第69話
昼食を済ませ、茉鈴は玲奈と周辺の店を見て回った。日常生活で使用できそうな小物の他、アルバイト先への土産として――地域色の強い、きつね煎餅といなり饅頭を、それぞれ購入した。
午後からは山を少し離れ、近辺の神社や寺を散策した。どこも初めて訪れる所であり、かつその体験を玲奈と共有できたことから、とても楽しかった。途中、休憩で食べた甘味も、美味しかった。
やがて陽が遠くに傾き、空が暗くなった。時刻は午後五時だ。
ふと、道端で立ち止まった。
「最後にどこかでご飯食べて、帰ろうか」
今日はとにかく歩いた。茉鈴は疲労と共に、この時間でも空腹を感じた。
それに、時間がここから後ろにずれると、夕飯時の混雑に見舞われるうえ、帰宅も遅くなるだろう。
「そうですね。何食べたいですか?」
「いやー。食べたいっていうか……飲める所がいいなぁ」
茉鈴はその意見にだらしない自覚があるため、恥ずかしそうに提案した。
この地域は、水の綺麗な国内『三大酒処』のひとつだ。散策していると、酒蔵らしき建物をよく見かけた。
「飲みたそうにしてましたもんね」
玲奈がにんまりと、悪戯じみた笑みを浮かべる。
「あれ? バレてた? まあ、流石に今日は昼間っから飲み歩くわけにはいかなかったから……」
「よく我慢しましたね。いいですよ、行きましょう。ていうか、わたしも最後は飲みたいです」
玲奈の許可を得たところで、ふたりで適当に歩きながら店を探した。
観光地である以上、酒が飲める店なら割と目につくが、折角なら本格的な店がいいと話した。
「あそこなんて、どうですか? 焼き鳥屋さんなのか酒蔵なのか、よくわかりませんけど」
玲奈が指さした先には、昔ならではの酒蔵といった建物に、焼き鳥の看板と垂れ幕が掛かっていた。
焼き鳥と聞いて、茉鈴は昼間の『丸焼き』を思い出す。だが、すぐに頭の中を一般的な焼き鳥の香ばしさと、酒の辛味に置き換えた。なるべく強い印象で上書きして帰りたい。
「うん、いいね。あそこにしよう」
玲奈と共に、店へ入った。時間のせいか、予約が無くとも待たずに済んだ。
風情ある建物から、茉鈴は落ち着いた雰囲気を想像していたが、店内は騒がしかった。まさに『大衆酒場』だ。デート向きではないと思うも、どの客も楽しそうに飲んでいることから、居心地は悪くなかった。
店員に、四人がけのテーブル席に通された。玲奈と向かい合って座り、メニュー表を眺める。
「意外と豊富ですね」
「これだけあると、迷うなぁ」
玲奈の言う通り、食べ物も飲み物も、茉鈴は並の居酒屋より遥かに多いと思った。酒だけでも、清酒とビールがそれぞれ数種類に、カクテルやサワーまである。
折角このような店に来たのだから、今日はビールをやめておきたい。しかし、一杯目から清酒は重い。茉鈴は悩んでメニューを眺めていると、とある酒が目に留まった。
「私、これにするよ。原酒サワー」
おそらく、清酒を柑橘系の何かで割ったものだろう。味が今ひとつ想像できないが、少なくとも一杯目の爽快感があると思った。
「わたしも、同じやつにします」
店員を呼び、原酒サワーふたつと、料理を適当に注文した。
店内の中央には、銀色をしたタンク状のものが鎮座していた。玲奈はビールサーバーだと思ったが、店員がグラスに注いだ液体は小麦色ではなく、透明の液体だった。おそらく、清酒だろう。
「へー。あそこで普通に注ぐんだね」
「なんていうか……樽を割って柄杓で掬うものだと思ってました」
「あはは。それは偏りすぎだよ」
茉鈴は笑うが、古風な酒蔵から、確かに玲奈の持っているものに近い印象があった。
とはいえ、酒の風味を損なわないため、近代的な設備を使用することは理に適っている。衝撃的だが、面白くもあった。
しばらくして、先にジョッキがふたつ運ばれてきた。
「それじゃあ、今日はお疲れさまでした」
「いっぱい歩いたよね。頑張ったよ」
玲奈と乾杯をし、原酒サワーを一口飲む。
清酒の味わいがありつつも、しつこくなく、さっぱりと飲みやすかった。まさにビール以外の一杯目に最適であり、茉鈴は一気に飲み干してしまった。
「うわー。めちゃくちゃ美味しいよ、これ」
「もうっ。潰れたら、置いて帰りますからね」
心配する玲奈を他所に、茉鈴は店員を呼んだ。おそらく帰宅に支障が無いと判断したうえで、次は利き酒三種セットを注文した。
「私ね……正直、神社やお寺なんて全然興味無かったんだけど、今日は楽しかったよ。連れてきてくれて、ありがとう」
