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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
十章

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第99話 ふたつの世界

 ベルガエ騎士団が去り、すっかり更地に戻された仮設病棟の跡地を……私は領主館でも高い位置にある一室でお茶を飲みながら、じっと見下ろしていた。ほんのひと月前まであそこで目まぐるしく働いていたなんて、もう自分でも信じられないようである。


 街の中心地にぽっかりと空いた土地を眺めながら、私はつい先日までここにいた人々を思い出した。王都に戻ったピエール先生は、今頃自邸に帰り着いた頃だろうか。マクレ男爵も栄転でロートリンジュに帰ってしまったし、何かとうるさいジャン=ルイだって、いなくなってしまうと寂しいものだ。


 忙しいときは忘れていられるんだけど、こんな風に空き時間ができるとつい感傷的になってしまう。しばらくぼんやりと物思いに耽っていた私の意識を、扉の開く音が現実に引き戻した。


「フロルごめん! お昼一緒にって言ってた件なんだけど、今来客中で……昼までに終わりそうにないから、悪いけど先に食べておいてくれる?」


「来客って、どなたですか?」


 仕事なら仕方ないとは分かっているので、相手を聞いたのは純粋な興味からである。人を寄越さず自ら伝えに来てくれただけでも、充分すぎるくらいだ。だが言い方がよくなかったのか、兄は申し訳なさそうに頭を掻きながら言った。


「ピエヴェールの街壁修理に呼んだ、自由石工組合(フラン・メソン)の築城技術者だよ。いま小休止してるんだけど、修繕か改築かでなかなか方針が決まらなくて」


自由石工組合(フラン・メソン)? 普通の石工組合とは違うのですか?」


「ええとね、自由石工組合(フラン・メソン)穴太衆(あのうしゅう)のような……」


「アノー衆?」


「ええと、なんて言ったらいいかな。実は石工の中でも築城技術者って、けっこう立場的に難しい仕事なんだ──」


 兄の話によると、城の弱点や貴人の脱出通路などの秘密を知ってしまいやすい石工たちは、かつては城が完成したら機密保持のために暗殺されてしまうことが多かったらしい。そのため築城術を持った石工たちは、国境をも越えた互助団体を作ることにした。そして門外不出として技術を高め合い、やがて各国の諸侯も一目置かざるをえない存在に成長したのだ。


 技術者をいちいち殺していては、高度な技は育たない。さらに守秘義務を徹底することで得られた信用も、自由石工組合(フラン・メソン)の地位の確立に一役買っていたのである。


「あの……その打ち合わせ、私も参加させてはもらえないでしょうか。落城のとき現場にいましたし、その、あまり差し出がましいことは言わないように気を付けますから……」


 外部の取引先が相手だし、やっぱりダメって言われるかな……。そう考えながら恐る恐る申し出る私に、兄は一瞬迷うような顔をした後で、うなずいた。


「先に約束破っちゃったのはぼくだし、いいよ」


「ありがとうございます!」



 *****



 自由石工組合(フラン・メソン)から派遣されてきた職人達のリーダーは、技術者として脂の乗り切った三十代くらいの男性だった。ウォルター・スミス氏という名前からすると、ブリタニア人だろうか。ほか数名の職人たちの名乗りも様々で、本当に国際色豊かな団体のようだ。


 お茶を飲むのすら忘れて続く彼らの議論が、その堂々巡りに気付いて少し落ち着いた頃。ひたすら黙って考え続けていた私は、ミヤコが観光で行ったとある城のことを思い出して、口を開いた。


「あのー……発言よろしいですか?」


 小さく手を上げる私に、兄はうなずいた。


「どうぞ」


「皆様ご存じかと思いますが、今回の奇襲で問題となったのは、壁に素早く近付かれてしまうと弓など曲射の武器で迎撃し難くなってしまうことでした。そこを単に修復しても二の舞ですから、多少時間がかかっても改築する価値はあるかと存じます。そこで死角を無くすため、壁を円形ではなく星形にしては……うーん、五稜郭みたいなの、って、何て言えば」


 だが頭をひねって言葉を探す私を見ただけで、兄は腑に落ちたようにうなずいた。


「ああ、稜堡式城郭りょうほしきじょうかくか。確かにそれなら防御の死角を潰せるね」


 そう言って勝手に納得した兄は、スミス氏たちと再び何やら詳しく話し込み始めた。



 *****



 どうやら私の意見は小さな一石を投じるくらいにはなったようで、昼食すら忘れたまま打ち合わせは次の議題に移っていた。予算と資材である。


「しかしこの規模の改築では、できる限り流用したとしても石材の調達が困難です。現在この地にある石切場を全て確認しましたが、採掘に数年はかかるかと。外部調達をお考えであれば……」


