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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
十五章

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133話 王都封鎖《ロックダウン》

 為政殿の一角に急遽設けられた対策本部には、召集を掛けられた人員が続々と到着していた。なおここに姿が見えないおにい様はジャン=ルイと共に火術師達を連れて、すでに川の封鎖と除染作業へと向かってくれている。


 水術師達を連れたフェルナン卿にも、ひと足早く街の方へと向かって貰っていた。今回の彼らは治療術師としてではなく、きれいな水の供給源として働いてもらうためである。彼らは『治療術師を水汲み屋扱いするなど前代未聞だぞ』と笑いつつ、それでも快く向かってくれた。


 こうして対策本部となっている大広間に残っているのは、四百名余り。ベルガエ騎士団の紋章が描かれたマントを羽織るうち、前述した以外の法術師、および法力を持たない兵士達の一団である。そこに数十名ほど、ロートリンジュの紋章を付けた人達を見付けて、私は思わず駆け寄った。


「マクレ男爵リオネル様! ご無沙汰しております!」


「おお、これはフロランス嬢ではありませんか!」


 変わらぬ立派な口髭を揺らして笑うマクレ男爵に、私も思わず笑顔で頭を下げる。


「まさかリオネル様に来て頂けるなんて、思っておりませんでした。ありがとうございます!」


「いや、ちょうど公爵閣下に随行し王都に到着したところだったのです。ご令嬢のお役に立てそうでなによりですぞ」


「そう言っていただけて、何より嬉しいですわ。そういえばそちらの方は……ええとヴァジュー卿だったかしら。お元気そうで何よりです」


 ついでに見知った顔を見付けて、マクレ男爵の脇に控えていた準貴族らしき騎士に話しかける。すると彼は心底驚いたような顔をして、言った。


「まさか、俺……いや、私などのことを覚えておいでだったのですか!?」


「ええ。担当した患者さんのことは、よく覚えておりますわ。その節はエルゼス防衛のために戦ってくれて、本当にありがとう」


 私が言葉と共に軽く淑女の礼を取ると、ヴァジュー卿は慌てたように言う。


我が令嬢(マ・ドモワゼル)、どうぞ顔をお上げください! 命を救っていただいたのは、こちらの方ではございませんか。今こそご恩を返さんと、こうして馳せ参じた次第です。ちなみにこちらの者たちは参戦はしていなかったのですが、我らの話を聞いて()()フロランス様にぜひ一度お会いしてみたいと」


「わ、わたくしに!?」


 口々に会えて光栄だと言う騎士の皆さんの笑顔に圧倒されて、私は思わず肩を竦めて小さくなった。


「なんか、普通ですみません……」


「貴族、それも侯爵家のご令嬢が、わざわざあの恐ろしい体液病(コレー)に罹った庶民を助けようと言うのです。全然普通ではないでしょう」


「そ、そうですね……」


 体液病は、ほぼコレラっぽい疫病である。たとえご令嬢でなくとも、全力で避けたいと思うのが普通だろう。そりゃあ私だって、いくら充分に感染対策をしていても、近付きたくなんてないのが本音である。でも――


 そこでヴァランタン商会から必要な物資が着いたという知らせが届き、私は男爵の方へと向き直った。


「あの、リオネル様にお願いがあるのですが」


「何でしょう」


「早速ですが皆さまに作業の説明を行いますので、例の拡声呪文をお願いしてもいいでしょうか?」


「もちろんですとも!」



 *****



 ベルガエ騎士団、およびロシニョル家とフランセル家に所属する家臣たちへ、それぞれの作業説明を終えて。封鎖区域内で経口補水液の配布、および経口補水療法の指導にあたる兵士たちに、甲冑の代わりにゴム引きの防護服の正しい着脱方法をレクチャーしていた時である。


