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カエルになる魔法  作者: 未田
第25章『灯り』
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第74話

 十一月十八日、土曜日。

 午前十時過ぎ、茉鈴は玲奈のマンションを訪れ、合流した。


「それじゃあ、行きましょうか」

「うん。晴れてよかったね」


 十一月半ばの今日、ふたりで紅葉狩りのデートをする。

 行き先は、ここからまだ近場である、大きな公園だ。滝が有名な観光地であり、この地域で紅葉の名所でもある。

 電車の駅まで歩き、電車ではなくバスに二十分ほど乗った。

 目的地の駅で降りる。ここも電車とバスふたつの路線が合わさっているため――土曜日ということもあり、混雑していた。そして、公園へ向かうであろう人の波が出来ていた。

 ふたりで手を繋ぎ、流れに沿って歩いた。


 茉鈴の目から、玲奈がまだ少し元気が無い――気丈に振る舞っているように見えた。

 交換留学の選考で落選してすぐ、玲奈は個人での留学手続きと奨学金の申請を並行して行った。ちょうど昨日終わらせたところだ。

 費用は、およそ茉鈴の見積もり通りだった。玲奈は茉鈴から金銭を受け取り、また奨学金を受けられる見込みだ。書類上の不備が無い限りは、玲奈が考えている通りの留学が可能となる。

 手伝った茉鈴としても、今週はとても忙しかった。玲奈本人は心身共に、さらに大変だっただろう。

 結果的に計画通りの留学が出来るとはいえ、玲奈に『落選』という傷が深く残ったと、茉鈴は感じていた。慰めはしたものの、すぐに立ち直るのは困難だった。精神状態を察し、今週は玲奈にアルバイトを休ませた。

 そして、無理やり行動を起こさせたが――良く考えれば気が紛れ、悪く考えれば落ち込む時間を与えなかったと思う。

 損得どちらが大きかったのか、茉鈴にはわからない。時間と共に傷が少しは癒えただろうが、まだ本調子ではないのは明白だ。

 だから昨日、紅葉狩りに行こうと提案した。本来ならふたりで話し合って場所を決めたかったが、突発的のため近場になった。

 駅から歩くこと、五分。公園の入口に差し掛かり、茉鈴にはあるものが見えた。


「あれ、何だろ」


 森の向こうの高台に、マンション或いはホテルのような建物がそびえている。すぐ隣には長細い塔が立ち――連絡路と思われるものが繋がっていることから、それがエレベーターだと察した。


