116話 おにい様は心配性
「おにい様っ!」
国境の川に三度架けられた、氷の橋。その向こう岸に懐かしい兄の姿を見付けて、私は思わず馬車の窓から身を乗り出して手を振った。ほんの三か月ほど留守にしただけなのに、もう随分と離れていた気がするのは……何故だろう。
「ただいま戻りましたー!!」
エルゼス側の地面へと降り立った瞬間。テンションの上がった私は思わず、出迎えてくれた兄の胸へと飛び込んだ。
「おかえりフロル、無事で良かった! けど、こら、閣下の前で失礼だよ!」
「ホントよォ~、仲良しすぎて妬けちゃうわァ」
呆れたような顔をして頬に手を当てているオネエ様に、私は慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません!」
「フフ、ちょっと意地悪言ってみたかっただけよ! 兄妹仲がいいのは良いことじゃない? それじゃあまた、近々会えるといいわねぇ」
「ええ、ぜひまたお会いしましょう!」
一転して破顔したオネエ様に、満面の笑顔を返すと。私たちは丁寧に礼を述べて、彼等の一行を橋の向こうへと送り出す。その姿が見えなくなるまで手を振ってから、私たちはようやく迎えの馬車に乗り込んだ。
その間ずっと私が上機嫌だったのは、どうやらダダ漏れだったのだろう。私の真向かいに座るなり、おにい様は苦笑しながら言った。
「魔人の方々とえらく馴染んでたけど……よほど楽しかったんだね、羨ましいなぁ。君単独って指定がなければ、ぼくも数日だけでも休みを取って行ってみたかったのに」
「ええ、とっても楽しかったですわ! おにい様には報告したい事がたくさんあるんですが……その前に」
私はサプライズへの反応にワクワクしながら、全身をすっぽりと包んでいたコート型の外套を脱いだ。下から出てきたのは、黒い三段フリルミニスカートに、膝上まである黒いソックス姿である。上に合わせているのは同じく黒のブラウスで、大きなリボンタイ付きだ。このオールブラックコーデ、我ながら、けっこう似合ってるんじゃないかと思うんだけど。
「この服、魔王国の女王陛下とおそろいを頂いたんです! どうですか? カワイイ?」
私は座席に着いたまま、向かいに座る兄に向かってドヤ顔でポーズを作る。不安定な馬車の中でさえなければ、くるっと一回転でもしていたところだ。だがその姿を見た兄は、どこか訝し気な顔をする。
「女王陛下とお揃いだって? それが?」
「はい。魔人の皆さまには、こういった服装がお馴染みらしくて!」
「そうなんだ……ぼくはその格好、フロルにはあまり真似して欲しくないかな」
珍しく厳しい顔をするおにい様に、私は気勢を削がれて項垂れた。これまでの浮かれていた気分が、急降下していくようである。もっと軽い調子で言われたのなら反論できたんだろうけど、こんな風に真剣な顔で否定される程だとは、思ってもみなかったからだ。
「ごめんなさい……可愛いと思ってくれるかなって……」
あちらの記憶がありそうなおにい様になら、ウケるかと思ってたんだけど……。私がしょんぼりとしながら、外套を羽織り直していると。その姿を見た兄は、すまなさそうな顔をしながら言った。
「いや、ごめん。よく似合ってて可愛いとは思うんだけど……。正直言うと、よその子なら手放しで大歓迎なんだけど、身内だと思ったらけっこう複雑な気分なんだよね。いや、可愛いとは思うよ? 思うんだけどね?」
「それは……ご安心ください。その『身内』のおにい様にしか、見せる予定はありませんから」
「ならいいんだけどさ……。魔王国では普通かもしれないけど、この国じゃ斬新すぎるから……いくら信頼してる相手でも迂闊に見せないようにね。特に、新商品とか言って例の商人に見せたら絶対にダメだよ?」
「例の? ギィのことですか?」
「そう。……最近ちょっと、親しく出入りさせすぎじゃない?」
「ああ、しばらく不在の予定だったので……ちょっと先の分まで細かく打ち合わせをしていただけですわ」
「ふぅん……あの商人、なーんかまだ企んでそうなんだよなぁ……」
「そうでしょうか? 単純に、より利益の見込める方へと動いているだけかと思いますが」
「考えすぎかなぁ……」
外套の前ボタンを全て留め終えた私は、まだ考え込んでいる様子の兄に今回の旅の出来事を報告することにした。
「そんなことより、キナノキが見つかったのです! それも生産量が充分なので、安定供給してもらえることになりました!」
「あれ、ゲルマニアにあったの?」
「いいえ、南米にあるタワンティナ魔王国まで行きましたわ」
「ええっ! この短期間で!?」
「はい!」
私はエルゼスを離れている間に起こったことを、かいつまみながら一通り説明した。転移装置の存在に、キナノキ、ゴムノキ、カカオ、バニラ、トマト……そして、温泉卵。あと一応、予防薬接種の実演で熱を出した件も。
……すると兄は、盛大に頭を抱えた。
「実演で予防薬の効果を証明するから充分な滞在期間が必要とは聞いてたけど、まさか自分で実演して見せたなんて……聞いてなかったんだけど!?」
「すみません……言ったら行かせてもらえないかと思って」
「当然だよ! 結果は助けてもらえたけど、発症したらどんな扱い受けるか分からなかったんだから! あまり心配かけないでよね!? ……将来ぼくがハゲたら、フロルのせいだから」
「わかりました……おにい様の毛根のために、次からは黙っておきますね!」
「だから、そういう問題じゃないってば!」
おにい様は額に手を当てて深いため息をついてから、真剣な顔をして言った。
「フロランス、ぼくは君のことが大事だから、思わず苦言を呈してしまうんだ。それだけは忘れないで。ぼくの知らないところで危険にさらされてるんじゃないかと思うと、心配でたまらないんだよ……」
「ごめんなさい……」
「とにかく、無事でよかった」
深い安堵の溜め息をつく兄を見ながら……『兄というのも、なかなかツラいんだ』そんな、再従兄の言葉を思い出した。
心配してくれる人がいるということは、幸せなことなんだろう。私はあまりおにい様を心配させ過ぎないようにしようと、少しだけ、反省したのだった。