 使いの者から新しい来訪者たちの名を告げられて、私は驚いた。だが不要だと追い返す訳にもいかず、とりあえず対策本部の中まで入ってもらう。


「オレリア様から話は聞きましてよ。フロランス様、何かわたくしたちに手伝えることはなくて!?」


 すると開口一番にそう言ったのは、オディール嬢である。それに続くようにオレリア嬢も、必死の形相で言った。


「そうです。何か、わたくしにもできることはないでしょうか。もう二度と、何もできなかったと後悔したくはないのです。その、わたくしたちは……お友だち、なのですから……!」


 そう言いながらも、彼女の胸の前で握りしめられた両手は微かに震えているようだ。


「そ、そうよ! わたくしもっ、お、お友だち……なのだからッ……」


 オレリア嬢に同意しながら、そういうブランディーヌ嬢も先ほどからプルプルと小刻みに震えていた。みんな、本当は疫病が怖いのに……駆けつけてくれるなんて。


「皆さま……ありがとう、ございます」


 思わず感極まって言葉に詰まった私を促すように、令嬢達の後ろに立つリシャール卿が言った。


「早速ですが、我々に可能な仕事をご教示いただけますか? 私は専門外ですが、多少は治療呪文(レメディウム)の心得があります。姉とご令嬢方も治療呪文が扱えますから、罹患者の治療にあたればよいでしょうか」


 そういえばビアス家の姉弟は水術師だし、確かオレリア嬢とブランディーヌ嬢は地術師だ。皆、治療呪文は扱える。だが……。


「さすがにご令嬢方を直接の治療に向かわせる訳には参りませんわ。でも、直接でなくとも有効な手段があるのです。ぜひそちらで、お手伝いいただけましたら、と」


 傷の急速治癒には有効な治療呪文(レメディウム)だが、病気への対応は自己治癒力、つまり免疫強化がメインであり、即効性はないものだ。つまり治療呪文(レメディウム)を一人一人の患者に対して掛けるには、治療術師の数が圧倒的に足らないのである。


 だが体液病(コレー)の症状は、地球におけるコレラのそれにそっくりなものだ。異常な水分の排出を繰り返すことで引き起こされる脱水症状が、体液病の主な死因である。ならば有効なのは回復するまでひたすら輸液を投与することなのだが、この世界の設備では点滴はできない。その代わりとなるのが、経口補水療法だ。


 経口補水療法とは、脱水を起こさないようにスポドリ的な経口補水液をひたすら少しずつ飲ませ続けるという治療法のことだ。しかしその威力は、単純ながら劇的である。かつてコレラ感染による死者は、三人に一人の割合だった。しかしこの経口補水療法が実践されるようになってから、死者は約三十人に一人まで改善したのである。


 さてこの療法に使われる経口補水液だが、現代のご家庭用に出回っていたレシピでは、食塩と砂糖、そしてレモンを使う。このご家庭用のレシピで作られた経口補水液は、熱中症タイプの脱水対策にはとても有効なものだ。しかし胃腸が空になってからも嘔吐や水様便で身体から水分を搾り取られ続ける体液病(コレー)には、不十分なものである。


 それらを繰り返すことで失われる電解質は、ナトリウムだけではない。同様に失っているカリウムも補ってやらなければ、低カリウム血症を引き起こすのだ。


 世界保健機関が推奨する経口補水液のレシピでは、必要な成分はブドウ糖、ナトリウム、カリウム、クエン酸、塩素の五種類である。そのうちのブドウ糖は砂糖で、ナトリウムと塩素は食塩で、そしてクエン酸はシトロンで確保が可能だ。


 残る成分であるカリウムは、ナトリウムの四分の一程度添加することになっている。だが通常食塩に使われることの多い海水塩には、カリウムはナトリウムの四十分の一とかそういうレベルでしか含有されていないのだ。


 そこで使えるのが、近頃兄の手によって分析が完了した、エルゼス産のカリウム岩塩である。そう、この日のために、ヴァランタンの貸倉庫に例の『廃棄の塩』を備蓄してもらっておいたのだ。


