136話 物証も証言も証拠です
議場の扉前に控える衛兵から見えない位置まで廊下を歩くと、私はようやく深い安堵のため息をついた。
ああ、緊張した……。別に悪い事をして呼ばれた訳じゃないのに、偉いおじさん達に囲まれているだけで、やたらと緊張するのは何故だろう。陛下は言わずもがななんだけど、なんかこう、バティストおじ様といい、ドナティアン宰相閣下といい、すごく圧があるのよね……。
グレゴワール閣下は若くして三大公爵なんて爵位を継いだから気がはやっているのかもしれないけど、黒幕感のあるお二方に比べたら、あの程度のイヤミなんて可愛いくらいかもしれない。
さて、このままさっさと一人で帰ろうか、それともおにい様が議場から出てくるのをどこかで待たせてもらおうか等と考えながら、大回廊を歩いていると。響いてきたその声は、先に議場を出たル=マンディエ公爵夫妻のもののようだった。どうやら角を曲がった先にいるのか姿は見えないが、なんだか喧嘩しているような声である。
「お前があの時逃げ出したりするから、この私が恥をかかされたではないか!!」
「で、でも、あなたが急ぎ王都から離れるからお前も来い、と……」
「お前はっ、私が悪いとでも言いたいのか!?」
「いいえ! お、お赦し下さいませ!!」
その不穏な声に慌てて角を曲がると、公爵に膝の辺りを蹴り付けられて、夫人がよろめく姿が見えた。あれ……DVじゃない! そう考えた私は、咄嗟に駆け寄りながら声をかける。
「これはル=マンディエ公爵閣下にベランジェーヌ様! ご機嫌よろしゅう!」
他人に現場を見られたら、流石に気まずくなって落ち着くだろう……だがそんな私の思惑は裏切られ、公爵は更に激昂したようだった。
「お前は……エルゼス侯爵令嬢ッ! そもそもお前がシャルルを助けなければ、いずれ我が息子に王位が回ってきたものを……!!」
「なっ……なんですって!?」
思わず驚きの声を上げた私に向かい、公爵は利き手を振り上げる。
「お前さえ、いなければッ!」
「あなたっ、だめ!」
だが公爵は縋り付く夫人を振り払うと、早口に呪文を唱えた。
「氷の矢!」
掲げられた手の先に、小さく鋭い氷の刃がひとつだけ現れる。
公爵は曲がりなりにも、三大公爵家の当主である。これ……小さいけどけっこうヤバいやつでは!?
炎の壁で防御? 炎の矢で相殺?
威力差は? 発動スピードは?
うん、経験値足りなさすぎて、迎撃とかぜったいムリなやつ!!
私は思わず身を竦めて腕をかざし……だが。小さな氷刃は一瞬で燃え上がり、水蒸気となって虚空へ散った。
「今何をやっていたグレゴワール卿ッ!!」
声の方向へと顔を向けると。初めて見るような憤怒の形相で駆け寄って来たのは、兄である。やはりさっきの氷刃を消した炎は、おにい様のものだったのか――。
おにい様は私を庇うように前へ出ると、公爵を鋭く睨みながら声を上げた。
「この件は告発させて頂く!」
「私は何もしていないが? 言いがかりはやめたまえ」
「だが現に今ッ!」
「現に、何だ? 何も証拠などない」
そうだ、凶器は蒸発してしまったのだ。物証など何も残っていない。
「私はル・マンディエ公爵だ。なあ、エルゼス侯爵?」
「貴様っ!」
兄に寄り添う大精霊が、チリチリと浮き立つ姿を見せ始めた。水術師である公爵には火精は恐らく見えてないのが幸いだけど、このまま宮殿中で明らかな攻撃呪文を発動してしまったら、状況を逆手に取られてしまうんじゃ……!
「おにい様、ダメっ!」
私は慌てて兄の袖を引いたが、だが大精霊様が落ち着く様子はない。
「大丈夫、骨まで燃やし尽くしてしまえば、物証なんて何も残らないよ……そうだろう?」
「ははっ、この私に無礼を働くつもりか!? これはロートリンジュ公爵の責任問題に……」
燃え立つ銀の瞳に射竦められ、兄の持つ力を思い出したらしい公爵は、少しだけ焦りを含むような声を上げた――その時。
「何を騒いでいる」
大回廊に良く通る声が響き、私達は一斉にそちらを向いた。
「これは……ベルガエ大公殿下ではありませんか」
声の主に気付いた公爵は、わずかにホッとした表情を浮かべる。
「なぁに、ここなるエルゼス侯爵に言いがかりをつけられていただけでして。殿下がお気になさることではございません」
どうせあの殿下が、そう強く出ることなどないだろう……そう高を括っているのが丸分かりな態度で、公爵はニヤニヤとした笑みを浮かべた。恐らく殿下の登場で、兄も簡単には暴走出来なくなったと安堵しているのだろう。
「言いがかり、だと!? 確かに公爵は、氷刃で我が妹を害しようとしていたではありませんか!」
「だが物証など、何もないではないか。公爵である私の証言と、侯爵である卿の証言……どちらが重みを持つのかな?」
兄の精霊が、再び髪を逆立てる。だが――
「ほう……物証がなければ、証言者の権威で罪の有無が決まるのか。ならば私が証言しよう」
「何を……」
訝し気な顔をする公爵に近づくと、殿下は仮面ごしに見下ろすようにして言った。
「私はベルガエ大公だ。なあ、ル・マンディエ公爵?」
「んなっ……! あ、いや、これは王族の地位をかさに着た、横暴ではございませんか!? いくら陛下の弟君といえど……」
「そうだな、横暴だな。だがその横暴を先に通そうとしたのは、そなただろう?」
その声の調子は、穏やかにすら聞こえるものだ。だが地を這うような迫力に呼応するかのように……彼の纏う無数の小さな火精が、ざわめきを始めている。
「くっ……」
だがその精霊達が、力を行使する前に。再び何かを強く抑えているような、重い低音の声が響いた。
「国法に則り、追って正式に沙汰を言い渡す。しばしの謹慎程度となるだろうが、前科は消えぬ。重々頭を冷やすのだな」
「は……」
権力をかさに着るものは、権力に弱いのも定石だ。だが権力をふるう側だと思っていた自分が、まさかふるわれる側に回るとは……思ってもみなかったのだろうか。これまで殿下があえて権力をかさに着た振る舞いを避けていたのは、それの持つ意味をよく理解していたからだっただろうに……公爵はそれを弱気と侮っていたのだろう。
後日、ル=マンディエ公爵家は十日間の『閉門』を命じられた。これは邸の全ての門扉と窓を閉ざし一切の出入りを禁ずるという、貴族に課される謹慎刑の一種である。
だがその刑の内容よりも、位に劣る家の娘への傷害未遂なんかで三大公爵家の現当主が処罰を受けるということ自体が、前代未聞のことだろう。いや、法律の通りではあるんだけど、大抵は揉み潰されてしまうものだ。
だが私の心は晴れなかった。『そもそもお前がシャルルを助けなければ』という、あの言葉――。そして屈辱に燃える公爵の表情を……忘れることが、できなかったのである。




