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カエルになる魔法  作者: 未田
終章
76/76

第76話(最終話)

 三年後。


 午後五時を過ぎ、二十四歳の安良岡茉鈴はパソコンの電源を切ると、自席を立った。

 仕事が片付いているわけではない。だが、今日はとても大切な日なので、久々に定時で上がる。いつ以来なのか、思い出せなかった。


「すいません。今日はちょっと、お先に失礼します」


 苦笑しながら、隣の席に座る同僚に頭を下げた。

 教師として、まだ新人という立場だけでなく――二学期の期末考査を控えた十一月末、自習している生徒に構えないことも、申し訳なかった。


「おや、珍しいね。あっ、もしかして……これ?」


 同僚はにんまり笑い、手の小指を立てた。


「まあ、そんなところです……。それでは、お疲れさまです」

「お疲れー。また今度、話聞かせてねー」


 茉鈴は他の同僚達にも会釈しながら、職員室を後にした。

 首都圏の公立高校で、現代国語の教師として働くこと、二年。まだクラス担任でない身分だが、それでも仕事は大変だった。毎日残業続きであり、慣れたところで定時で帰ることの出来る仕事量でもないと感じていた。

 学生時分に聞いていた通りなので、想像との隔たりは無い。

 しかし、決して挫けなかった。生徒が授業を理解して成長することに、やりがいを感じていた。


「あれ? 茉鈴ちゃん、今帰り?」

「ねーねー。どこか遊びに行こうよー」


 学校を出たところで、女子生徒ふたりに出くわした。


「試験前なんだからさ……寄り道しないで、帰って勉強しなよ。冬休みに補習出たくないでしょ? 私だって、やだよ」


 茉鈴は、全く叱らないわけではないが――普段から、自然体で教師として振る舞っていた。他の教師と比べ、緩い雰囲気であることは自覚している。生徒達から、まるで友達感覚のように接しられていることも自覚している。

 かといって、舐められはていない。茉鈴としても、媚びているつもりはない。


「はーい。茉鈴ちゃんを休ませるためにも、頑張るね」

「良い点取ったら、遊びに連れていってねー」


 結果的に、この姿勢で現在のところは問題なかった。

 いや、学校の女子生徒達から向けられている視線は――かつてアルバイトをしていた時に感じたものに似ていた。


「私、お子様には興味ないんだよねぇ。カッコいい大人、目指そうね」


 適当な躱し方は、身に付いている。

 茉鈴はひらひらと手を振り、女子生徒達と別れた。暗くなった寒空の下、電車の駅に向かった。


 首都圏で暮らし始めて、二年。四年間の大学生活を送った地域よりもやはり都会であり、当初は戸惑ったが、現在はすっかり慣れていた。

 茉鈴は電車に乗ると、鞄から携帯電話を取り出した。

 いくつかある通知の中、まずは登録している動画チャンネルの更新が目についた。


『ごきげんよう。本日は皆さんに、令嬢の立ち振舞をお教えしますわー』


 新作動画を開けると、イヤホン越しに甲高い声が聞こえた。

 明るいペールオレンジの縦ロールヘアと、黄色いドレス。その姿が様になっている小柄な女性が、ホワイトボードを使い、趣旨通り講義を行っている。隣には、同じく小柄なメイドが、補佐として居た。

 おとぎの国の道明寺の店主である、道明寺ハリエット――茉鈴は未だに本名を知らない――は、コンセプトカフェを経営する傍ら、春原英美里の提案で動画配信にも力を入れた。動画の収益目的ではなく、あくまで宣伝のためだった。強すぎる個性が動画でも人気を博し、狙い通り店の売上は伸びた。現在は近くのより大きいテナントに店舗を移し、念願の『昼営業』だけで賄っている。