いや、この時点で酩酊の自覚はあった。頭の中がくらくら揺れるのを感じながら、茉鈴は本心を口にした。
数ある行き先の選択肢の中、この地を選んだのは玲奈だった。
「わたしも、楽しかったです。ひとりなら絶対につまらなかったですけど……物知りな茉鈴なら、いろいろ教えてくれると思ってましたから」
玲奈の微笑みに、そのような意図があったのだと茉鈴は理解した。日中は考えすらしなかったが、期待に応えられた自信がある。
「また、どこかに行きたいね。次は冬休みかな。今度は日帰りじゃなくて、一泊ぐらいしてさ」
「遠くもいいですけど……やらしいこと、考えてません?」
「そりゃ、多少は……。温泉宿でも行きたいなーって」
正面でにんまりと笑う玲奈に顔を覗き込まれ、茉鈴は苦笑した。
漠然とした目的地が思い浮かんでから、湯けむりや敷布団を連想したのであった。
「これから寒くなりますし、温泉いいですね。美味しいご飯も食べたいです」
ここのも美味しそうだが、温泉宿の料理はまた違う――そのように思っていると、焼き鳥が次々と運ばれてきた。
玲奈が箸で器用に、串から小皿へと外していく。その様子を、茉鈴はぼんやりと眺めた。
「焼き鳥って、串のまま食べるのが美味しいんだけど……誰かが外してるところ、初めて見たよ」
そして、思ったことをぽつりと漏らした。
「え? わたし……やらかしました?」
「ごめん、ごめん! 勘違いさせたね! 悪い意味で言ったんじゃないから!」
顔が青ざめる玲奈を、茉鈴は慌てて擁護した。
確かに、焼き鳥は串に刺すことで旨味を閉じ込める効果がある。だが、外したところで味が大きく変わるわけではない。
「今まで、誰かと焼き鳥食べることなかったから、ちょっと驚いただけ……。玲奈とシェアできて、嬉しいよ」
茉鈴はそう付け加えながら――小皿に七味と柚子胡椒を盛り、恥ずかしさを誤魔化した。
味が多少落ちても構わない。食事を、玲奈と分かち合いたかった。
「茉鈴って、なんていうか……変なところで躓きますよね。まあ、そういうところも好きなんですけど……」
「ちょっと! なにサラッと言ってんの!?」
テキパキと串から外しながらも何気なく漏らす玲奈に、茉鈴はさらに恥ずかしくなった。
やがて食べる準備が出来た頃、利き酒三種セットが運ばれてきた。トレイに小さな枡が三つ載り、それぞれに説明の札が置かれていた。
「話戻すけどさ……私これまで国外に出たことないけど、ていうかパスポートも今持ってないけど、海外にも行ってみたいな。玲奈のカッコいいところ、見たいよ」
茉鈴の頭には、異国の地で外国語を流暢に話す姿ではなく、金融企業で働いている玲奈の姿が浮かんでいた。キャリアウーマンとしての玲奈は、女王のようにさぞ凛々しいと、安易に想像できた。
「別に、カッコよくないですよ……。でも、いつか一緒に海外にも行きましょうね」
謙遜しながらも、玲奈が頷く。
未来を語るが、夢ではないように茉鈴は感じていた。近いか遠いかはさておき、必ず訪れる予感があった。
だからこそ、心地よく酒が飲めた。
酒だけでなく、焼き鳥も美味しかった。チェーン店とは違い脂が乗り、噛みごたえもある。香ばしい味に、辛口の清酒がとても合った。
もしかすれば、人生で一度きりしか味わえない料理かもしれない。この地を再び訪れることは、無いのかもしれない。
それでも、茉鈴に名残惜しさはなかった。
発見、体験、そして共有――玲奈との旅行の先々で、きっと現在と同じ心地よさを、その都度味わうだろうから。
「玲奈となら、どこに行っても絶対に楽しいよ」
「わたしもです。ふたりで思い出いっぱい作っていきましょうね」
玲奈の台詞に、今日が初めてのデートだという実感が茉鈴に湧いた。とても楽しい一日だったと、改めて振り返る。ささやかな日帰り旅行だが、かけがえのない時間だった。
これからも思い出を作っていくのは勿論のこと、それらを大切にしたいと思った。
食事を済ませて店を出た頃には、茉鈴はすっかり酔い潰れていた。
疲労の身体に、強い度数かつ大量のアルコールを摂取したからである。二日酔いにはなり難い酒種だが、即効性があった。
帰路の電車では、玲奈の介抱の元、何度か下車をした。結局は自宅まで付き添われた。
最後にこうして玲奈に迷惑をかけたことが、茉鈴には苦い思い出として強く残った。
第23章『狐の棲む山』 完
次回 第24章『穏やかな日々』
おとぎの国の道明寺領で、ハロウィンイベントが開催される。




