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カエルになる魔法  作者: 未田
第25章『灯り』
75/76

第75話

 十一月二十一日、火曜日。

 午後四時過ぎ、茉鈴はおとぎの国の道明寺領にアルバイトで訪れた。

 スタッフルームで少し待つと、玲奈が姿を現した。


「お、お疲れさまです……」

「玲奈、大丈夫?」

「はい。お陰さまで」


 茉鈴には、玲奈の笑顔がまだどこかぎこちなく見えた。

 交換留学の落選以来、玲奈はアルバイトをずっと休んでいた。精神面だけではなく――個人での海外留学に切り替えたことから、手続きで休まざるを得なかった。

 一応、今日から復帰ということになっている。茉鈴としては、先日一緒に紅葉狩りに出かけたとはいえ、落ち込む時間がまだ必要だと感じた。


「レイナ様、お久しぶりですわ。本当に大丈夫かしら?」

「そうだよ。お店のことなんか気にしないで……無理しなくてもいいからね」


 部屋にハリエットと英美里も現れた。

 英美里がそのように言うが、茉鈴には玲奈と店の両方を心配しているように聞こえた。


「無理はしてません。一週間も休んで、ご迷惑かけました」


 玲奈が申し訳無さそうに頭を下げた。

 実際に責任を感じているのか、茉鈴にはわからない。だが、玲奈本人から、来年春の海外留学までに少しでも稼いでおきたいと、事前に聞いていた。その気持ちには、とても理解できる。


「何かあれば、私がフォローします」


 玲奈ひとりならまだしも、自分が傍に居れば安心だと、茉鈴は思っていた。だから、復帰を許した。


「それは頼もしいですね」


 英美里の何気ない言葉が、茉鈴にはなんだか冷やかしに聞こえた。

 恥ずかしいが、玲奈との関係はもはや周知の事実なので、堂々と構えた。それほど真剣だという意味合いも含まれている。


「そうですわねー。いきなりバイトをバックレるぐらいですものねー」

「ちょっと……。まだイジるんですか、それ」


 ハリエットがにんまりとした笑みを浮かべ、茉鈴は呆れた。

 玲奈に電話をしたあの日、開店直前で急に店を飛び出したのは、確かに悪かったと思う。解雇を覚悟していたが――後で事情を全て話したところ、ハリエットから理解を得た。これまでの功績も考慮され、玲奈と共に処罰は免れた。


「まあ、ふたりやったら安心やわ。ほな、頼むでー」


 ひらひらと手を振りながら、ハリエットは英美里と部屋を出ていった。

 茉鈴がこの店でアルバイトを始めて、約四ヶ月となる。それほど長くない月日だが、店主から信頼されていることが嬉しかった。そして、大学を卒業するまで――時間が限られているにしろ、少しでも期待に応えたいと思った。

 部屋でふたりきりになり、茉鈴は玲奈と頷きあった。そして、衣装に着替えた。


 午後五時になり、店が開く。

 客がやってくるが、それほど多くはない。平日の、いつもの調子だと茉鈴は思った。


「レイナ様、戻られたのですか!?」

「はい。ご心配かけました」

「そんなことないですよ! めっちゃ嬉しいです!」


 だが、先週は居なかった玲奈の顔を客が見るや否や、それぞれが復帰を喜んでいた。

 玲奈に限らず演者の出勤に関する情報を、店側はウェブサイトやSNSで特に発していない。玲奈の復帰が客を通してSNSで広まったことを、店側も茉鈴も、後で知る。

 平日にも関わらず、店は次第に混雑してきた。午後八時にもなれば、珍しく満席になった。

 大勢の客達に囲まれている玲奈を、茉鈴は少し離れたところから眺めていた。心配だったが、落ち込んでいる様子も、無理をしている様子もない。


 茉鈴としても、ドレス姿の玲奈を見るのは久々だった。だから、かつて――この店に客として訪れ、初めて見た時のことを思い出した。

 凛とした気品ある佇まいが赤いドレスにとても似合い、女王のように美しかった。その姿に、再び恋をした。

 玲奈の泣き崩れたところも、弱音を吐いたところも、失敗したところも、女王らしかぬ姿を目の当たりにしてきた。それでも幻滅しなかった。

 レイナではなく玲奈が好きだと、本心を伝えた。しかし、多くの人たちから慕われている今の姿は――やはり、紛れもなく女王だった。

 茉鈴はまるで自分のことのように、誇りに思う。理想を強要するわけではないが、可能であればこの姿をなるべく見たい。だから、無理なく自然とこのように立ち振る舞えるよう、支えたかった。


