107話 銀眼の癒し手
「これは……ル=マンディエ公爵閣下におかれましては、ご機嫌よろしゅう」
私は目の前に立ちはだかったご夫妻に向かって、淑女の礼をとった。隣で同様に、ティボー子爵も右手を胸に当てて頭を下げている。
ル=マンディエ公爵モンヴォワザン家は、北西の海岸線を護る三大公爵家の一角である。そんなご夫妻は当主にしては若めで、確かまだ三十代くらいだっただろうか。
そんな若き公爵であるグレゴワール閣下は、腕組みしつつこちらを見据えて、言った。
「先日は王孫殿下に必死で取り入ろうとしていたが、成功おめでとう。君はなんでも、民から戦場の天使だとか呼ばれているらしいな。癒しの力もないのに小汚い戦場で這いつくばってまで平民共に媚びるなど、我々水術師にはとても真似ができないよ。そなたと違い強大な癒しの力を持つ我が妻は、手を触れずとも傷など一瞬で治療できてしまうものでね」
そう一息に言って、公爵閣下はこちらを見下すような薄笑いを浮かべた。
「ほんとうに。そこまで民に尽くすことができるなんて、エルゼス侯爵令嬢はなんとご立派なことでしょう。わたくし、とても真似できませんわ」
夫の腕に自らの腕を絡みつけながら、媚びるような声音で夫人が言った。金古美の髪が縁取る顔は美しく整っていて、その瞳の色は――銀である。
夫人の言葉に満足そうにうなずいた公爵は調子が出てきたようで、さらに滔々と演説を続けた。
「あの程度の戦果で歌になるとは、どうせ吟遊詩人どもに金でも掴ませたのであろうが……それを軽率に支持する王都の市民も市民だな。まったく、真の良き施政者とは、時には民にとって厳しい選択も必要となるのだ。だが愚昧なる者どもは、阿附迎合の英雄譚に儘ならぬ日々の慰みを求めてしまうのだろう。これが歴史ある王都十万の民の現状とは……なんと低俗化してしまったのだ、嘆かわしい」
「ほんとうに。とても嘆かわしいことですわ」
夫人の同意を受けて、公爵は再び満足そうにうなずき返す。そんな二人に今度はおとなしく頭を下げつつ、私は内心で軽くため息をついた。
「閣下のおっしゃる通りにございます。わたくしのような取るに足らない者にお声がけ下さいまして、恐縮に存じます」
さっき大伯母さまといるときは近くに居ても無視だったのに、今さら声をかけてきたとは……戦闘力が下がるタイミングを見計らっていたのだろうか。
大伯母さま情報によると、確かル=マンディエ公爵といえば先代の急死で若くして代替わりしたばかりである。それもあってか、「歴史的に見たら三大公爵家筆頭はウチなんだ!」と、最近勢力を伸ばしているロートリンジュ公爵を強くライバル視していたはずだ。なんか絡まれてるっぽい理由は、おそらくそれが原因だろう。
それにしても自分の気に入らない現実はどうせ工作なのだろうなんて、三大公爵家の現当主閣下にしてはちっさいイヤミを言ってくれるものだ。でも言われてみれば、吟遊詩人のスポンサーになってCMをお願いする手法ってアリかもしれない。ご期待にお応えして、今度試してみようかしら。
さて、後は適当に流そうかな……そう考えた私が黙っていると、フェルナン卿が口を開いた。
「確かに、同じ水術師である私は……銀眼をお持ちのル=マンディエ公爵夫人のお力を、ようく存じ上げておりますよ」
「フフン、確かティボー子爵だったかな? よく分かっているではないか」
思わぬところから同意を得て、得意げな顔をする公爵に……だが子爵は物怖じしない無表情で、問いかけた。
「ところで、夫人もかの園遊会に参加なされていたと記憶しているが……はて、記憶違いでしたかな?」
「いや、確かに参加していたが」
「ならばなぜ、ご自慢の治療呪文で王孫殿下を治療して差し上げなかったのでしょう」
「何を言う、そなたも水術師ならば知っておるだろう? 治療呪文で一度止まった心の臓を動かすことはできん」
「だがフロランス嬢は、見事に王孫殿下をお救い申し上げましたがね」
「だからそれは、悪魔の術でも用いたのだろう!」
「エルゼス侯爵令嬢の『心肺蘇生法』は、正式に国王陛下より治療法として認可されたのですよ? ああそういえば、かの『阿附迎合な英雄譚』とやらも陛下よりお褒めの言葉を賜っておりましたが……閣下が今おっしゃったことを、陛下の前でもう一度繰り返す度胸はおありですかな?」
「なっ……貴様、誰に向かって物を言っておる!」
「ル=マンディエ公爵閣下にございます」
「くっ、子爵風情が……覚悟しておれ!」
子爵にすっかりやりこめられて、公爵夫妻は小物丸出しな捨て台詞を残して去って行く。その姿を見送りながら、フェルナン卿はボソリと言った。
「……私はあのご夫妻が大嫌いでしてな」
「三大公爵家の現当主閣下に、そのようなことを言っても大丈夫なのですか!?」
「フフン、構いやせぬ。どうせ私には守らねばならぬ物などないのでね」
「ティボー子爵家があるではありませんか!」
「私はかつて実家を捨てた身。今の爵位は私が自らの手で功を立て、大公殿下より賜ったものだ。独り身であるし、怖い物なぞ何もないわ。何が『銀眼の癒し手』だ。使わぬ才能など、持たぬも同然だろうに!」
