈夫」だなんて、なんで思い込んでしまっていたのだろう。
だがいくら本人が強くても、強力な治療呪文があったとしても、運が悪いということはある。これまで彼が戦場で生き延びてこられたのは、実は奇跡だったのではないだろうか。そしてこれからもこの人は、前線へと立ち続けるのだ。
私は未だ、本当には理解できていなかった。セーブもリセットもない戦場に送り出すという、意味が。次に殿下が任地へと向かう時、笑って「お疲れさまでーす」なんて、果たして言えるだろうか。
「泣くな、フロランス。私がここでそなたを残して、死ぬことはない」
……患者さんの前で涙を見せるなんて、私は医療者失格だ。しかもその微笑む顔を見て、思わず心臓が跳ねてしまっただなんて――
「……アルベール卿に、そなたを絶対に守り抜くと約束したからな。必ず無事に、家族の元へ帰す、と」
――ああやっぱり、そういうことよね。……その気がないなら思わせぶりなこと言っちゃダメって、マジで法律で規制してほしい。
想定外に深い傷口から、これ以上の血が溢れてしまわないよう処置を続けながら……私は、口を開いた。
「殿方はなぜ、すぐに武力で解決しようとするのでしょう。私たち医療者はいつも、目の前のただ一人をなんとか救おうと、必死なのだというのに……」
「……なぜだろうな。私にも分からない」
意識レベルの確認を兼ねて、そんな会話をぽつぽつと交わすうち……ある程度の血は止められたようだが、無治療の状態がこれ以上長引くのは危険である。
――なんで私は、治療呪文が使えないの!?
これまで何度も覚えた無力感に歯噛みしつつも、そろそろ移動をと、立ち上がる。その一瞬――めまいを覚えたらしい長身を咄嗟に支えて、私は言った。
「やはり、もう少し休んでから行きましょう!」
「いや、大丈夫だ。もう治まったから、心配する必要はない」
「でも……!」
そう言いかけたものの、どのみち治療までの時間がかかるほどに危険である。ならば、速やかに脱出した方がよさそうだ。
「では、私に掴まってください」
「いや、しかし……」
「大丈夫ですから!」
遠慮している様子の殿下の腕をつかまえると、担ぎ上げるようにして自分の肩に回す。いくら体格差があったとしても、全く支えがないよりマシだろう。
だが落下地点から離れて、より暗い通路の方へと進むべきか迷っているうちに……こちらに近付く気配があった。瞬間、遠慮がちに肩に載せられていた腕に力が込められ、警戒するように引き寄せられる。
そこへ暗闇から燭台を手に現れたのは、この地では僅かな旧知の顔だった。
「バレリオ助祭様……!」
バレリオ助祭は、確かエヴァンドロ司教が本山へ戻った直後にエルゼスから異動になっていたはずだ。スパイ自体は無自覚で害意はなかったらしいとはいえ、彼が生粋のマルコス前法王派なのは確かなはずである。それが何故こんなところに? もしや、私達にとどめを刺しに来たのでは……!
身構える私達に、だが助祭は言った。
「ここから出して差し上げます。私を信じて下さいますか?」
「なぜ!? 貴方は前法王派では……」
「エルゼスにおける貴女の行いを、私はずっと直にこの目で見て参りました。その姿こそ、真に民を想うもの……そんな貴女を『派閥の勢力争い』などという愚かな理由で害することなど、けして正しい行いではない!!」
力強く言い切る助祭に私は泣きそうになりながら、なんとか礼を言う。
「バレリオ助祭様……ありがとう、ございます」
「盲信するだけが信仰ではないと、貴女が教えてくれたのです。貴女こそが、真に聖女と呼ばれるべき人だ。さあ、こちらへ!」