「石材ならぼくに考えがあるんだけど」


 難しい顔をするスミス氏の言葉を遮った兄は、部屋の入口に控えていたセルジュに合図する。しばらくしてセルジュが持ってきたのは、均一な色と整った角を持つ、四角いグレーの塊だった。


「この人工石、使えないかな。資材として強度が足りるか、確認する技術を貸してもらいたいんだけど」


「人工石? おにい様が作ったのですか?」


 驚いた私が思わず口を挟むと、兄はこちらを向いて経緯を話し始めた。


「そうそう。製鉄でどんどん出てくる石炭灰を何かに使えないかと思って、固めて人工石にする研究をしてたんだよね。塩水も岩塩の設備を流用できるし、今ある壁の廃材も砕いて使えば無駄にならないし、ちょうどいいかなって」


「へえー、それでこんな石が作れるのですね」


 私は言いながら、綺麗な直方体に形成された灰色のブロックを指でつついた。そういえばこれ、日本の住宅でよく壁に使われてたあれに似てるな。そうこれって、まるで──


 だが私が思い浮かべる前に、その名が飛び出してきたのはスミス氏の口からだった。


「そ、それは、コンクレートゥスではありませんか!」


 コンクレートって、え……コンクリート!?


「コンクレートゥスだって!? 使われてるの!?」


 驚愕の声を上げる兄に、こちらも興奮が隠せない様子のスミス氏は、上ずったままの声で答えた。


「魔族に敗れ滅びたとされている古代の大帝国はご存知ですか? コンクレートゥスはそこでさかんに使われていたという我々には夢のような建築資材なのですが……魔族との戦乱のさなかに失われた技術だったのです」


「まさか、その国の名は……」


「──ローマ帝国」


 ローマって、まさか……あのカエサルとかネロとかの古代ローマのこと!?


 ある考えに至って、私は息を飲んだ。やはりここは、地球だったのだろうか。千六百年前に異世界から魔族が転移してきたことで分岐した、ifの地球……。


並行世界(パラレルワールド)……」


 横からぼそりと呟く声が聞こえて、私はハッとした。そういやさっき、兄は何故か五稜郭と聞いただけで、その特徴を理解していた。そういえばこれまでだって、ストレッチとか、楽市楽座とか、うっかり使った日本由来の用語を何故か兄が普通に拾っていたのは……無意識に私が意訳して喋っていたんじゃなくて、兄も知っていたんだとしたら。


 もしやおにい様も、私と同じ──


 そこまで考えて、私は(かぶり)を振った。だからといって、何だ。おにい様がおにい様であることは変わらない。


 ──いつか時が来たら話してみよう。

 でもそれは、今ではない気がした。



 *****



 打ち合わせを終えてスミス氏を送り出した私たちは、街壁の現状を俯瞰したいという兄の後について、城で一番高い塔へと登っていた。


 ロートリンジュとの領境を仕切るように長々とそびえるヴェルジュ山脈。そしてバルデンとの国境を仕切るように伸びるルウィン川……その二本に挟まれるように細長く存在しているのが、ここエルゼスの地だ。


 そろそろ傾き始めた夕陽が、徐々に大地を赤く染めてゆく。山の向こうも、川の向こうも、そこに住む誰かの暮らしがあって、家路を急いでいる頃だろう。


「隣人と奪い合わないって、難しいことなのでしょうか」


 そう思わずこぼす私に、兄は低く呟いた。


「……隣人が、話ができる相手ならいいけどね」


 何か含むような言い方をする兄の頭には、領主として考えなければならない様々な課題が並んでいるのだろう。それは私には分からないけれど……私はミアのおじいちゃんや、あのマッチョなオネエ様となら、いつかこの手を取り合えると信じたい。


 皮肉なことだが、団結するには共通の敵を持つのが一番だ。その敵を、疫病に設定することができたなら──。


 いつの間にか夕陽の赤は地平へと追いやられ、あたりは黄昏の蒼に包まれていた。薄闇の中で遠くを見続けている兄の横顔は、相変わらず何を考えているのかよく分からない。でも私にとっては、誰よりも信頼できる横顔だった。


 「フロル」


 不意にこちらを向いた兄と目があって、ついじっと見つめていた私は軽く慌てながら返事する。


「は、はい!」


「ぼくの留守に領民達(みんな)を守ってくれて、ありがとう。よく、がんばったね」


 こみ上げてくる涙を、ぐっとおさえ込んで。

 私は、満面の笑みで応えることにした。


「当然ですわ。だって、おにい様の妹ですもの!」










第二部 領地再生編 -おわり-


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