117話 ひねくれてますが、何か
「そういやちょうど一昨日、大公殿下から荷物が届いてたんだよね。君から帰るって連絡もらった後だったから、慌ただしくてまだ開けてないんだけど」
持ち帰った荷物の仕分けが一段落し、居間で一息ついていたときのことである。兄の指示で侍従たちが運んできたものは、大小さまざまなサイズの小包だった。兄はどの大公かは言わなかったが、まあうちに荷物を送ってくださる大公殿下なんて、一人くらいだろう。
殿下の現在の任地は、ピレネオス山脈沿いにある南西の国境を守る三大公爵家のひとつ、アクティーヌ公爵領である。フェルナン卿から聞いた山賊討伐の件は事態がこじれているのか、どうやら大きな戦闘もないまま、半年が経っても未だ終わらないようだ。
お疲れ様です……と思わず心の中で呟きながら、私は自分宛だという大きな包みを開いた。中から出てきたのは、白い石の欠片がたっぷりと入った一抱えほどもある壺である。
『以前そなたが話題に挙げていた磁器製造に用いられる白色粘土について、手に入れたので試しに送る』
王族らしい堂々とした筆ぶりで書かれたメッセージは、ただそれだけの簡素な文面だった。でもあんな何気ない会話を覚えていてくれたのかと思うと、ちょっと嬉しい。
この白い石の正体は、リモーヌ焼という磁器の製造に使われている、とてもきめの細かい粘土が固まってできた石である。アクティーヌ公爵領と隣接して存在する、リモーヌ子爵領の特産品だ。
磁器製造の秘伝は門外不出で材料の粘土も通常の流通には乗っていないはずなのだが、どうやって手に入れたのだろうか。……まあ、王族だからかな。身も蓋もないけれど。
ちなみにこの白くて細かい粘土の正体だが、もしこれが私の予想通りなら、カオリンと呼ばれる鉱物だ。なんでも皮脂の吸着力と保湿力が高くて、良い洗浄剤になるらしい。
ミヤコが友人に誘われて行った泥パックエステの素材だったのだが、名前が特徴的で覚えていたのである。フランス産で磁器製造に使われる粘土ってそんなに種類はないだろうから、まず当たりだろう。
ではこれを使って泥パックエステを開くよ! ……というのはひとまず置いといて、今回探していた理由はエステのお姉さんがミネラルファンデとしても使えると言っていたのを思い出したからだ。
この世界で流通している化粧品は、原材料表示なんてない。だから毒性が怖くてなかなか常時フルメイクはできなかったけど、これなら良いパウダーファンデになりそうだ。
とはいえ見た目の仕上がりの良さは、現状で一番人気の鉛白が最強すぎて超えられないだろう。一般に売り出すのは難しそうだが、とりあえずは自分が使う分だけできればいいか。ああそういえば、確かココアパウダーを混ぜればオークル系のシェーディングにもなるとかなんとか――。
しばらくじっと一人で考え込んでいた私は、おにい様の声で我に返った。
「あれ、こっちもフロル宛てじゃない?」
兄から手渡されたのは、白磁の縁に金彩が施された可愛い小物入れである。中に重みを感じて花が描かれた蓋を開けると、出てきたのは……スミレの花を模った、淡紫色の小さくて可愛いキャンディーだった。
これは騎士団が現在滞在中であるトゥールの街で最近作られ始めた、富裕層向けのお土産物らしい。添えられていたメッセージカードには、『意匠の凝った菓子に興味があるとのことだったので送る』とだけ書いてあった。
このスミレは、確かトゥールの街でさかんに栽培されている名物のはずだ。三大公爵家のお膝下とはいえ、王都から遠く離れた地方でもこういう発想がどんどん生まれているのなら……こちらも負けないように新商品を開発していかなくては。
それにしても、殿下はどんな経緯で、この品を買い求めたのだろう。この綺麗なケースに入れて贈る発想は、誰のもの? こんな程よいプレゼント、いつも引くぐらいサービス過剰な殿下らしくない。誰か女の人とかに、アドバイスしてもらったのだろうか。
