137話 昼行灯よ夜を照らせ
あれから予防薬を受け入れてくれる領を、王家の協力のもとで数か月の時間をかけて地道に増やしているうちに。西大陸の南西部にある国々で、とうとう斑点病の大流行が始まった。どうやら南大陸の方から交易を通じ、従来型より強力な変異株が上陸したらしい。
想定よりも早い流行の始まりに、私は焦った。まだ、予防薬の普及が充分とは言えなかったからである。だがその中でもいち早く接種を推進していた北東、及び南部沿岸諸領が大幅に初動を抑えることに成功していたことは……世論に大きな変化をもたらす切っ掛けとなった。
この予防薬は、感染して四日目程度までなら重症化を防ぐ薬としても作用する。その事実は感染に心当たりのある人々を接種へと呼び寄せる強い動機となり、予防薬に対する印象は徐々に変わりつつあったのである。
予防薬の受け入れに慎重になっていたガリア中部、そして南西部の領主たちも、その状況を見て次々と方針の転換を始めていた。そこでいよいよ、あのお方に動いてもらう時が来たのだ。
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「――というわけで、予防薬の存在を大々的に発表するのは、まさに今でしょ! ……と、思いまして。それに『エルゼス司教エヴァンドロ猊下』といえば、今やすっかり『新たなる預言の乙女』を見出して、そして導きを与えた司教として、民からの知名度も人気もうなぎ登りですわ!」
私はエルゼスの司教館にある一室で、エヴァンドロ司教、そしてビアンカ姐さんと午後のお茶のテーブルを囲みながら、にっこりと笑って見せた。
「後はよろしくお願いいたします」
「フフン、吟遊詩人による『宣伝』とやら……まさかこれほどの広範囲で、その効果が観測されるとは思わんかったぞ。民衆は常に劇的な話を求めてはおるが、まさか本当に、ここまでの期間でやりおるとはな」
どうやら姐さんたちの諜報ですでに情報を得ていたらしい司教が、ニヤリと笑った。
「だが約束してしまったものは仕方ない。面倒だが、玉座に座ってやるとしようかのぅ」
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エヴァンドロ司教の協力を取り付けることに成功すると。ここで私は、重ねてもう一枚のカードを切ることにした。ガリア王国の状況を一枚の手紙にしたためると、今でもたまに文通しているヴュルテン公へと、使いを送る。
それから一週間と経たず。勅使としてゲルマニア女王メルツェーデス陛下からの書状を携えたヴュルテン公ウルリヒ閣下が、オーヴェール城へと訪れた。今日の服装はいつものラフな法衣姿ではなく、あのタワンティナで魔王陛下に謁見した時と同じ――正装である。
魔公爵閣下は兄の前で正式な手順に則り書状を読み上げると、一転してニヤリと笑って付け加えた。
「ただし、ロシニョル家がエルゼスの領主である間だけよォ? 他家のものになったらすぐに取り戻しちゃうんだから、ヘマして改易になんてならないでよネ」
ルウィン川沿岸における瘴気病の発生は、エルゼス側だけでなくバルデン側にとっても毎年の流行が悩みの種だった。そこにもたらされた特効薬の効能に、さらに斑点病の予防薬を加えたことで、魔王国の重鎮たちを動かすことにも、成功したのである。
こうしてエルゼスは、ゲルマニア女王から正式に割譲を認められることになり……同時にそれは歴史上初めて、人族の国と魔族の国との間に、正式な講和が成立した瞬間となった。
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国王陛下への異動のご挨拶という名目でパリシオルム宮殿を訪れていたエヴァンドロ司教と共に、私はもう何度目かになる、議場への呼び出しを受けていた。
会議の日の朝、私はエヴェンドロ司教に会って驚いた。髪と口髭を整え、いつもの気だるげなダラっとした雰囲気を改めて、ただ堂々と立っているだけなのに……急に『ドン・エヴァンドロ』って感じに見えてくるから、驚きだ。体型も相変わらずのはずなのに、印象が「メタボ気味だな〜」から「貫禄あるな〜」に変化している。やっぱり老若男女を問わず、身に纏う雰囲気ってとても大事なものなのだろう。
そして上級貴族を一堂に集めて始まった会議では、案の定……再度持ち上がった私の聖女推薦の是非が霞む勢いで、魔王国との講和条約締結が物議を醸しまくっていた。
「このエルゼス領の独断専行は、全人類に対する裏切り行為ではないのか!?」
