127話 切札は使い回しが可能です
「エルゼス侯爵令嬢とは、散歩の途中でばったりと会い、少し話をしていただけだ。すぐ戻る!」
王孫殿下はそう返事の声を上げると、こちらへと顔を向けた。
「ではまた、な」
「ええ、また!」
その顔が笑顔だったので、私は少し安心して笑顔を返して小さく手を振った。するとすかさず現れた侍女たちに囲まれながら去って行った王孫殿下と入れ違うように、すぐに件の法衣姿の男が怒りの形相でこちらへと近づいて来る。
私は妃殿下の近くで見覚えのあるその顔を見て、脳内で貴族名鑑をめくった。彼はアウロラ妃殿下担当の主侍医であり、確かモラン侯爵家現当主の弟で……名前はジュール卿だったかな。
「アウロラ妃殿下の侍女達から聞きましたぞ! 身重の妃殿下を毎日お庭に連れ回しておるとな!? 即刻辞退せよ!」
やはり侍女や侍医の皆さんには、私の行動はウザがられていたようである。そういや妃殿下の侍女さんたちは、いずれも良いお家柄のご令嬢ばかりだろう。そこに、ぽっと出の田舎貴族が妃殿下のお気に入りの座に割り込もうとしてきたら、そりゃあ良くは思われないよね……。明日は侍女さんたち向けに、店頭未発売のバニラ入りのお菓子でも用意して行こうかな。
しかしそれ以前の問題として、さてこの状況はどうやれば波風立てずに終わらせられるのだろうか。まだお小言を続けているジュール卿を前にして、私は神妙そうな顔をしながら頭を悩ませた。
わざわざ私の所に直接、辞退しろと言いに来たということは……妃殿下へはすでに進言した上で、却下されたという感じだろう。適当にハイハイ言って無視しても、別に影響はないだろうか。ああ、でもなぁ……。
お小言の間中ぐるぐると考え込んでいると、ふと回廊の角を曲がって、今みたいな時に一番会いたくない人物が姿を現したことに気が付いた。その彼もこちらの様子に気が付くと、足早に近付いてくるようである。
「これは……ジュール卿、我が再従妹に何のご用かな?」
「こ、これはジャン=ルイ卿! いや、こちらのエルゼス侯爵令嬢は、あつかましくもアウロラ妃殿下のお優しさにつけこみ、毎日お庭を連れまわしておるのです。私はそれを注意していただけで……」
「ほう……それで、妃殿下のご様子はどうなのだ?」
「それは……」
言い淀むジュール卿を後目に、ジャン=ルイは急にこちらを向いて問いかけた。
「フロランス、どうだ?」
「アウロラ様は、以前よりもお顔色がよろしくなられたのではないかと存じます。気分が良いというお言葉も、日々いただいておりますわ」
急な再従兄の登場に、まだ警戒している私がそう慎重に答えると。
「そのようなもの、本当に良いのか分かるわけがないだろう! 素人が口を出すな!」
だがそんなジュール卿を前にして、ジャン=ルイは顎を上げると。フンっとひとつ鼻を鳴らして言い放った。
「貴卿は、確か妃殿下の傍に常に侍っているという認識だが……以前にシャルル殿下が溺水なされた時、卿は何をしていたのだ?」
「もちろん、治療をしてございます!」
「だが、全く効果がなかったのだろう? 素人は一体どちらなのだか、これでは分からぬというものだな」
「そ、それは……心の臓の鼓動を復活させるなど、本来はありえないことでしょう! まるで、魔女の所業ではありませんか!」
「卿は、王孫殿下の御命お救い奉りし我がロートリンジュ公爵家の血筋の娘を……魔女呼ばわりするのだな?」
「いや、それはっ……」
このネタ、フェルナン卿もイヤミ返しに使ってたけど、王家の恩人ってよほど強力な切り札なのだろうか。しっかしジャン=ルイって、ほんっと自分と立場が同等かそれより低い相手には強いよね。まさかの庇ってくれたのはありがたいけれど、これ以上やると妃殿下の主侍医さんから完全に恨まれてしまいそうだ。
