118話 ゴムゴムが伸びない
戻ってきた使いによると、司教は遠方からの来客中ですぐに時間を取るのは難しいとのことだった。四日後ならば都合が付くということで、約束を取り付ける。
その日は早めに就寝した私は、翌朝まだ空が薄暗い時刻にソワソワとして目を覚ました。キナノキの使用説明会を開くためである。
季節はすっかり晩秋だが、未だ今年の瘴気病患者は僅かに残った状態だ。私は患者が住む村から薬草の心得のある者達を集めると、扱い方を簡単に説明してキナ皮や体温計などの基本セットを配布した。
このキナノキの樹皮である『キナ皮』の利用法は、すでにタワンティナの呪術医たちによって確立されている。とはいえ何も特別なものではなくて、単にその他の生薬と扱いが同じで良いというだけだ。精製されたキニーネほど強くはないが、これでも効果は十分に得られるだろう。
ならば何故わざわざ説明会を開いたのかというと、キナの投与状況と経過の記録方法を、レクチャーするためである。記録の方法が人によりズレてしまっていては、せっかく取ったデータが使えないものになってしまうからだ。
説明会を終えたら、時刻はすっかり夕方である。私は急いで夕食を食べ終えると、タワンティナで手に入れたゴム製品や工具を両腕に持てるだけ抱えて物置部屋を出た。目指すは兄の部屋である。
「こんばんはー。暖房貸してくださーい」
荷物でノックができないので、ドア前でちょっとばかり大きな声を出す。するとすぐに扉は開いて、おにい様が笑いながら現れた。
「どうぞ」
中に入ると、廊下とは段違いに暖かくて明るい空間が広がっている。もう冬も近い北国の城は相変わらず底冷えのする寒さだが、ここだけまるで春の昼下がりのような空間だ。
私の部屋にも当然ランプの灯りと暖炉があるが、兄の光球の威力には到底敵わない。そのため秋冬の夜長に作業したいときには、いつもこうして兄の部屋の片隅を作業スペースとして間借りしているのだ。
タワンティナで実用化されていた製品は、おもちゃのゴムボールの他にゴム引きの布地と、薄く延ばされたゴムシートである。これらの原料ゴムからの製法もいちおう聞いては来たのだが、せっかくなので完成品の布やシートも購入しておいたのだ。
私はさっそくゴムシートを広げると、ナイフでハンカチ大に切り出す作業を始めた。何を作ろうとしているのかというと、血圧計のマンシェット――あの腕に巻くやつ――の中に入っている、長方形のゴム嚢である。
何故か硬めの粘土みたいな粘りが少しだけあるゴムシートの端を重ねると、現地で教えてもらった通りに木槌で叩いて圧着する。そうしてできた四角いゴム風船へと、満を持してストローで空気を入れてみたのだが――。
「あ、破れた」
どうやら圧着が足りなかったようで、つなぎ目が剥がれて空気が漏れてしまった。ちょっと構造を見直して継ぎ目を減らし、前よりもしっかりと叩いて圧着させる。そして再び空気を入れて――。
「うわ、ここが破れるの!?」
次にひび割れるような形で破れたのは、継ぎ目の部分ではなくシートの真ん中である。どうやらこのゴムシート、私が期待していたほどの弾力は無いらしい。
「うそー、ダメじゃんこれ……もしかしてゴムじゃなかったの?」
私が腕組みをして考え込んでいると、目の前にスッと良い匂いのするカップが差し出された。カップの上には、二本の細く削り出された木製の棒……つまり、お箸が載せられている。
「ラーメン食べる?」
「わ、いただきます!」
少し大きめのマグカップに入っていたのは、兄が夜食用にエメに頼んで作ったという鶏塩ラーメンである。
細めに打った小麦粉麺を茹であげてから小分けにし、油で揚げてストックしておく。後はこの揚げ麺に熱い旨塩鶏ガラスープを注ぐだけで、いつでもすぐに美味しく食べられる優れもの……要は、インスタントラーメンだ。
なんでも厨房に人がいない夜中でも、残業中に小腹が空いたらすぐに食べられる温かい物が欲しかったというのが開発の動機らしい。正直ラーメン感はそこまでないけど、夜に食べるとやたらと罪を感じる美味しさなのは、何故だろうか。
「ところで……どうしたの? 悩んでるみたいだけど」
同じくカップを手に持って、向かいに座った兄が言う。無心に麺を啜っていた手を止めると、私は困ったように首を傾げた。
「このシート、ゴムだと思ったんですけど……全然伸びないんです」
「どれどれ」
兄はカップを置いてシートを手に取ると、ちょっと曲げたり伸ばしたりしてから頷いた。
「ああ、これ加硫してないでしょ」
「かりゅー?」
「そうそう、硫黄を混ぜて加熱するの。高校で習わなかった?」
「ええー、そんなの覚えてませんよ……」
「そっか、じゃあぼくに任せてみる?」
「お願いします!」
――いや、今思いっきり『高校』って言いましたよね!?
