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カエルになる魔法  作者: 未田
第24章『穏やかな日々』
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第72話

 十一月四日、土曜日。

 正午過ぎに、茉鈴のアパートに玲奈が訪れた。そして、ふたりで学校へと向かった。

 秋晴れの、清々しい日だった。

 茉鈴は歩いていると、普段は学生達で騒がしいこの街が、今日は特に賑やかに感じた。学校が近づくにつれ、在校生ではないであろう『一般人』の姿が割と目につく。年齢は自分とそれほど変わらない人間達だが、楽しもうと目を輝かせている様子は『来客』に見えた。

 昨日から明日までの三日間、茉鈴と玲奈の通う大学で、学園祭が開催されている。

 茉鈴は三年生にして、初めて訪れる。玲奈との縁が無ければ、卒業まで一度も訪れることはなかっただろう。


「この匂い、たぶん一生慣れないや」


 校門の前まで――校門から校舎へと並んでいる銀杏の匂いが漂っていた。

 茉鈴は、この臭い匂いに不快な思いをする度、悪い意味で秋を感じていた。毎年この時期は、なるべく呼吸を止め、早歩きで校舎まで抜けていた。


「強烈ですけど……美味しそうな匂いもしますね」


 玲奈の言う通り、模擬店の匂いも混じっている。時間帯として、茉鈴はそれには腹が疼いた。


「ジャンクな味と一緒に、一杯やりたいよ」

「学祭でアルコール飲めるわけないじゃないですか」


 玲奈に笑われ、言われてみれば縁日ではないのだと、茉鈴は少し残念だった。

 校門をくぐると、やはり大勢の人達で賑わっていた。いつも見ているキャンパスの景色が、今日はなんだか違って見えた。

 国内でも有名な大学なので、来客は確かに多い。その中でも、制服姿の高校生が目立ったのが、茉鈴は意外だった。


「私、オープンキャンパスも来てないんだよね。受験当日に、初めて来たよ」


 受験生だった頃を思い出す。

 実家から、制服姿で気楽に来れる距離ではない。そもそも、駄目で元々のつもりで受験をしたところ、偶然合格したに過ぎない。


「わたしもですよ。絶対受かるのわかってたんで、オープンキャンパスなんてどうでもよかったです」

「私はそうじゃないんだけど……。あの子達が聞いたら、卒倒するよ」


 えっへんと自慢げに誇る玲奈に、茉鈴は苦笑した。実に玲奈らしいと思った。

 校門からすぐ、模擬店が立ち並ぶ区画へと向かった。

 主に部活やサークルが出店しているが、やはり飲食系が多かった。時間帯としても、混雑していた。

 しかし――たこ焼き、焼きそば、チョコバナナ、りんご飴、クレープ――祭の雰囲気に飲まれ、茉鈴は玲奈と後先考えず、手あたり次第購入した。


「えっと……どこで食べます?」


 互いに両手が塞がったところで、場所の問題に直面した。

 開放されている中庭は、きっと混雑している。ベンチが空いているはずもない。校内で気楽に使用できる部屋も、茉鈴には無かった。


「そうだ。穴場があるじゃん」


 だが、しばらく考えた後、空いているであろう場所が思い浮かんだ。

 首を傾げる玲奈を連れて、ふたりで歩く。次第に校舎から離れ――向かった先は図書館だった。

 図書館自体は、学園祭期間中は閉館していた。とはいえ、館内では元々飲食が出来ない。

 茉鈴は図書館の裏手へと玲奈を連れて行った。

 建物は木々や芝生等の緑に囲まれている。そこも、柔らかな芝生だ。


「……ここですか?」


 そう。一年前、茉鈴が玲奈に告白された場所だった。

 周辺に人気が全く無いわけではないが、校舎の方に比べれば、遥かに空いている。茉鈴が思った通りの『穴場』だった。

 レジャーシートが手元に無く、茉鈴は芝生に直接座った。どこか複雑そうな表情の玲奈も――それに続いた。


「それじゃあ、食べようか。いただきまーす」


 購入してきたものを、ふたりで広げた。たこ焼きも焼きそばも、縁日の屋台に劣る、学園祭相応の味だった。不味いわけではないが、食べることは充分可能だ。

 気持ちの良い天気だった。昼間はまだ陽があるため、それほど寒くない。食べ物といい場所といい、まるでピクニックのようだと茉鈴は思った。


 穏やかな時間が流れていた。

 だが、玲奈の表情には少しの戸惑いが見えた。きっと、この場所に苦い思い出があるからだと、茉鈴は思う。

 かつて、臆病だったことから、この場所で玲奈の気持ちを拒み――申し訳ない気持ちが、現在でもある。

 いくら悔いても、消せない過去だ。しかし、その過去があったからこそ、現在もある。思い出のひとつとして、割り切るしかない。


「私、玲奈と出会えて良かったよ。ありがとう」


 だから、茉鈴は謝罪よりも、笑顔で感謝した。