そう言って忌々しそうに腕組みをする子爵に、私は常々疑問に思っていたことを問いかけた。
「銀眼の治療呪文って、どれほどの威力がございますの?」
「なんでも、目に見える範囲の怪我人を、一度にまとめて瞬時に治癒できるほどと言われているな。まあ、実際に目にした事はないゆえ、眉唾かもしれんがね」
「目に見える範囲とは……。才能があるって、羨ましいですわね……」
さっきはイヴォン卿にあんな偉そうなことを言ったのに、結局は私も同類なのかもしれない……。私が思わず弱音をもらすと、フェルナン卿は鼻を鳴らして言った。
「何を言う。あんな虚飾の天才よりも、フロランス嬢の方が何倍も治療師の才能があると思うがね。絶対に、負けるでないぞ!!」
「別に勝負してませんって!」
「君はあんな風に自らの努力を馬鹿にされて、腹が立たんのかね? 公爵は君を讃えた民まで侮辱したのだぞ?」
「公爵閣下は自分よりも下に見ている人間が、自分を差し置いて支持を集めているのが気に入らないものだから……支持している側の人間を『支持されるに値しないもの』とすることで、自己を肯定していらっしゃるのでしょう。求める答えは予め決まっていますから、議論するだけ時間のムダですわ」
「君は……先程の熱さは一体何処へ行ったのだ? 落差があるにも程があるだろう」
「それは……先ほどは兄を侮辱されたからです」
「では自分ならば大丈夫だと? 悔しくはないのか? 相手は生まれつきの地位や才能に胡坐をかき、大した努力もせずに他人を見下していい気になっているような者共なのだぞ?」
呆れたような顔をするフェルナン卿に、しかし私は思案するように首を傾げた。
「その才能あるご夫人のことですけれど……いい気になっている感じでしょうか? 私には、なんだかずっと公爵の顔色を窺っているようにも見えましたが……」
「ハッ、どうだかな。誰よりも強い法力を持ちながら、全て夫任せで自ら役立てようともしないような女だぞ」
「誰もが強く在れるわけではありませんわ。わたくしも、今まで何度も兄の背に隠れてしまいたいと思いましたもの」
「まあそれは一理ある。この国では女人が力をふるえる機会はあまりないからな。だがそれ以前に、好印象を持てない理由があるのだ」
ル=マンディエ公爵夫人ベランジェーヌ様の生家は、傍系の小さな男爵家である。だが生まれてすぐに、本家筋である侯爵家の養女として引き取られた。開いたまぶたの下から現れた瞳が、銀色だったためである。
強大な力を持つ銀眼ながら、そんなベランジェーヌ嬢の血筋は王家から遠いものだった。そのため成人してすぐに、同い年の第二王子……つまりセレスタン殿下と婚約することになったのである。
だが斑点病の療養からようやく戻った殿下を待っていたのは、顔を合わせるたびにひどく怯えた様子の婚約者だった。
その姿を心苦しく思った殿下は、すぐさま彼女に婚約の解消を申し渡した。以降、彼は自棄になったかのように……前線を渡り歩く生活を続けるようになったのだという。
「――まったく、本当は誰よりも殿下をお支えすべき立場だったにも関わらず、な。しかもその直後に婚約したあの公爵は、銀眼の令嬢を呪われた王子の呪縛から救い出したなどと、得意げに吹聴して回っていたのだ! 婚約を破棄してやったのは、そもそも殿下からの気遣いなのだぞ!?」
子爵は声を荒げたが、一転して声音を落として続けた。
「あの頃の殿下は荒んでおられて、見ていられなかったよ。もっとも二十を過ぎたあたりから、すっかり諦観を抱かれたようになってしまって……まだ若い身でそれもどうかとは思うのだが」
「フェルナン様は、その頃から呪いなど信じていなかったのですね」
「馬鹿にするでない。私はあんな治癒力を持つだけのまがい物共とは違う、根っからの治療術師だ。患者の経過は、誰よりも気にしておる。単なる噂を丸のみにするような輩共と、一緒にしないでもらおうか。とにかく……負けるでないぞ!!」
再び声を上げるフェルナン卿に、私は力強くうなずいた。
「……ええ、そのお話を伺ったら、わたくしも何だか腹が立って参りましたわ。こうなったら一刻も早く殿下の呪いを打ち払ってリア充の地位を取り戻し、銀眼なんて目じゃないくらい最高のお妃様を見つけて、かの夫妻に目にもの見せてやりましょう!」
私は閉じた扇子を握りしめて力説したが、しかしフェルナン卿は呆れたような顔をする。
「いやそこは、君ではないのか? なぜ他の女を連れてこようとするのだ……」
「わたくしなんかと結婚したところで、あのご夫妻を『キーッくやしー!』とは、言わせられないでしょう!?」
「いや待て、手段と目的を取り違えてどうする……」
フェルナン卿がついた深いため息を――私は聞かなかったことにした。
フェルナン卿の過去話「少年の懺悔、少女の願い」を先ほど投稿し、シリーズに追加しています。
やたら上司に肩入れしていたり、疫病対策に協力的だったりする背景が明らかになります。
悲恋物でも大丈夫という方、よければ併せてご覧ください。
次話より毎週月水金の更新になります。
よろしくお願いいたします。




