134話 本当に救いたかったのは
発生の第一報から、三か月余りが経った頃。王都の民を混乱の渦に陥れたあの体液病の流行は、ほぼ完全に鎮火していた。街の除染も殆どの街区で終わり、日々の給水と炊き出しに加え、補助金の支給も始まった。さらに上水道の再整備計画が立ち上がったことに加え、エルゼス領を事例とした下水道整備計画の準備も動き始めていた。
各街区に残る、あと僅かな患者たちを集めた仮設の救護所の巡視を続けながら、まだ少しだけ忙しい日々が続いていた私のもとに……ある噂が届いた。
感染が広がりを見せ始めた頃のこと。体液病に罹った人々は『銀色の聖女』に救いを求め、施療院のある大聖堂へと殺到した。だが施療院の主は不在と言われるばかりで、その豪奢な扉が開かれることは一度もないまま……関係者に体液病患者が現れ始め、大聖堂は閉鎖された。
やがてル=マンディエ公爵夫妻が王都を脱出したという噂が流れると共に、その前から人々は完全に姿を消したのだった。
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その日、私がいつものように救護所の一つに視察に行くと、その場にいた人たちから口々に歓声が上がった。
「おお、エルゼスの天使さまがおいでなすったぞ!」
「こうして今でも、最後までわしらを気にかけてくださる……本当に、ありがたやありがたや」
未だ慣れない手放しの賞賛に小さくなりつつも、いつもの手順通りに病室の様子を確認してゆく。すると集まって来ていたうちの一人が、そんな私の姿を見ながら――口を開いた。
「やはりエルゼスの天使さまこそが本物ですよ! ル・マンディエ公爵夫人なんて、王都の民をさっさと見捨てて自分たちだけ領地へ逃げ帰ったそうじゃありませんか。これだからお貴族さまは、どうせあたしら平民なんて同じ人間じゃあないって思ってるのよ。ねぇ」
「そうそう、酷い話だよ。ねぇ」
頷き合う人々への反応に困っていると……そんな私の様子に気付いたのか、最初に声を上げた人が言った。
「ああ、すみません! お貴族さまと言っても、もちろんエルゼスの天使さまだけは違いますよ。真に民衆のことを思いやってくださる、神が天よりつかわした『御使いさま』なんですからねぇ!」
「……貴方は、ル・マンディエ公爵夫人の施術を受けたことがあるのですか?」
「ええ、ありますよ。そりゃああの時はありがたかったですけど、一段上からこう、見下すように手だけをかざして……お高くとまってるったらありゃしない!」
「ほんとになぁ。いつもムスッと嫌そうな顔をして……いつ見ても優しい笑顔の、天使さまとは大違いだったよなぁ」
その言葉にまた何人かが同意の声を上げたが、中には複雑そうな笑みを浮かべて黙っている人達もいる。私はどう反応したらいいのか分からなくなって、曖昧な笑みを浮かべた。
――治療呪文を使うのだって、別にそう楽なことじゃない。法力は使えば使うほど、代わりに疲労が溜まっていくものだ。疲れていたら、笑うのが難しい時だってある。そして、疫病から遠ざかりたいという心理だって、誰にでもある当然のものなのだ。
彼女だって、別に、悪いことしたわけじゃないのに……。
人々の賛辞を素直に喜べないまま、私は一通りの業務を終えて救護所を出た。だが迎えの馬車に乗り込もうとしたところで、背後から高い声が掛かり、足を止める。
「天使さま!」
振り返ると、まだ幼い少女がそこに立っていた。走って来たのだろうか。彼女は息を切らしながら、手に持っていた小さな白い花を差し出した。
「母ちゃんを助けてくれて、ありがとう!」
そう言って、乳歯の抜けたばかりの前歯を見せ、にっこり笑う。私は思わず膝をつき、少女を抱きしめると……掠れた声で、言った。
「ありがとう……すっごく嬉しいよ……」
「アハハ、なんで天使さまがお礼言うの? ヘンなの!」
笑い声を上げる少女から身を離し、私はそっと小さな花を受け取った。
「このお花、私とっても好きだから!」
「そっかぁ……ならもっと取ってくればよかったね。天使さまが見えて、いそいできたから……」
「大丈夫、こうするの。ほら!」
私は髪の結い目に花を挿し込んで飾ると、満面の笑みを浮かべて見せる。
「ね、カワイイ?」
「うん! すっごくかわいい!」
「こら、リジー!」
「あ、母ちゃん!」
慌てたように駆け寄って来たまだ若い母親は、娘の肩に手を置いて頭を下げた。
「天使さま、娘がどうやらとんだご無礼を、申し訳ございません!」
「無礼なんて、何もないわ。貴女は、もう体調は大丈夫?」
「ええ、ええ! もうすっかり元気です。本当に、ありがとうございます!」
「そう、良かった。……生きていてくれて、ありがとう。これからもずっと、長生きしてね!」
「……? ありがとう、ございます」
少しキョトンとした表情で礼を言う母親の手は、いつの間にか娘の手としっかり繋がれている。私は親子に手を振って別れると、馬車の窓から、すっかり活気を取り戻した街並みを眺めた。世の中にはいろいろな人がいるけれど、みな生きてさえいれば、きっとまた良いことがある。
――満足して、目を閉じると。
七つの少女に返った私が、母と手をつないで笑っている姿が見えた。




