第10話 ナイチンゲールは籠の中
「フロランス、これをやろう」
「まあ、小夜啼鳥ではありませんか!」
ドアを開けるなりずいっと差し出された鳥かごの中身を覗き込んで、私は驚きの声をあげた。
お風呂……特に足湯にハマってすっかり調子の良いおじい様は、最近驚くほどフットワークが軽くなっていた。以前ならプレゼントなんて使用人に届けさせておしまいだったはずである。
「王都からの行商人が領内に持ち込んでいたようでな、ジェロームが厳重注意し召し上げたそうなのだが……なぜか飛び立とうとしないのだ。ならばそなたの無聊の慰めにでも、と、献上してきおったというわけだ」
「そうだったのですね。ありがとうございます」
そっとかごを受け取ると、小夜啼鳥……地球ではナイチンゲールとも呼ばれるその鳥は、小さな檻の中でヒョロヒョロと美しく鳴いた。
三十五年前のエルゼス奪還戦争にて──
ロートリンジュ公爵家の次男ヴィルジール公子は、手勢たったの六十余騎を率い、華々しい戦果を挙げた。特に夜討ち朝駆けを得意とするその戦術スタイルから、いつしかヴィルジール隊は「夕暮れ時と夜明け前に美しい声で啼き、静かな死を運ぶ」と言われている小夜啼鳥の異名をとるようになる。
大勢を覆し、ついに敵の総大将である先代バルデン辺境伯を討ち取ったヴィルジール公子は、停戦条約の締結と共にエルゼス侯爵に封ぜられ、同時に王より新たな家門の創設許可と共に「ロシニョル」の家名を賜った。
そのためこのエルゼス侯爵領では、小夜啼鳥は条例で保護された動物、つまり殺したり捕まえたりペットにしたりは御法度な存在なのである。
だが美しい声を持つ小夜啼鳥は墓場鳥なんていう物騒な別名があるにもかかわらず、王都ではペットとして大人気の鳥だ。そのため条例を知らない商人が、商品としてうっかり持ち込んでくることがたまにあるのである。
私は部屋のドアを閉めると、鳥かごを抱いてため息をついた。
エルゼスにある十二の開拓村を治める村長の一人であるジェローム・ルロワ卿は、ロシニョル家の家臣でもある半農半士の郷士である。ロシニョル家がエルゼス侯爵に封ぜられたとき、一族郎党、つまり親族と家来たちを率いて、共にエルゼス領へ移住してきたのだ。
騎士の称号と家名を持つ彼ら郷士だが、実は貴族ではなく準貴族の扱いである。理由は簡単で、法力を持っていないからだった。
「無聊の慰めに」とは、つまり「暇つぶしにどうぞ!」ということなのだが、籠の鳥を寄越してくるとは……なんて皮肉なんだろう。そう考えて、私は苦笑した。
主家に忠誠心厚く無骨なルロワ卿のことだ。純粋な好意からの贈り物で間違いはないだろう。だが私には、その事実がいっそう皮肉に感じられたのだ。
「君、飛ばないんだっけ? じゃあかごは必要ないよね」
私はかごの戸を開けたが、小鳥と呼ぶには少し大きい滑らかな薄茶の羽を持つ鳥は、微動だにしなかった。
……こやつも引きこもりか!
商品として取引されていたそうだから、すっかり餌付けされて飛び立つ気力もないのか、はたまた自分の境遇を諦めてしまったのか。私はかごの戸を開けたまま固定すると、目線を合わせるように覗き込んだ。
「仕方ない、しばらくルームシェアといきましょうか。ええと名前は……とりあえずサヨちゃんで」
ちょっと小首をかしげた仕草を強引に同意と受け取って、私はサイドテーブルに鳥かごを置く。するとサヨちゃんはくあっとひとつ欠伸のような動作を見せると、目を閉じた。
……引きこもりの上に昼夜逆転なのね。
私はひとつ苦笑して、ベッドの上に腰かけた。
「それにしても、出来ることが本当に少ないのよねー……」
いろいろやろうと決心した矢先。早々にできることがなくなって、私はぼんやりと天井を眺めた。
この国では、貴族の子女が一人で出歩くことは禁じられている。外出時には成人済の男性親族同伴、もしくは有資格者の護衛二名以上の同行が必要なのだ。
だが今のロシニョル家には常勤の護衛を雇う余裕などなく、足の悪い祖父と引きこもりの兄しかいないフロルが外出することは、簡単ではない。
フロルはずっと、自由を求めていた。そして、何でもできる大人に憧れていた。自由な時代を生きる大人であったミヤコの記憶が目覚めたのは、そんなフロルの願いのせいなのかもしれない。
とはいえ実のところミヤコは、やる気や行動力がある方だとはお世辞にも言えないぐーたらなタイプだった。できるなら働きたくないし、なんならサバンナよりも動物園の方が楽そうと思っていたくらいである。
だがマンガもゲームもネットもないこの国で一日中引きこもっているのは、恐ろしいほど退屈だった。
では普通のこの国の貴族の子女はどう暇をつぶしているかというと、基本は王都での社交である。それ以外にインドアの趣味といえば、詩作や刺繍、楽器の演奏くらいだ。しかし詩を書くには紙がなく、刺繍をするにも糸がない。
家庭教師の課題をこなすぶんには大伯母様が善意で用意してくれていたが、なんせ羊皮紙や色糸は恐ろしく高価である。お金がないのに余分なものを頼むことはできなかったし、気の利く方でないおじい様が気付いてくれる訳もなかった。
そんな状況でできるのは、楽器の演奏と書庫の蔵書を読み返すくらいである。その蔵書というものも、新刊といえるものは毎年発行される貴族名鑑くらいなものだ。
今までよく病まずに生きてこられたものよね。いや、病んだからこそミヤコの記憶が目覚めたのかも──。そう考えて、私は深いため息をついた。
こんな状況では、まだ働いていた方がいくらかマシだ。長年引きこもっているおにい様……色んな意味で大丈夫かな?
結局特にできることも思い付かなかったので、私は病気になる前の日課である楽器──オルガノンの練習を再開することにした。