私は満面の笑みでうなずきながら、内心でツッコミを入れた。
別にカミングアウトし合った訳でもないのに、最近ではすっかりお互いに日本人の記憶がある前提で会話している。何度か確認してみようかと思ったが、つい面倒で先延ばしになっていた。赤の他人ならいいんだけど、もしも向こうで微妙な知り合いだったりしたら……なんか気まずくなりそうだし。
それはともかく、コンクリートの件といい、おにい様はこういうことになるとやたらと積極的だ。あちらでは材料工学でも勉強していたんだろうか。
だからといって、夏場に大量の豚の血を集めさせるのとかは、二度と勘弁して欲しいんだけど。あれ、結局何に使ったんだろう……。
知りたいようで、知りたくない気もする。私がこの機会に聞いてしまおうかどうしようかと迷っていると……先に兄が口を開いた。
「となると硫黄が必要だなぁ……明日ステファンに分けてもらえないか聞いてみるよ」
「なんでステファンに?」
ステファンは、兄の護衛騎士のうちの一人である。私もよくお世話になっているお兄さんだが、この世界の騎士は硫黄を使うのだろうか?
「ああ、ステファンの実家はモルコ家でしょ? 硫黄は葡萄酒作りに使うから、在庫を持ってるはずなんだよね」
確かに、モルコ家は葡萄酒の醸造所を持っている。でも……
「葡萄酒に硫黄って、何に使ってるんですか?」
「硫黄を燃やして作る二酸化硫黄は、古代ローマの頃からずっと葡萄酒の酸化防止剤に使われているんだよ。別名は亜硫酸塩って言うんだけど……聞いたことない?」
「そういえば、亜硫酸無添加ワインっていうのは見たことがありますわ」
「ああ、そっちか。亜硫酸って名前は確かにアレだけど、別に……」
兄は苦笑いを浮かべながら何かを言おうとしたが、すぐに気が変わったようである。
「まあいいか。今日はもう遅いから、そろそろ寝よう」
「うう、寒い部屋に戻りたくないです……」
そう言いつつも、さすがにもう寝なければ兄の明日の業務に差し支えるだろう。私はほんの少しだけ迷ってから、結局スープを最後の一滴まで飲み干して。カップをお盆の上に返すと、ようやく渋々と立ち上がった。
そうしてソファーに掛けておいた厚手のマントを広げると、しっかりと身を包み込む。私の部屋もきっとリゼットが暖めておいてくれてはいるだろうが、この部屋とはそもそも季節感が全く違うのだ。
「あ、じゃあちょっと待って」
おにい様は部屋の隅にある自分用の作業台へと向かうと、手のひらサイズの黒い石板を持って戻ってきた。
「これも遠隔で点火を発動させる術式を刻んでるんだけど、リシャール卿の冷凍装置をヒントに改良してみたんだよね」
「座標共有するものとは何か違うのですか?」
「あれは手元にある術者の法力で発動させてたけど、これは離れていてもぼくの法力で発動するようにしたんだ。ほら、リシャール卿の冷凍装置、術者が離れても作動し続けてたでしょ」
「そういえば」
「ただ、まだ開発中で術者にしかオンオフできないから、今から設置しに行こうか」
*****
「おおー……」
私は自室の暖炉の中で青暗く燃え上がる炎を覗き込んで、感嘆の声を上げた。おやすみモードになっている炎の温度はどうやらかなり高いのだが、明るさは最小限に抑えられている。
「いちおう、明日の朝一で様子を見に来るね。試験運転は充分してるけど」
「え、もしかして一晩中灯しておけるんですか?」
「うん。ぼくの部屋とか空き部屋でしっかりテストしといたから、火事とかも心配しなくて大丈夫だよ」
「すごい、暖房革命ですわ!」
「まぁね! ……って言いたいところだけど、発動させると遠隔でぼくの法力を消費し続けるんだよね。だから量産はできないから……あと作るとしたらおじい様の部屋のぶんくらいかな」
「おにい様の家族でよかったです。役得ですわね!」
そう言って笑いかけると、兄は目を細めて言った。
「喜んでくれてよかった。じゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい!」




