8.父&友人②
「と、まあ、そんなやりとりがありましたわ。」
私はお茶をひと口含み、ほうっと息を吐いた。
微かな香りが胸をくすぐる。父は向かいの椅子で腕を組み、話を聞くたびに眉や口元を楽しげに動かしている。
「ははは、そうかそうか。ん? なぜ不満な顔をしているのだ」
本当に、よく見ている。
あら、私……そんなに顔に出ていましたの?
「ヴィクター様の『僕』呼び、『私』になってしまいまして……」
寂しさが、ひゅうっと胸を抜ける。あの柔らかくて、少し少年めいた自称。
気に入っていましたのに。
父は不可思議なものを見るように私を眺め、それから大きく笑った。
「お前にふさわしくあろうとしているのではないか? よいことだ。はは、変わったヴィクター君に早く会いたいものだ。それにしても、セレナは令嬢たちの処遇が本当に悲しいのか?」
その問いには、私は迷うことなく首を横に振った。
「いいえ? ヴィクター様が悲しい思いをしたことが悲しいだけですわ」
言い切ると、父は一瞬だけ目を丸くして、それからくつくつと笑い出した。
……変なお父様。
*****
「うるさい羽虫がいなくなって、だいぶ過ごしやすくなったわね、セレナ」
レティシアが紅茶を片手に、サロンの奥まったソファへ腰を下ろしながら、ほっとしたように呟いた。
午後の陽光が大きな窓から差し込み、銀食器とティーセットを柔らかく照らしている。
「まあ、口が悪いですわよ。レティシア」
思わず咎めながらも、私の口元も少しだけ緩んでしまう。
授業が終わり、いつものように学院のサロンでレティシアとくつろぐ時間。学生たちのざわめきも遠く、ここは小さな秘密基地のように落ち着いていた。
「そうそう、あなたの婚約者様に会ったけど、すごいわね! あれは別人ではないかしら。『セレナとこれからも仲良くしてくれ。』と、輝くような笑顔で頼まれたわ」
「ヴィクター様が? ふふ」
胸の内がふっと温かくなる。思い描くのは、最近ますます素直に喜びを表すようになった彼。
あの優しい笑顔が、他の人の目にもああ映るのね……と心の中で嬉しさが広がった。
レティシアは肩をすくめつつ、じっと私の表情をのぞき込む。
「……アルマンド公爵令息様の変わりようにも驚いたけど……あなたの変化にも、一応驚いているのよ、私」
あら。
ヴィクター様の愛らしさを、つい力いっぱい語ってしまったかしら。
あれほど懐いてくる子犬のような紳士を、愛でない選択肢などあります?
レティシアはカップを置き、声を落として言った。
「さて、次の『ざまぁ』は……あの方でしょうね、時期的に」
「そうですわね。そろそろ騒ぎだす頃でしょう。冬季休暇前のテストの時期ですもの」
名を思い浮かべるだけで、不機嫌になる。
――マリアーノ侯爵令息。
同じクラスで、常に私と首位を争う……と本人は思っているお方。もっとも、私が首位を譲ったことは一度もない。
実力で勝ち続けているだけなのに、彼は毎回必死で私に疑いをかけてくる。
『こんな僅差で負けるはずがない』
『不正だ、テストの内容を得ているのだろう』
『怪しい動きを見た、カンニングだ』
と、周囲に吹聴して回る始末。
成績に関する陰口、嘘の噂を流しているのが誰なのか――
考えるまでもない。
ヴィクター様は今、それを調べてくださっている。確信に近い予感が私の胸にある。
「全く、私たちと同じ A クラスなのに王子と仲がいいとか。勉強はできても頭はよろしくないのね、きっと」
レティシアの辛辣な言葉に、私は紅茶の香りをしずかに吸い込んで答えた。
「レティシア、彼は宰相を狙っているのですもの。王子、婚約者にすり寄るのは当然かもしれないですわよ」
そう、実は昔――
私が王子の婚約者から外れた時、マリアーノ侯爵令息との婚約話が浮上したのだ。あの時、安易に「学問が好きそうだから会話は弾むかも」などと選択しなくて本当に良かった。
家柄でヴィクター様を選んだ私……正解だったのだわ。
結果、大当たりですもの。
優雅に紅茶を飲んでいたレティシアが、深々とため息をつく。
「いやですわね。王子をたしなめることができないご学友が次期宰相。あの王子が王でミレーナが王妃でしょ? 宰相が彼……。この国も終わりね。あとは、あなたの計画がうまくいくことを祈るのみ。どちらにしても、私は隣国に嫁ぐから別に構わないのですけど」
隣国の第二皇子が婚約者だからって……本当に、他人事のように言って。
人生、どんな風に転ぶかなんて分かりませんわよ?
けれど、そんな余裕めいた物言いも、彼女らしくて嫌いではない。
「セレナが、どれだけ強大な存在か、そろそろマリアーノ侯爵令息様は理解するといいのよ」
自分のことのように得意げに言うレティシアに、私はそっと微笑んだ。