「ああ、あれですか――」


 玲奈の口から、スーパー銭湯の名前が出てきた。

 茉鈴も知っている、スーパー銭湯アイドルなるムード歌謡コーラスグループのライブで有名な施設だ。そういえばこの観光地だったと、思い出した。


「へぇ。ていうか、大きいね。私の知ってるスパ銭じゃないんだけど……」

「スパ銭というより、ホテル付きの温泉ですよ。日帰りですけど、お風呂入ってバイキング食べて帰ってきたことあります」


 おそらく、玲奈がひとりで行ってきたのではない。学校の友好関係で楽しんできたのだと、茉鈴は察する。

 少し妬くが、それよりも――


「ホテルのバイキングって、絶対美味しいやつじゃん。うわぁ……お腹空いてきたなぁ」


 温泉に入った後の豪華な食事が羨ましかった。

 酒も飲めば、近場とはいえ一泊したくなる。観光地とはいえ、レジャー業として成立していることに、とても納得した。


「ふふっ。実に茉鈴らしいですね」

「うん。またいつか、ふたりで行こうね」

「えー。近場すぎて、ちょっと……」


 玲奈と談笑しながら、歩く。

 くだらないほどの内容で構わない。少しでも玲奈が和めばいいと、茉鈴は思った。

 公園の入口を抜けると、敷地内はやはり混雑していた。バス観光の一行なのか、旗を持ったガイドの姿も目についた。


「思ってたより広いというか……普通に観光地してるね。全然近いのに」


 看板の案内から、滝までは二キロ以上歩かなければいけないらしい。

 茉鈴はたかが公園と思っていたが、入口の時点で随分と遠くに来たように錯覚した。近場なのに山奥のような自然を感じているからだと、理解する。


「近くでも、たまに来るから感動するんだと思いますよ」


 玲奈は過去にこの公園を訪れたことがあるが、紅葉の時期は初めてだと、昨日言っていた。

 互いに新鮮に紅葉を楽しめることが、茉鈴は嬉しかった。


 やがて、古びた橋に差し掛かった。すぐ傍には同じく古びた旅館のような建物もあり、とても画になる光景だった。それらを背景に、観光客が写真を撮っているのが見えた。

 橋を超えると、水位がとても低い穏やかな河――おそらく滝から流れているもの――と河を見下ろす狭い坂道が、ひたすら続いていた。

 そして、頭上では木々が赤く色づいている。一面の赤い世界に、茉鈴はこの上ない『秋の自然』を感じた。


「めっちゃ綺麗だね」

「はい。来てよかったです」


 人混みの中、玲奈の手を引きながら、ゆっくりと歩いた。

 時期だけでなく、すぐ傍に河が流れているせいで肌寒いのだと、茉鈴は思った。

 澄んだ空気とせせらぎの音、赤い景色は――綺麗だと感じる以上に、切なくなる。まるで、音もなく舞い落ちる紅葉のように、周りの喧騒が耳に届かなかった。

 しかし、玲奈の手を握っていた腕が、ふと伸びた。肩が引っ張られる感触に、我に返った。手を握ったままでは、先へ進めない。

 振り返ると、立ち止まった玲奈が片手で茉鈴の手を握り、もう片方で涙を拭っていた。

 確かに、泣きたくなるほど切ない景色だ。だが、きっとそれだけではないのだと理解する。

 多くの通行人から、邪魔だという怪訝の目を向けられている。茉鈴はひとまず玲奈の肩を支え、道端に移動した。

 とはいえ、都合よくベンチは無い。ちょうど近くに河へと続く階段があり、それを下りた。そして、狭い河路に並んで腰を下ろした。かろうじて足が河水に届かない程度の高さだ。

 このような場所だが落ち着いたところで、茉鈴は玲奈の背中を擦った。


「ごめんなさい……」

「謝らなくていいよ。まだ、しんどいよね。それに……私達のペースで歩いていこうって言ったじゃん」


 切ない景色が、弱っている精神に触れたのだろう。ようやく手続きが片付いた今、無理もないと茉鈴は思う。

 いや、玲奈に余裕が生まれた現在、これから悲しみが大きく押し寄せると察した。


「玲奈の手続きを手伝ってさ……本当に留学するんだなって実感が湧いたんだ」


 この『失敗』に際し、どのような慰めの言葉をかけても、きっと薄っぺらくなってしまう。だから茉鈴は、自身の目線で感じたことを話した。


「三ヶ月も離れ離れになるんだね……。私、たぶん泣いちゃうよ」


 俯いて涙を拭っている玲奈を覗き込み、苦笑した。

 おそらく、玲奈が傍に居ない世界は、時間の流れがとても遅く感じると思った。三ヶ月もひとりで耐えられるのか、不安になったのは事実だ。

 茶化しながらだが、茉鈴は素直に弱音を漏らした。


「もうっ。その頃、茉鈴は就活まっ定中じゃないですか。しっかりしてください」


 玲奈が顔を上げ、泣きながらも口を尖らせた。


「うん……。玲奈も海の向こうでひとりで頑張ってるはずだから、私も頑張るよ」

「そうですよ。電話は毎日しますから」

「あれ? 時差凄いんじゃなかったっけ。私、毎晩夜中に起こされるの?」

「……嫌ならしませんよ?」

「嫌じゃないです。夜中にスタンバってます」


 茉鈴は玲奈とそのように話し、ふたりでおかしく笑いあった。

 結果的に未来について話せて良かったと思う。ひとりで考えていた時は臆病になっていたが、こうして話すと――なんとか乗り切れる気がした。

 ひとりでないのだと、実感したのであった。


 もうしばらく休み、玲奈が落ち着いたところで、再び歩き出した。

 結局、最奥の滝を眺める縁にたどり着いたのは、正午前の空腹を感じた頃だった。


「わぁ。凄いですね」

「流石は百景に選ばれることだけあるね。絶景だよ」


 絶壁伝いに水が流れ落ちるのを紅葉の隙間から眺めるのは、とても風情があった。

 相変わらず人混みで窮屈だが、茉鈴は感動し、携帯電話で写真を撮った。


「昔の人は、この滝が農具の()――穀物を選別する平坦なバスケット状のやつに見えたんだって。私には全然わかんないや」


 滝、果てはこの地域の名付け由来だが、とても箕には見えなかった。


「え? どのへんがですか? けど、まあ……凄いですね。なんていうか、マイナスイオンとかパワースポットとか」


 玲奈が両腕を広げ、正面の滝に仰いだ。

 滝壺までは割と離れているが、水しぶきのような冷気を、茉鈴も正面から感じた。

 玲奈が言おうとしていることを理解できる。とはいえ、所詮はプラシーボ効果のような気もするが――信じたいと思った。


「そうだね。きっと何か、良くなるよ」


 茉鈴もまた重なるように、玲奈の背後から両腕を広げた。

 マイナスイオンは人体細胞や自律神経に効果があると言われている。

 だが、玲奈の精神面にも働きかけ――少しでも早く元気になって欲しいと、茉鈴は願った。


 不思議と、いつまでも滝の流れを鑑賞できるほど魅入っていた。だが、他の観光客が詰まっているため、茉鈴は玲奈に腕を引かれ、離れた。

 長い道のりを再び歩くことを考えると、少し憂鬱だった。

 そんな茉鈴に、玲奈が微笑みかけた。


「今日は連れてきてくれて、ありがとうございました。来て良かったです」


 舞い落ちる紅葉を背に――玲奈の笑顔は明るく、そして美しかった。

 そこに切なさはなく、茉鈴はむしろ温かな安らぎを覚えた。

 そう。懐かしさすら感じるほど、久々に見たような気がした。


「うん。とっても綺麗だよね」


 茉鈴もまた、自然と笑みが漏れた。

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