キャンディーをひとつ摘まんでぼんやり眺めていると、兄が言った。
「フロルはさ、本当のところ、セレスタン殿下のことはどう思ってるの? その宝石よく付けてるのに、殿下に会いそうなときは付けてないよね」
「はい!? べ、別にたまたまですけど!」
まさかこの、いかにも服とかアクセとかに無頓着そうな兄からの不意打ちに、私は盛大に動揺した。思わず襟元に手をやると、淡い緑柱石を隠すように握りしめる。
……まさかこんなとこ、チェックされているとは思わなかった。いや本当に、普通にアクセとして気に入ってるだけで、特に意識してやってる訳じゃないんだけど。本当に。
私が内心で冷や汗をかいていると、兄は探るような目をして続けた。
「ふぅん……で、実際のところ、どうなの? そろそろいくつか縁談が届き始めてるから、君の保護者としては本人の希望を把握しときたいんだけど」
「縁談!?」
「まあ、夜会で軽く話が出るくらいだけどね。で、どうなの?」
いつになく真面目に聞いてくる兄は、有無を言わせぬ雰囲気である。私は逃げることを諦めて、口を開いた。
「……正直に言うと、自分でもよく、わかりません。ただ、元の幸せを取り戻して差し上げたいと……そう、思っているだけです」
「幸せねぇ……そんなの、君がそばにいてあげるのが一番だったんじゃないのって思うけど」
「そうでしょうか? 別に殿下は、疫病対策のためにご後援下さろうとしただけですわ。別に、好きとかは言われていませんし。それどころか……妻の役目は望まないって、はっきりとおっしゃいましたもの。そばにいて欲しいなんて、ひとっことも、言われてませんから!」
私が思わず声を上げると、兄は呆れたような顔をした。
「そんなの、言われなくても分かるでしょ?」
「言葉にされていないことなんて、他人に推し量れるものではありませんわ。勘違いしたら失礼ではありませんか」
「ええー……」
「そもそも、殿方にとっての幸せとは、女一人居れば良いようなものではないでしょう? 殿方の幸せは結局、名と誉れですから。わたくしは殿下の名誉を取り戻して差し上げたいのです」
今の彼に必要なものは、私個人ではない。私のように彼を恐れない人間が増えることである。
「そう、一人より二人、二人よりハーレムなのです!」
「……ひねくれてるなぁ」
「正直言って、自分がひねくれている自覚はありますわ」
思春期の発達途上な大脳辺縁系に、かつて大人の価値観を形成したものと同じ量の情報がドカンと一括投入されたのだ。不自然な急成長は、そのメンタルを歪にさせても仕方のないことだろう。うん、仕方ない。
そんないかにもひねくれ切ったことを考えていると、兄がため息をついた。
「男だって、そんな単純なものじゃないんだけど……」
「では……」
私はすっと息を吸い込むと、胸の前でゆるく両手を合わせて言った。
「さすがはおにい様です。すっごーい! ……って言われたら、嬉しくありません?」
「……バカにしてない?」
「バカになんてしてません。本心から常々そう思ってますわ! いよっ、紅蓮の若獅子!」
「絶っっ対に、バカにしてるだろ!」
「そんなこと、ありませんわ。おにい様は比類なき能力をお持ちなのに決して驕らず、民の声に耳を傾け、その幸せのために身を削り常に努力を続けていらっしゃるでしょう? 生まれながらに嫡男としての宿命を課せられたおにい様が、どれほどの重責を負っているのか……わたくし、先日の防衛戦で、ようやく気付きましたの。おにい様が領主であって、この地の民も、家臣たちも、そしてわたくしも……本当に幸せなのだと、そう心から思います」
もちろんこれは、ネタではない。こんな流れでもなければ照れくさくて言えなかった、本当の気持ちである。
「いや別に、このくらい普通だけどね……」
