131話 分かってくれない人たち
その半日後。王太子妃殿下の出産は、無事安産で終わった。疲れて眠るアウロラ様の横で、ほっと胸を撫で下ろしていると。そこに現れたのは、兄となったシャルル殿下である。生まれたばかりの王女をこわごわと覗き込む殿下に、私はそっと囁いた。
「小さな妹を守ってあげてくださいね。お兄様」
「うん……神の子フィリウスと私の名誉にかけて、必ず」
あれ、返事が硬いけどプレッシャーかけ過ぎちゃったかな?
……と思いきや、シャルル殿下は少しだけ照れたような顔をして、私を見上げた。そのしっかりとした面差しは、先日の不安げな少年とはもはや別人のようである。
――彼が将来守るべきものは、とてつもない大きさだ。だけど今はまだ、ここから始めるくらいで……ちょうどいいんじゃないかな。
*****
新しい王女殿下の誕生を機に。一年近くに渡り揉めていたベルガエ騎士団のアクティーヌ遠征も、ようやく終結の時を迎えた。何か色々と政治的な思惑が飛び交ったらしいけど、とにかく、めでたいことだろう。
貴族だけでなく国民全員をあげてのお祭り騒ぎは、一ヶ月に渡り行われた。その祝賀ムードもようやく落ち着き、平常運転に戻り始めた頃のことである。
私はまだ続いている日課の参殿の後に兄と合流すると、同じく宮殿の敷地内にあるベルガエ大公邸を訪れていた。久々に入った応接室は全く変わりがなく、落ち着いた内装で整えられている。
そこで待っていた二人の男性は、今日も仮面を着けていない王弟殿下と、そしてティボー子爵フェルナン卿である。私達はご挨拶と共に遅参の非礼を詫びると、勧められた席に着いた。
目の前のローテーブルにはすでにお茶の準備が整っていて、今日は程良い量が用意されたお茶菓子の横には、空のティーカップが添えられている。給仕係のお姉さんがそれぞれのカップに紅茶を注ぎ入れると、柑橘系の良い香りが辺り一面に広がった。
「あれ……この紅茶って……」
私が思わず呟くと、向かいに座る殿下が微かに笑いながら言った。
「ああ、マルキドエルゼスだ。良い香りで菓子にも合い、気に入っている」
「そ、そうなのですね……ありがとうございます」
私は内心冷や汗をかきながら、とりあえず礼を言った。隣の兄も、気まずそうに半笑いを浮かべている。
私達が礼を言いつつ気まずい思いをしているのには、理由がある。なぜならこのマルキドエルゼスは、ベルガモットっぽい柑橘類のフレーバーティー……つまりアールグレイだからだ。
このフレーバーティーは、喫茶室で提供する紅茶に新しいバリエーションを用意できないかというヴァランタンからの依頼で、開発を提案したものである。ところがこのグレイ伯爵、紅茶メーカーに『こういうの作って!』と開発を依頼した人の爵位が名前の由来なのだ。
そのためギィに名付けを求められたとき、『エルゼス侯爵なんてどう?』とか冗談で言ってみたら……まさか本当にそのままの名前で商品化されてしまうとは。商人は『エルゼスの名は今勢いがありますからね』なんて言っていたけれど、気付いた時には手遅れだったのである。
――グレイ伯爵、なんかごめんなさい!
こうして、その名を聞くたびに……私は見知らぬ伯爵に謝り、兄は名を呼ばれたような微妙な気分になる破目になったのだった。
*****
「――このように、各領における接種の実績をもとに増産体制や流通経路、接種手順の効率化をさらに進めているところです」
そこから軽く、お互いの近況を報告し合った後。ようやく本題である斑点病の予防薬の効能や接種の実施状況の説明が一段落したところで、私はすっかり冷めた紅茶を口に含んだ。
「その予防薬……私にも、すぐに打ってもらうことは可能か!?」
するとこれまで黙って話を聞いてくれていたフェルナン卿が、ローテーブルに乗り出すような勢いで声を上げる。そのあまりにも積極的な様子に私は軽く面食らいつつも、喜んで頷いた。
「はい、もちろん! ただ先程ご説明した通り、まだたまに『当たり』があるのです。万一の際に備えて専用の病床と治療術師の確保が必要ですから、日程の調整をいたしましょう。かくいう私、実は当たりを引いてしまいまして。お腹のあたりにちょっとまだ痕が残ってるんですけど、これで――」
免疫できてひと安心です! ……と続ける前に。テーブルの向かいに座っていた殿下が、突然立ち上がって言った。
「なぜ、そんな危険なことをしたのだ!」
イケメンとはいえ迫力ある系のお兄さんに、ほとんど睨むような顔で見据えられて……私は僅かにビビりつつ、なんとか返事を口にする。
「いや、自分がやらずに皆にやってもらうなんて出来ませんし、ちゃんと準備すれば別にそれほど危険じゃないですし……それに今回は、幸いあの氷の女帝がつきっきりで看病をしてくれるという幸運で――」
「「……つきっきりで?」」
発された言葉と共に、殿下の眉が訝しげにぴくりと上がった。全く同時に同じセリフを発した兄も、隣からこちらに向かい、驚いたような顔をする。
「……その話、ぼく聞いてないんだけど?」
後ろめたいことなんて何もないはずなのに、なぜか私は慌てたように言い訳を口にした。
「いえあの、ただ治療呪文を連続でかけてもらっただけの話ですよ! おかげでこの通り、すっかり全快です!」
私は冷や汗をかきながら、自らの胸を叩いて笑って見せる。すると殿下は表情を一変させて、今度は悲しそうな顔をした。
「だが瘢痕が残ったなどと……なんということだ」