 この経口補水液のレシピは予めヴァランタン商会の菓子職人達に伝え、有事の大量生産を依頼していた。なお同じく大量に必要となる砂糖の代金は、エルゼス侯爵持ちである。後で請求書見るのがものすっごく怖いけど……王家に提出する最終報告書に数字をしっかり載せて、恩を売るのに使わせていただくしかないか。


 私はまず水術師の姉弟に、まだ安全な貴族街区にあるヴァランタン商会の菓子工房へ向かうことを頼んだ。そこで生産されている経口補水液の材料として、きれいな水を次々と供給してもらうためである。


 次に地術師の女子二人には、トゥーサン男爵ピエール卿と共に兵士たちの免疫強化をお願いすることにした。エルゼスの野戦病棟でお世話になったピエール先生にも、何か出来ることはないかとおじい様を通して連絡をもらっていたのである。そこで封鎖区域内で活動する兵士たちが交代で休息しに戻った際に、自己治癒力を高める治療呪文(レメディウム)をかける役を担当してもらうことにしていたのだ。


 免疫をしっかりと強化しておけば、兵士たちの体内に万一細菌が侵入しても、発症しないよう守る事ができるのである。騎士団の地術師たちには一時的な街区間封鎖のために土塁を築く作業もお願いしているが、そちらの人手はもう充分だろう。


 私が令嬢たちとの話を終えたタイミングを見計らったかのように、準備を終えたらしい王弟殿下がこちらにやってきて、言った。


「フロランス嬢も、やはり他のご令嬢方と同様に後方に徹するべきではないだろうか。市街地内での経口補水療法の指導については、兵士達に任せておいて充分だろう。そなたは後方指揮に集中しておくべきではないか?」


「いえ、わたくしも参ります。今は一人でも人手が必要な時ですから」


「しかしこれは王都の問題だ。……こう言ってはなんだが、そもそも、そなたの守るべき民ではないのだからな」


「それはその通りなのですが……わたくしの気持ちの方に、問題があるのです」


 汚水の流れる川の水を生活用水に利用している王都だが、その人口が過密状態にあるのは既知の通りだ。こんな僅かにでも菌が持ち込まれたらひとたまりもない状況下で、王都は多くの行商人が国内外から訪れる一大消費地でもある。つまり今回の体液病(コレー)は、起こるべくして起こった人災なのだ。


 だが予防という施策は、とても難しい。全てを予測し対策を立てていても、少しの例外で失敗し、責任を槍玉に挙げられる。なのに成功すると今度は結果が目に見えないので、ちっとも感謝されないのだ。むしろ『ここまでする必要はなかったのでは?』なんて、言われてしまうこともある。


 対して事が起こった後の鎮圧は、簡単だ。速やかに問題を特定し、ひとつずつ潰していくだけでいい。しかも現状よりきっちり上向けば、感謝すらされるのだ。私がこの惨状を予見しながら物資の準備だけしてあえて静観していたのは、そういう理由である。


 ――そうして今、私の予想は的中した。


 権威も実績もほとんどない、ただの地方貴族の小娘が必死に訴えたところで、莫大な予算を要する上下水道の再整備なんて、簡単に実現できるわけがない。……予防など、どうせできなかったのだ。だから発生してから、早期に鎮圧を図る。これが自分にできる精一杯の方法だったのだと……頭では解っている。でも――


「――実際に苦しんでいる人々のことを考えると、辛いのです。分かっていたことなのに、他に何か、予防できる方法が、苦しませずに済む方法があったのではないかと。でも誰かのために体を動かしていれば、戦っている実感があれば……その間だけは罪悪感を忘れていられるのです」