「上手く言えないんだけど……昔より今の方が充実してるのは、間違いないよ。きっと、玲奈を好きになったから……玲奈が私を、ここまで導いてくれたんだ」


 これまでの因果はとても複雑であり、とても把握できないと、茉鈴は思う。現在のふたりは、まさに奇跡や運命と言えよう。

 中でも発端である図書館での出会いは、些細な出来事だった。蓮見玲奈の美しさに、見惚れたのであった。

 だが、あの頃は自堕落であり――とても釣り合わなかった。あくまでも理想の存在と割り切り、適度な距離を計っていたものの、気持ちを抑えられなかった。

 茉鈴は、同じ人物に二度も恋をした。

 愛する人に少しでも近づくため、足掻いた。可能な限り弱さを捨て、玲奈にとっての『余裕のある大人(りそう)』でありたいと努めた。

 教師になるという夢を、まだ叶えていない。しかし、特に気張ることなく、あるがままの自分で――玲奈と同じ目線の高さに立っている自覚がある。胸を張って、玲奈の恋人だと言える。

 結果的に、恋をしたことで成長に繋がったのであった。


「そんなことないですよ……。わたしが居なくても、茉鈴は立派になってたと思います」

「ううん。玲奈じゃないと、無理だった。たぶん、もう……玲奈以外の誰かを、ここまで好きになれないと思うから」


 謙遜する玲奈に、茉鈴はたこ焼きを串でひとつ刺し、差し出した。

 恥ずかしいことを言っている自覚はある。それでも、本心を聞いて欲しい。

 玲奈は照れくさそうな表情を浮かべた後、口を開いてたこ焼きを食べた。


「わたし……恋愛なんて、正直どうでもいいって思ってました」


 たこ焼きを飲み込み、ぽつりと漏らす。


「でも……茉鈴にこんなに愛されたら、そりゃ好きになりますよ」


 そして、微笑んだ。先ほどまでの戸惑いは、もう無かった。

 かつて『友達』だった玲奈が、いつ何がきっかけで恋愛感情が芽生えたのか、茉鈴は知らない。だが、茉鈴自身の感触と玲奈の言葉から、こちらの想いが届いてのことだと思った。


「大切な人に支えられたり、支えたり……そういうの、良いですよね」

「そうだね。玲奈と一緒に笑って、一緒に泣きたいな」

「ありがとうございます。わたしも……茉鈴のために、頑張りますよ」


 玲奈が意気込むが、茉鈴は微かな――しかし確かな違和感を覚えた。

 正体はわからない。それでも、この穏やかな時間の中で追うのは野暮だった。模擬店の料理を味わい、ふたりで文化祭を楽しんだ。

 やがて、購入したものをふたりで食べきった頃には、茉鈴はとても腹が苦しかった。互いにしばらく動けず、笑いあった。

 少し休んだ後に立ち上がり、校内の展示を見て回った。



   *



 十一月十日、金曜日。

 茉鈴は学校から電車の駅に直接向かい、午後四時過ぎにおとぎの国の道明寺領に着いた。

 今日はアルバイトだけでなく、大切な日でもあった。先日行われた交換留学の選考の、結果が発表されたのだ。

 個別の通知であり、部外者の茉鈴は、玲奈の結果を知らない。メッセージアプリにも、玲奈からの喜びの声はまだ届いていない。

 今日のシフトは玲奈と重なっている。きっと、玲奈が大喜びで現れるのだと思った。

 おそらく、自分もまた大いに浮かれるだろう。どのような茶番で祝おう。

 茉鈴はそのように考えながら準備をするが――午後四時半を過ぎても、玲奈の姿が無かった。


「あらー。レイナ様、まだいらっしゃらないの?」


 店内の清掃をしていた茉鈴に、心配そうな様子のハリエットが近づいた。


「え? 玲奈から何の連絡も無いんですか?」

「ええ。トラブルに巻き込まれていなければ、いいんですけど……」


 玲奈が過去に一度遅刻しそうになった際は、事前に連絡があった。この時間になっても連絡が無いのは、異常だ。

 茉鈴もまた心配する一方で、なんだか嫌な予感が込み上げた。


「すいません。私、連絡してみます」


 スタッフルームに入り、ロッカーから携帯電話を取り出した。なんとか落ち着きながら、玲奈に電話をかけた。

 だが、しばらく鳴り響いたコール音が切れた。電波の都合か――それとも相手側が意図的に切ったのか、わからない。

 茉鈴はすぐにかけ直した。長いコール音の後、今度は繋がった。


「玲奈! 何かあったの!?」


 慌てて訊ねるが、玲奈の声は聞こえない。

 やはり電波状態が悪いのかと、疑う。しかし、鼻をすする音が微かに聞こえた。

 茉鈴の中で、嫌な予感が大きくなる。携帯電話を耳にあてているにも関わらず、自身の心臓の鼓動が聞こえる。

 どのぐらい過ぎただろう。とても長い沈黙だと、茉鈴は感じた。

 やがて、沈黙を打ち破ったのは――非情な現実だった。

 穏やかだった日々が、終わりを迎える。


『わたし……ダメでした』

第24章『穏やかな日々』 完


次回 第25章『灯り』

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