「残ったとは言っても、ほんの僅かなものですし。それにこのおかげで、今後一生、斑点病の恐怖から逃れることができたのですわ!」
私はそう次こそは本心から言って、自信満々に笑いかける。だが私の言う事を全く聞いていなかったのか、彼はテーブルを避けてがばっと私の前にひざまずくと、真剣な顔をして言った。
「やはり、結婚しよう」
「はい?」
「私のために危険に身を晒し、そして痕が残ってしまったのだろう? 責任を取らせてくれ!」
「はああ!?」
「王族になりたくないと言うのなら、すぐにでも臣籍に下ろう! エルゼスを離れたくないのなら、ロシニョル家に婿入りしてもよい!」
相変わらずズレたことばかりを仰る殿下に――私はとうとう、ブチ切れた。
「まったく、殿下は何っっっにも分かっておりませんわ! これはわたくしの意思で! わたくしのためにしたことです! 勘違いしないでください! 貴方のためではありません! 責任感なんかで求婚されても迷惑なだけですからッ!」
「迷惑……なのか……」
不敬とかそのへん全部忘れ去った私の魂の叫びを聞いて……なぜか落ち込んだ様子の殿下は、ひざまずいたまま肩を落とした。その姿は、まるでしょんぼりとした大型犬のようである。私は目の前で丁度良い高さにある黒髪を、ヨシヨシと撫でたい衝動に駆られて手を伸ばし……そして慌てて引っ込めた。
――せっかく心配してくれたのに、ちょっと言い過ぎちゃったかな。
「御配慮賜り有難う存じます。ですが本当に、殿下には一切関係のないことですから。責任を感じていただく必要など、全くございませんからね?」
だがフォローしたはずなのに、何故か彼をさらに落ち込ませてしまったようである。
「そうか……全く無いのか……」
「殿下、だからフロランス嬢にその方向性では駄目だと、あれほど……」
なんかまだ勘違いしているらしいフェルナン卿が、落ち込んだままの殿下にそう呆れたように声をかけた。
この国の貴族には基本的におつきあい文化とかナシで、利害が合ったら即結婚な価値観なのは仕方がないことなんだけど……アウロラ様、私やっぱりもっと夢とかロマンとかを提供してくれる感じの人がいいです!
「なんか、うちの妹がすみません……」
私の叫びに「うわぁ……」とでも言いたげな顔をしていた兄はそう殿下に声をかけると、同情めいた視線を送った。おにい様はどうせまた「恋愛脳めんどくさ!」とでも思っているんだろうけど、私だって夢くらいは見ていたい。まだ十代だし。
私は内心深いため息をついてから、大きく脱線してしまった予防薬の説明に戻ったのだった。
*****
「それでは来週、エルゼス侯爵邸を訪ねよう」
「よろしくお願いいたしますわ」
予防薬の接種に必要な事前説明を全て終え、私はフェルナン卿と接種の日取りを決めた。鋭い目線のまま深くうなずくフェルナン卿の姿は、かつてあの戦場で見たものと同じ姿だったのだが――。
「モンベリエ領、そして南部沿岸諸領への根回しは任せてくれ。私が責任を持って遂行しよう」
「それは……有り難うございます! それにしても……まさかフェルナン様がこれほどまでに予防薬に興味を持ってくださるとは、思いもよりませんでした」
「……私は、ずっと疑問に思っていた。治療術師たる己の存在意義とは、一体何なのだろう、とな。だが治療呪文を持たぬ君が、それでも人々を救わんと奔走する姿を見ていたら……答えが掴めそうな気がするのだ」
「そんな……」
私が返事に窮していると、フェルナン卿は急に苦笑いを浮かべて言った。
「……いや、格好付け過ぎたな。単に、かつて斑点病で大事な人を喪った。ただそれだけの話だ。――私に出来る事があるならば、協力は惜しまん。何でも言ってくれ」
「はい。共に、大事な人を亡くして悲しむ人々を……一人でも多く、減らしていきましょう!」
*****
そのまま話は予防薬以外の内容にも及び、活発な意見交換が行われた。だが時刻的に、さすがに解散しようという頃になり――私はふと今日のメイクの事を思い出して、殿下にお礼を言ってから帰ることにした。
「本日は貴重なお時間を賜りまして、ありがとうございました。そういえば、今日のお化粧は以前お贈り頂いたリモーヌ焼きの粘土から作ったものなのです。おかげさまで、とても使用感良く仕上がりました。ありがとうございます!」
「そうか……それは良かった。とても綺麗に……あ、いや」
その少し慌てたような様子が、お世辞じゃないことを表している気がして……私は思わず、嬉しくなって満面の笑みを浮かべた。
「そうですか? ありがとうございます!」
すると殿下は、なぜか驚いたような顔をする。
「それは……私に言われても迷惑ではなかったという事なのか?」
「え、あ、はい。誰からだろうと褒められて迷惑に感じることなんて、なかなかないと思うのですが……」
「そうか」
私が戸惑いながら答えると、殿下は深くうなずいてから、真顔で言った。
「会う度に綺麗になってゆくなと思っていた」
「そっ」
あまりの不意討ちに、思わず私の時が止まる。
「殿下、そう、それが正解です!」
だが上機嫌なフェルナン卿の声を聞き――私はハッとして、我に返った。
「わー、ありがとうございまーす! では今日はこれで失礼しますねー!」
私はセリフを棒読みしながら、資料を抱えてそそくさと立ち上がる。
「お疲れさまでしたー!」
そうして何故か、こちらも固まっている兄の腕を引っぱると。逃げるようにして、その場を後にしたのだった。