だがそれを聞いた兄は、すっと表情を消すと……眼鏡を外してハンカチでレンズを拭き始めた。
この急に関心薄そうに素っ気なく振る舞う感じ、本気で照れているときの反応である。いつも穏やかで本心が読みにくい事の多いおにい様だが、近ごろようやく傾向が掴めてきたのだ。
「……やっぱ男って単純」
「ん? 何か言った?」
「いいえ、何でもありませんわ! ところで、おにい様の方はどうなのです? わたくしに縁談が届いているのなら、おにい様に何もないはずがないでしょう?」
「ああ、一応そろそろ考えてはいるんだけど……ほらあれ、そうだ、あのフロルの友達でアンリの妹のオレリア嬢、どう思う?」
「はい? どう、とは……」
「ボルゴーニュ侯爵領とは隣接していて利害関係が強いし、年齢とか色々とちょうどいいんだよね。君とも仲いいから将来結婚した後も帰省とかしやすいだろうし……どうかな?」
「は? ちょうどいい、ですって!?」
『わたくしは……その……家のためではなく、わたくし自身を想って下さる方がいればいいなって、ずっと、その……』
私の脳裏に、真っ赤になりながらハンバーガーに顔をうずめていた友人の姿が蘇った。
「うん。え……ダメ?」
キョトンとした顔をする兄に、私は不穏な視線を返す。
「わたくしの大事なオレリアさんに、ちょうどいいから結婚しましょうなんて、ふざけたことを仰るおつもりですか!? ちゃんとひざまずいて愛を乞う覚悟が出来てから、出直してくださいませ!!」
「えっ、でも、そんなに彼女のこと知らないし……」
「だから、ちゃんと彼女のことをよく知ってから出直しやがれってんですわ!」
「て、手厳しいなぁ……自分のことは棚に上げといて、恋愛脳かよ……」
ボソボソと文句を言う兄の方を、ジロリと見ると。
「ま、まぁまだお互い先のことだしね! この話はまた今度にしよう! じゃあ次は、ぼく宛てに届いた荷物のことなんだけど……」
そう言って、おにい様は慌てたように話題を変えた。そんな兄が示した包みに入っていたのは、六本のアクティーヌ産赤葡萄酒である。そういえばアクティーヌ領は、ボルゴーニュ領と並ぶ二大銘醸地と名高い産地だったっけ。先日エルゼスでできた白葡萄の新酒を陣中見舞いに送ったから、そのお礼ということらしい。
「フロルも帰ってきたし、早めに殿下にお礼状出そうと思うんだけど……すぐ飲んで感想も書いた方がいいかな?」
「えっでも貴重なガラス瓶詰めだなんて、すごく良い物っぽいですよ? 飲み頃とかあるんじゃないでしょうか。誰か詳しい人いませんかね……モルコ卿とか?」
私は領内でも有数の醸造家である郷士の名を挙げたが、だが兄は首を横に振った。
「うちの領内で作ってるのは白ばかりだから、赤はあまり詳しくないんだよね」
「ならば……エヴァンドロ司教猊下に聞くのはどうでしょう? 葡萄酒には一家言あるみたいですし」
実はあれから司教とは、たまに遊びに行っておしゃべりする仲になっていた。司教は無類の説教好き、つまりおしゃべり好きな人物で、フィリウス教の内部事情をどんどん教えてくれるからである。
特に司教の三人のお妾さんのうち一番若いビアンカ姐さんとは、新作のお菓子を持って訪ねたり、旅行のお土産をもらったりする間柄になっていた。そもそも三人の姐さんたちは全員とっても美人な上にコミュ力が高くて、おしゃべりするのが楽しいのである。
だが、ほんの少しだけ違和感を感じるときもあった。それはエルゼス領内に、三人揃っていることがほぼないという点である。いつも誰かが理由を付けて、入れ替わりで旅行に出かけているようなのだ。ならば一緒に行けばいいのに、エルゼスから全員が一度に出払うこともない。
ビアンカ姐さんに一回だけ聞いてみたら、全員で出かけたら猊下が寂しがるからと笑っていたけど……考えすぎかな。
とりあえず今は考えるのは後にしておいて、私は司教に使いを送ることにしたのだった。