 チャンネルの投稿動画一覧には、最も古いものとして『月見の雑学教室』があった。

 茉鈴は、もしも近くまで足を運ぶ機会があれば、店に訪れたいと思っていた。


 次に目についた通知は、メッセージアプリだった。

 現在はとあるファッションブランドの新人デザイナーとして働いている、喜志菫からだった。


『社内コンペ、通ったで!』


 そのメッセージと共に、デザインしたであろう衣服を掲げる菫の写真が送られていた。

 衣服について、茉鈴は純粋に良いと感じるが、具体的な感想を言語化できなかった。それよりも、とても活き活きしている菫の笑顔に、自分までも嬉しくなる。


『おめでとう! めっちゃ凄いじゃん! カリスマデザイナーの黎明だね』


 何言うてんねんアホか、と返ってくるだろうと思いながら、茉鈴は送信した。

 かつての教え子が活躍しているという喜びはなかった。社会人として立場の近い新人同士、励みになった。

 いや、現在でも『似た者同士』なのだ。こうして、互いに社会と確かな繋がりを持っている。もう『臆病者』ではないのだと、感じた。


 他にもまだ通知はあるが――茉鈴はその中のひとつ、メッセージアプリの一文を見て、あることを思い出した。

 時間にまだ余裕があることを確かめると、電車を途中下車した。

 向かった先は、駅の近くにある家具量販店だった。『新生活』を始めるにあたり、揃えなければいけない家具はいくつかあるが、まずは大きめのソファーからだった。

 平日の夕方であるせいか、ソファー売り場に他の客はほとんど居ない。

 茉鈴は適当に座っていった。硬いよりは柔らかい、革製よりは布製、そしてふたりでも三人掛け用――確かめながら条件を重ねていき、やがてひとつに絞った。

 とはいえ、自分ひとりで決めていいものかと、それに座ったまま思う。ひとまず候補として持ち帰ろうとしたところ、背後に誰かが立ったのを感じた。


「そちらの商品、お気に召しましたか?」


 言葉から店員だと、茉鈴は察する。

 だが、それ以上に――声の抑揚や訛りが印象的だった。大学生活四年間を過ごした地域のものだ。


「はい。とってもいい感じです」


 茉鈴は振り返らずに、頷いた。


「色がいくつかありますが、ご希望はありますか? 在庫を確認致しますよ?」

「色、ですか……。考えてなかったですね。ていうか、私はぶっちゃけこだわり無いんですけど……」


 今座っているものは、ブラウンだった。茉鈴は色彩のセンスに優れているわけではないが、どのような部屋にでも合う色に感じた。

 その意味では――もしも布製ソファーで鮮やかな色があるならば、一般的な部屋では浮くため、避けたいと思う。


「うちのオススメは緑ですわ。やっぱり自然の色やから癒やしの効果あって、無意識に落ち着くんですよ。それに、意外とどの色にも合いますからね」

「へぇ……」


 色彩の知識を持ち出され、茉鈴は妙に納得した。場合によっては、言われるままに選んでいたであろう。

 しかし、肯定する気にはなれなかった。緑色が、カエルを彷彿とさせたのであった。


「ご意見、ありがとうございます。でも、そうですね……これの黒色、ありますか? ウチのテーブルが白で、テレビボードがブラウンなんで……黒を合わせても重すぎず、シックな感じになると思うんですけど」


 現在は、自分の意見を持つことが出来た。


「ちょうど、こんな風に……」


 茉鈴は自分の毛髪を指先で掴みながら、ゆっくりと振り返った。無造作な動きの黒いショートヘアは、すっかり馴染んでいた。

 そして、眠たげな垂れ目で、店員に微笑みかけた。



   終章

   癖毛に生え変わった頃



 茉鈴は午後六時半頃に帰宅した。

 2LDKの賃貸マンションに、ここ最近引っ越した。まだ、荷解きが全て出来ず――自分以外の荷物もあるが――部屋の所々にダンボール箱が目立つ。

 リビングのテーブルには、クリアケースに入った白いトルコキキョウが飾られていた。


 茉鈴はキッチンに立ち、夕飯の準備に取り掛かった。

 とはいえ、今晩はステーキだ。通信販売で奮発して購入した高級サーロインは、解凍済みだった。冷蔵庫から取り出して常温に戻すのは『帰宅後』で構わないだろう。

 同じく奮発して購入した、赤ワインもある。

 茉鈴は、ステーキの付け合せとしてのポテトサラダを料理した。それが完成した頃、インターホンが鳴った。


 玄関の扉を開けると――トレンチコートを羽織ったスーツ姿の女性が、キャリーケースを携えて立っていた。

 外資系企業なので、容姿に関してはこの国ほどうるさくない。久々に見ると、明るいコーラルベージュに染めた髪が、さらに伸びたと茉鈴は思った。

 そして、社会人一年目のはずだが貫禄があり、大人びて見えた。


「えーっと……」


 女性は茉鈴の顔を見て、少し戸惑う。

 久々の再会であること、そして新しい環境での暮らしが始まることから、無理がないと茉鈴は思った。

 茉鈴としても、不安が全く無かったわけではない。

 女性は新人研修として、半年も海外に居た。かつて海外留学で三ヶ月離れた時でさえ、毎日連絡を取り合ったものの、とても寂しかった。

 今回はより長い時間が開き、寂しさ以上に――心変わりが心配だった。

 こうして、同棲する部屋を借りた。わざわざ近くの職場を選んだ。外堀が埋まり、後に退けない状態だ。

 だが、一度は目の前の女性と、互いがカエルに見えたのだ。

 臆病さから、気持ちと向き合えなかった。理想と離れたから、幻滅した。

 人間の心は実に不思議だと、茉鈴は思う。他者からではない。カエルになる魔法は、自分自身によるものだ。

 しかし、冷静に考えれば、数々の経験を得た現在――もうカエルになるはずがなかった。

 奥底から溢れる愛おしさは、決して揺らぐことがないのだから。

 茉鈴はおかしくなり、小さく笑った。


「おかえり、玲奈」


 正面から蓮美玲奈を抱きしめた。

 半年振りの温もりは懐かしく、そして確かなものだった。嬉しさが込み上げた。


「茉鈴、ただいま!」


 まるで幼い子供のような、無邪気で明るい声が茉鈴の耳に届いた。

 積もる話は、きっと互いにある。今夜は再会を祝いながら、語り明かそうと茉鈴は思った。

 そして、この部屋から始まるふたりの未来も、目いっぱい祝おう。



   カエルになる魔法

   cowards get over ideal.


   完

あとがき

https://note.com/htjdmtr/n/n5d9d73a3c0b7


can't laugh heartily.


次回作『腕を組んで歩ける日まで』

2023年12月4日 連載開始予定

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― 新着の感想 ―
[一言] 完結おめでとうございます、追うのがとても楽しかったです、何度ジレンマに陥ったか分かりません、自分の欠点を踏まえた視点でコメントすることが多かったです、反省させられる作品でしたたくさん
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