「レイナ様が戻られて……やっぱり、マーリン様が一番嬉しいですよね?」


 ふと、近くに居た客から訊ねられた。

 ハリエットから口止めされていないにしろ、個人としての玲奈との付き合いや関係を、客には絶対言えない。一週間も離れていたわけではないので、特に寂しくはなかった。


「そうだね……。あの人は、ああでなくっちゃ」


 だが、この姿を見ることが出来たのは、素直に嬉しかった。

 茉鈴は笑みを漏らすと、玲奈に近づいた。そして、ローブの袖で包み込むように、背後からそっと抱きしめた。

 いくら茶番とはいえ、かつては拒まれたこともあった。しかし、現在はもう驚かれることすらなかった。


「おかえりなさいませ、レイナ様」

「ええ……。随分待たせたわね、魔法使い」


 振り返った玲奈から、柔らかな微笑みを向けられた。

 茉鈴は、思わずこのままキスをしたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢した。

 ふたりで見つめ合ったところで、店内は黄色い歓声に包まれた。


 午後十一時になり、茉鈴は玲奈と共にアルバイトを終えた。

 衣装から私服に着替え、ふたりで店を出る。

 まだ明るい繁華街を、ふたりで駅まで歩いた。もう茉鈴が意識せずとも、自然と手を繋いでいた。

 ふと、隣を歩く玲奈から、頭を撫でられた。


「もう二ヶ月くらいですか?」


 その月日から、縮毛矯正した毛髪のことを指しているのだと、茉鈴は理解した。そして、質問の意図も、およそ察した。


「うん。そろそろ、根本が気になる頃かな」


 縮毛矯正を一度行うと、癖毛に戻ることは半永久的にない。

 ただし、それは施術した部分に限る。体質に変化が無い以上、新たに生えてくる部分は癖毛のままだ。

 茉鈴は九月に施術を受けた際、担当した美容師から、三ヶ月を目処にかけ直すよう言われている。玲奈も、頻度が気になっているのだろう。


「でも……もういいや」


 かつては嫌っていた癖毛が恋しくなったのは、いつからだろうか。

 茉鈴は就職活動を始めるにあたり、姿形から入ろうと施術を受けた。今でこそ馴染んでいるが、周囲の反応が今ひとつだったことも覚えている。

 それも小さいながら、理由のひとつだ。三ヶ月毎にかけ直すのが面倒なのも、同じだった。

 癖毛に戻そうと思った、主な理由は――あるがままの姿で居たいからであった。きっと、もう嫌うこともないだろう。


「わたしも、前の方が好きです」


 そう。わざわざ矯正しなくとも、愛する人が肯定してくれるのだから。


「流石に、もう変な色に染めることは出来ないけどね」


 教師として働く以上、黒を基本とした落ち着いた髪色が求められる。

 黒色のまま癖毛に戻るとなれば、即ち大学入学当初の頃に戻ることになる。

 だが、再びカーキグレージュに染めたいとも、もう思わなかった。髪色も含め『あるがまま』で在りたい。


「黒のままでも全然いいと思いますよ」

「ありがとう。けど、まあ……完全に戻るまでは、まだまだ時間かかるや」


 根本から新たに生えてくる癖毛が現在の長さまで伸びるまで、年単位の時間を要するだろう。


「いいじゃないですか。のんびり待ちましょう」

「そうだね……。ていうか、途中で絶対変になるけど、笑わないでよ?」

「それはどうですかねー」


 にんまりと笑う玲奈の頬を、茉鈴は指先で突いた。

 明るい髪色に染めるも根本が伸びて黒くなり『プリン色』の頭をしている人が、思い浮かぶ。きっと、それに似た現象が起きるのだと、想像しただけでも恥ずかしかった。

 しかし、その経過を経て、髪が生え変わる。


「あっ、そうだ」


 未来を考えていると、あることを思い出した。


「玲奈が就職したい会社の勤務地……もしわかるなら、教えてくれない?」

「いいですけど、それがどうしたんですか?」


 突然の質問に、玲奈が首を傾げる。

 確かに意図が伝わり難いと、茉鈴は思った。


「えっとね……教員採用試験って地域ごとだから、そろそろ絞りたいなーって」


 教員免許を取得した後のことを考えていたのであった。教員採用試験は地域で出題傾向が違うため、希望する学校に目星をつけなければ、試験対策が取れない。

 そのうえで、玲奈の勤務地を訊ねる意図は――


「え……それって……」


 玲奈はそれに気づいたようで、息を飲んだ顔を見せた。

 だが、次第に頬が緩んでいく。


「うん……。玲奈も卒業して、お互い社会人になったら……一緒に暮らそう」


 茉鈴は恥ずかしいながらも、玲奈の目を見てはっきりと口にした。

 勤務地を選ぶ理由としては不純かもしれないが、そのような理想(ゆめ)がある。なるべく玲奈に合わせたい。


「はい!」


 玲奈はとても明るい笑顔で、力強く頷いた。

 きっと今度は上手くいくと、茉鈴は確かな未来を予感した。自然と笑みが漏れた。


 街はまだ明々としているが、十一月の深夜はとても寒かった。

 だから、茉鈴は玲奈と肩を寄せ合って歩いた。吐く息が白くなる中、繋いだ手がとても温かかった。

 遠くの頭上では、綺麗な星々と共に、月が白く輝いていた。鮮明な灯りは、まるでこれからの道を照らしているかのようだと茉鈴は思った。

 そして、冷たく澄んだ夜空から――秋が終わり、冬へ移ろうのを感じた。

第25章『灯り』 完


次回 終章『癖毛に生え変わった頃』

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