「王都での疫病発生は、我々王家の責任だ。そなたの責任などではない。気に病む必要など何もない」


「そう、ですね……」


 私が力なく笑って見せると、殿下は少し呆れたような笑みを浮かべた。


「初めは、そなたのことを単にとても心優しい少女なのだとばかり思っていた。だが、実際は随分と違っていたな」


 それってどういう意味です? と、軽く抗議の声を上げる前に。殿下は一転、真剣な眼差しをこちらへと向けて、言った。


「了解した。作業中の安全は、私が保障しよう」


「それは……」


「そなたの協力に、感謝する。どうか、王都の民のため……共に悪疫と戦ってくれ」


「……はい!」



 *****



 ――対策の開始から、数日が経ち。


 マクレ男爵からレクチャーを受けた風術師たちは、拡声呪文を用いた広報担当者となっていた。情報が少なければ不安になって、暴動が起こりやすくなるからだ。日々の数字の動きと施策の状況をニュースとして伝えることで、隔離されている人々の不安の緩和を図り続けた。


 だがそれでも、最も感染の広がっている街区については、区間封鎖による大混乱が発生していた。その惨状に恐怖した出稼ぎ労働者たちが帰郷しようと、王都からの脱出を図ったためである。だがここで感染症対策に関する充分な知識もないまま帰郷を許すと、地方へ体液病が飛び火しかねない。


 ここで武力を見せつけ、恐怖で制圧するのは簡単だ。だがそんなことをすれば、王家の『圧政』と取られるだろう。しかし人々が街区間に作られた防壁の前に殺到している状況が続けば、より感染が拡大してしまう。私たちが対応に苦慮していると、そこに現れたのは国王陛下だった。


 充分な距離を取った上で、防壁の中からもその姿がはっきり見える位置にある建物の屋上に陣取ると、陛下は長い演説を始めた。もちろん、マクレ男爵の拡声呪文のサポート付きである。


 この通常であれば雲の上の存在は、つい数か月前、新しい王女殿下の誕生で民衆の前に姿を現していた。その記憶も新しいこの国の『王』の登場に、たちまち人々は静まり返る。そもそも人間の『声』がこれほどまでに大きく遠く響くなど、ここ数日のニュース報道まで全く経験したことの無かったものなのだ。まさに『天の声』なのだと思わせられても、不思議ではないだろう。


 食い入るように見詰める人々の前で、王都中の空へと響き渡る陛下の演説は、やがて締めへと入って行った。その時。


「――我が都パリシオルムの民よ、疫病など恐るるに足らず! 我らにはかのエルゼスの天使が付いておる。エルゼス侯爵令嬢、ここへ!!」


 えええええ、私!? せめて事前に打ち合わせとかお願いしたかったのですが!!


 だが押し寄せた民衆の熱気は無言にして最高潮で、良くも悪くも爆発寸前である。うわー、なんか向こうの街区の人まで外に出てきてる……飛沫が……なんて考えてる間に、ええい、ぶっつけ本番だけど……やるしかない!


 後方に控えて立っていた私は、陛下の横まで進み出ると……出来るだけ(おごそ)かそうな感じに聞こえるように気を付けながら、口を開いた。


「……わたくしは、神の声を聞いたのです。疫病の正しい知識を広め、苦しむ人々を救え、と。王都十万の民たちよ、恐るるなかれ。父神パテルのご加護は、あなた方と共にあらん!!」


 ――秘技、困ったときの神頼みッ!!


 サクラを仕込む必要すらなく、街は割れんばかりの歓声に包まれた。貴重な国王陛下登場で、場がよく温まっていたのだろう。


 な、なんとかそれっぽく切り抜けた……。


 私は内心の冷や汗を懸命に隠して、堂々とした表情を取り繕うと……隣に立つ国王陛下と共にしばし手を挙げて、人々の声に応えた。


 こうして王都を大混乱に陥れた体液病(コレー)の流行は、そこから速やかに収束へと向かっていったのだった。


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[一言] 困ったときの神頼みの結果が、昼行灯を推すにもいい影響を与えそう。
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