111話 怖くないと言えば嘘になる(2)
ふと目を覚ますと、視界には見覚えのない天蓋が広がっていた。
あれ、なんでこんなとこで寝てるんだろ……そうぼんやり考えながら視線を巡らせると、すぐ横の椅子に長い脚と腕を組んで座っているのは、ド派手な大男である。
「うわっ! なに!?」
思わず飛び起きると、男はちょっぴり傷ついたような表情を浮かべて言った。
「え、ひっどーい! 寝ずの看病してあげてたのにィ」
「あ……申し訳ありません!」
ようやく頭が回り始めて、反射的に私はベッドの上で土下座する。
「って、近寄ったら危険じゃないですか! すぐに外へ……」
斑点病は飛沫でも感染するタイプの疫病だ。慌てて口もとを押さえて部屋の扉の方を指し示す私に向かって、オネエ様は気楽な様子で手を振ってみせた。
「ああ、大丈夫よォ。実はアタシ、斑点病は昔すごーく軽く罹ったことがあるのよね。アナタの言う予防薬って、要はアタシが罹ったような軽いものにわざと罹って、対毒性を得るということでしょう?」
「そうです……。でも、この結果では受け入れてもらえませんよね……」
そう私が肩を落とすと、オネエ様は呆れたような声音で言った。
「それがねェ……アナタみたいな命知らずのバカが、もう一例いたのよね」
「もう一例?」
オネエ様が合図すると、侍女さんが一人、部屋の外に出る。それと入れ替わるように現れたリゼットが、私のもとに駆け寄りながら言った。
「お嬢様! よくご無事で……!」
「リゼット! まだ、近づかないほうが!」
「大丈夫です。予防薬接種、完了しております!」
「どういうこと!?」
「この子はねぇ……アナタが寝込んですぐに、予備の予防薬を自分で打ったのよ。そしてどうやら、発症はしていないわ」
「そんな……体調は大丈夫!?」
「はい。二、三日の微熱と倦怠感はございましたが、それももう、改善いたしました。接種箇所にできた水疱も、乾き始めております」
リゼットに出ている症状は、通常想定される程度の副反応である。
「そう、よかった! そういえば、私も接種箇所以外の発疹は……あ、あった」
ベッドに座りこんだまま、ゆったりとした寝間着の襟元からお腹のあたりを覗き込む。すると水疱瘡のような赤い発疹が、鳩尾の辺りにぽつぽつと見えた。だがこのくらいなら、痕も数年と経たず目立たなくなるだろう。
こうしてみると逆に、良くも悪くも『効果のあるもの』だという証明になったかもしれない。何も症状がないと、本当に効いているのかな? と不安にもなるのだ。
そこに自己治癒力を高める効果のある治療呪文を、最強の水術師によってじゃんじゃんかけてもらえたのは……とても幸運なことだったのだろう。本当に、オネエ様々である。
いつか必ずお礼をすると言ったら、私の頭をぐりぐり撫で回しながら「そんなこと気にしなくていいの!」と言われてしまった。異種族の私になぜここまで優しく対応してくれるのか、すごく不思議なんだけど……二百歳オーバーのオネエ様からしてみたら、十六歳児なんて赤子のようなものなのかもしれない。
*****
――十数日後。
「おかげさまで、発疹もすっかり落ち着きました。もう新たに他人に感染させることはない状態だと思います」
お腹のあたりに僅かに出てきた発疹はすっかり痂皮化、つまりカサブタと化し、そして剥がれ落ちていた。通常であれば発疹が枯れ果てるまで数週間はかかるはずだけど、どうやら強力な治療呪文が早めるのは創傷の修復だけではないらしい。
「これも惜しみなく治療呪文を使っていただけたおかげかと存じます。本当に、ありがとうございました」
ベッドの上に座り込んだまま頭を下げると、オネエ様は笑いながら手を振った。
「あら、気にしなくていいのよォ! どうせ魔力なんて、使わなくっても一定以上は溜まらないんだから。こまめに使わなきゃもったいないじゃない?」
病室に引きこもり生活を余儀なくされている間、彼女はずっと私の話し相手になってくれていた。おかげですっかり魔王国の事情に詳しくなったのだが、テレビもネットもないこの世界で、もし一人ぼっちで何日も隔離されていたらと思うと……今ごろストレスで爆発してたかも知れない。
おにい様との定時連絡はあるけど、ずっと『問題ナシ』とだけ送っていた。心配かけるんじゃないかと思うと、言えなかったのだ。
「それでは大幅に遅れてしまいましたが、予定通り明日から村の看護指導に向かってもよろしいでしょうか?」
「本当に大丈夫? もう少し休んだ方がいいんじゃない?」
「大丈夫です! 今まで感染源になるカサブタが残っていたので外には出られませんでしたが、体調の方はもうすっかり元気なので!」
「そう……じゃあ無理しない程度にね。アタシも同行するわ」
「いえ、でも……」
「アラ、遠慮なんてしなくていいのよォ。アナタ見てると退屈しないんだもの」
自らの頬に手を当てつつニヤリと笑うオネエ様に、私は苦笑を返す。
「それは……では、お願いします」
看護指導に向かう『村』とは、バルデン領内にまだわずかに残っている斑点病患者がいる村のことである。患者の看護を実演及び指導してみせて、それでも感染しないことをアピールすることが目的だ。
もっとも、ちゃんと感染対策は行った上で看護するんだから感染しないのは当然なんだけど……これも結局はパフォーマンスの一環なのである。
村へと向かう馬車に乗り込みながら、私はいつものように付いてこようとするリゼットへ声をかけた。
「リゼット、無理はしなくていいのよ! 怖いでしょう?」
接種で発症しなかったリゼットは、逆に本当に予防薬が効いているのか不安なはずだ。だがリゼットはしっかりと首を横に振ると、口を開いた。
「お嬢様のお創りなさった薬です。それで救われただろう人々を、何人も見ています。何も怖くなどありません」
「リゼットは……強いのね」
「いいえ、違います。お嬢様がいらっしゃるから、強くなれるのです」
「……ありがとう」
微笑むリゼットに勇気をもらうと、私は明るく言った。
「では、行きましょうか!」
「はい!」
こうして二週間の看護指導を終えたが、私たちが新たに斑点病を発症することはなかった。さらに前もってヴァリオラ村での接種の様子を視察しに来てくれていたヘルフリート卿の報告書も手伝って、斑点病の予防薬は、ようやく魔王国女王陛下の承認を得ることとなった。
「我らの同胞も、斑点病で多くの命を失った。どうか、その予防薬を分けてたもれ。まあ、受け入れ試験は初めに充分やらせてもらうがな」
「もちろんでございます!」
「ではその報酬は……確かタワンティナ魔王国との橋渡し、じゃったか」
「はい! それと、もう一点……可能であればお願いしたいことがございます」
私がぐっとシリアスな表情を作って言うと、魔女王陛下も真剣にうなずきを返す。
「うむ、申せ」
「先日ご紹介頂いた源泉、このあと温度を計測させて頂いても?」
「温度?」
「熱さの指標でございます。ところで魔人の皆様は、鳥の卵は召し上がりますか?」
「ああ、食べるが……一体何をしようというのじゃ」
訝しげな表情を浮かべる女王に向かい、私はにっこりと笑いかけた。
「それはまたいずれ、結果が出ましたらご報告いたしますわ!」