「しかし歴史的に見ても、魔族が割譲を公に認めるほどの譲歩を見せたのは、エルゼスが初めてのことではないか。千年の長きに渡る戦時が、ようやく終わるのだ!」
「しかし、かの神からもたらされた薬を魔族共に渡してやったなど! 魔族共がことごとく斑点病に罹ってしまえば、攻め滅ぼすことすら可能だったのではないか!?」
口々に叫ぶ貴族たちの間を縫うように、私は皆に聞こえるよう頑張って声を上げた。
「ゲルマニアはすでに第二次エルゼス防衛戦の直前に、斑点病の国内流行を経験しております! 次の大流行など、魔人の長き寿命を考えましたら数百年後にあるかしら? というところでしょう」
すると叫んでいた貴族の一人が、こちらを向いて問う。
「魔人の寿命は長いらしいが、どのくらいか知っておるのか?」
「三百年と伺っております」
「三百とは……なんと」
「だが異端審問の対象となろうことは、間違いないのではないか!?」
私がどう答えたら良いのか迷っていると、代わりにエヴァンドロ司教が口を開いた。
「いや、講和の件もワシの功績に加えてよいのなら、異端審問官どもは上手いこと黙らせてやろうぞ。あとはフロランス嬢が聖女認定の儀にて、民衆の前で誰もが黙る奇跡を示せばよい。さればエルゼス侯爵令嬢は『魔族をも心酔させる奇跡の存在』として、歴史と民心に刻まれよう」
「だ、誰もが黙る奇跡でございますか!?」
突然の無茶ぶりに私は思わず声を上げたが、だが司教はニヤリといつもの笑みを浮かべて返す。
「その通り。だがそなたなら、出来る事ではないのかね?」
いやいやいや、簡単に言ってくれるけど、そんなの難しすぎない!? でも、それでどうにかしてもらえるのなら……なんとか策を練るしかない。
「……かしこまりました。推薦を受けるための準備をいたします。なので猊下も、『聖下』となられるご準備を」
「まぁ、楽隠居する前に、一丁やってやろうかのぅ」
そう言って笑う司教の横で立ち上がったのは、兄である。
「偉大なる国王陛下、発言をお許しください」
「エルゼス侯爵アルベール卿の発言を許す」
「はい。妹の聖女認定が失敗した場合、エルゼス領は破門となる恐れがございます。万一そうなった場合……どうぞエルゼス侯爵領を、魔族に寝返りし地として切り捨て給いますように」
「それは、このワシはエルゼスの巻き添えを食らうということではないのか? ……まあよい。しくじらんようやるだけだわい」
げんなりとした顔でぼやく司教を尻目に。陛下は深くうなずきながら、まるで決意するかのように口を開いた。
「……侯爵の覚悟も決まっておるようだな。それではガリア王国として、エヴァンドロ司教の後援、次いでフロランス嬢の聖女推薦を、正式に行うことを決定する」
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こうして『史上初の予防薬を普及に導いた功績』と『史上初の魔王国との講和に導いた功績』という二枚の看板をしょって、エヴァンドロ・ダ・シルヴァ枢機卿はフィリウス教の総本山にしてカタロニア法国の首都、かつ聖地である、聖都アルドラへの帰還を果たした。
さらなる泥沼と化していた政争の舞台に斬り込んで行った新勢力は、周囲の派閥を吸収しつつ急速にその支持基盤を拡大。そして、近づく現法王の任期満了に伴う選挙へと、エヴァンドロ枢機卿が出馬を表明したところで――神に守護されしはずの聖都にまで、斑点病の魔の手が侵入したのである。
ピレネオス山脈の山間に存在する聖都アルドラは、かつて人類最後の砦と呼ばれた、始まりの法術師たちの隠れ里が起源とされている。だがそれほど険しい天然の要害であっても、僅かな人流がもととなる疫病の侵入を、食い止めることは出来なかったのだ。
だが予防薬を接種していたエヴァンドロ派に属する人物がその病魔に侵されることはなく……対するマルコス派は、その中心人物が次々と病に倒れる事態となったのである。
そしてとうとう、現法王マルコス一世聖下の崩御という大事件が起こり――急遽行われた補選の結果、ついに新法王エヴァンドロ一世聖下が誕生することとなったのだった。
「喪中ゆえ華々しい即位式が行えなかったことに、聖下はがっかりしていらっしゃるのではありませんか?」
エルゼスまで事の顛末を伝えに来てくれたビアンカ姐さんに、そう私が問うと……新たな法王聖下は少しだけ寂しそうに、長年の好敵手に対しこんな愚痴を漏らしたとのことである。
『マルコスの奴め、正面きって選挙で打ち負かし、悔しがる姿を見て大笑いしてやりたかったというのに……まったく、最後の最期で、張り合い甲斐のないヤツよのぅ……』