「ジャン=ルイ公子、どうかそこまでで。侍医様のおっしゃる通りです。規則は守られなければなりません」
「そ、そうですぞ! エルゼス侯爵令嬢は弁えていらっしゃると信じておりました!」
ジャン=ルイに睨まれて身を竦めていたジュール卿は、藁をも掴むといった様子ですぐに私の言葉に乗っかった。
「では以降よろしく!」
たったそれだけ言い置くと、ジュール卿はそそくさと逃げるようにして去って行く。何の規則か私は言ってないし、何がよろしくなのか全く分からない状況なので……とりあえず特に現状のスケジュールは変更なしってことでいいだろうか。
私はほっと胸を撫で下ろすと、まずはお礼を言うことにした。
「助かりました。ありがとうございます」
「ハッ! あんな一族世襲の役職にしがみついているだけの無能の輩の言う事など、無視してやればよいのだ!」
相手が去っても未だ腕組みを解かずにツンツンした態度を続けるジャン=ルイに、私は苦笑しながら言った。
「そうは言われましても、確たる地位のあるジャン=ルイ公子とは違い、私ごときの立場では難しいことですわ」
「確かに、それは仕方のないことだな」
そう言って、ジャン=ルイは腕組みをしたまま深くうなずいた。さっきは世襲の役職にしがみついているとか言って、ジュール卿を非難してたけど……三大公爵家に生まれた公子で、末席とはいえ王位継承権を持つという『生まれ』をフル活用している人が言えたことじゃないだろう。とはいえ――
「……でも、先ほどは言い返していただいて、ちょっとだけスッキリいたしましたわ。ありがとうございます、公子」
いくら冷静に状況を分析し、裏の意図を頭では理解できようと……嫌味な言い方をされたら、やはり気分は良くないに決まってる。私がニンマリ笑って礼を言うと、ジャン=ルイは調子が狂ったとでも言いたげな困惑顔をちょっとだけ見せた後、咳払いをして言った。
「別に、お前のために言ってやったわけではない。あの無能者がロートリンジュ公の血筋に連なる者を侮辱したことが許せなかっただけだからな!」
「ふふふ、分かりました!」
とうとう声に出して笑う私に、だがジャン=ルイは真剣な顔をする。
「本当は、今日は余計なことをするなと釘を刺すためにお前を探していたのだが……気が変わった。責任は取らず、だが功だけは取ってゆくのが、ここでの身の処し方の基本だ。……上手くやれそうか?」
なるほど、それで表の為政殿で官吏として勤務しているはずのジャン=ルイが、こんな奥周りのエリアに居たのか。気が変わった理由はよく分からないけれど、反対されないならありがたい。
「ええ、なんとか。現在定められている侍医の領域には触れることなく、文句の付け所がないように、さりげなく動く算段でございますわ」
「フフン、ならばやれるだけやってみろ。お前が妃殿下の覚えめでたき存在となれば、僕の出世にも好都合だ。そうだな、失敗したときに僕を巻き込まないと約束できるなら、力を貸してやってもいいぞ」
まだ腕組みをしたまま笑うジャン=ルイを見て、私は驚いた。まさかこんなことを言い出すなんて、余程ジュール卿に対抗したいのだろうか。
だがこれは願ってもないタイミングだ。大伯母さまだけにお願いする予定だったけど、せっかくなので同じく社交界に影響力のある孫の方にもご協力いただこう。
「では、早速お願いしてもよろしいですか?」
「なんだ、言ってみろ」
「それは――」
私は万一に備えて扇子を広げると、依頼の概要をジャン=ルイに耳打ちした。すると彼は少しだけ不思議そうな顔をしつつも、小さくうなずく。
「――なんだそんなことか。考えてやらんでもないから、明日の晩餐の予定は開けておいてやる。ああそういやアルベールに、王都にいるならお前も顔を出せ、食事の後に一局どうだと伝えておけ」
「ええ、承知しましたわ!」




