第67話
十月二十二日、日曜日。
茉鈴は玲奈と先週から計画していた、日帰り旅行の日を迎えた。
旅行とはいえ、デートの意味合いが強い。映画会社のテーマパークや大きな水族館など、定番のデートスポットは割と近場にある。
「そういうのもいいですけど、前から行ってみたかった所があるんですよ」
だが、玲奈が提案したのは、少し離れた所にある有名な神社だった。これまで、一度も行ったことがないらしい。
茉鈴は名前を聞いた時、無数に並んだ鳥居の景色と、鎮座している狐の像が思い浮かんだ。
「いいね。私も初めて行くよ」
神社巡りは女子大生の趣味として珍しくないが、茉鈴はこれまで全く興味が無かった。
もう少し待って秋が深まれば、紅葉が綺麗だと思った。しかし、ふたりで話し合った結果、紅葉鑑賞は別の機会にした。それに、そちらは他にも名所がある。
純粋に『初めて』を楽しむため――玲奈と共に敢えて下調べをしないまま、当日を迎えた。
茉鈴は電車に二十分近く乗り、大きな駅で一度降りた。
午前九時に、ここで玲奈と落ち合うことになっている。
「お待たせしました」
待つこと五分、約束の十分前に玲奈が姿を現した。
白いニットとデニムパンツ、ベージュのトレンチコートに――スニーカーだった。
ややカジュアルな格好だが、今日はこれが正しいと茉鈴は思う。神社とはいえ山の中にあり、それなりに歩くため、動きやすさが重要だ。
茉鈴としても、喜志菫に以前選んで貰った――くすんだ青色のショート丈カーディガンと黒いワイドパンツ、そしてスニーカーを履いてきた。
「似合ってますね」
「玲奈もね。それじゃあ、行こうか」
ふたりで電車に乗り、揺られること五十分。目的地の駅で降りた。
有名な観光地の割に、駅は小さい。日曜日の午前十時ということもあり、駅から既に多くの人で賑わっていた。外国人観光客の姿も目立つ。
駅を出てすぐ目の前に、赤い鳥居が見えた。
「なんか、空気が綺麗な感じがしますね」
玲奈の言う通り、茉鈴は空気が澄んでいるような気がした。
きっと、涼しい秋の気候も関係しているのだろう。空を見上げると、薄い雲と共に綺麗な晴空が広がっていた。心なしか、空が遠くに見える。
天気だけではなく、玲奈の様子も穏やかに見えた。
茉鈴はずっと傍に居たからこそ、交換留学選考の前後で、僅かだが確かな変化に気づいた。不安から縋られたものの、普段は表に出さなかった。それでも、玲奈なりに緊張していたのだと、後になって感じた。
「晴れて良かったよ。絶好の行楽日和だ」
「そうですね。ちょうどいい感じです」
茉鈴は玲奈と微笑み合い、歩き出した。
自然と手を繋いでいた。多くの観光客の中、特に違和感は無い。気づかれたとしても『友達』として見られるだろう。だが、茉鈴には『恋人』として見られたい気持ちが、心の隅にあった。
人の流れに沿って山道を少し歩くと、無数に並んだ鳥居が見えた。
「どうして、こんなにあるんですかね」
鳥居のトンネルをくぐりながら、ふと玲奈が漏らした。
国内に神社が数あれど、このような光景は珍しいと茉鈴も思う。
「そもそも、鳥居っていうのは神社側が建てるものじゃないんだよ。どこの神社も、誰かが奉納してるんだ」
茉鈴はそのような知識を持っていた。神社と鳥居の数に決まりは無い。
すぐ傍にある鳥居の左柱には、日付が書かれていた。それを指差し、おそらく奉納日だと玲奈に説明する。中には、割と最近のものまである。
「へー。結構な数の人が貢いでるんですね」
鳥居を奉納するにしても、現代の価値で数十万円を要する。風習にしても信奉者に裕福な者が多かったのだと、茉鈴は思った。
「奉納っていうのは、いわゆる『お返し』になるのかな。願掛けというよりも……たぶん、願い事が叶ったらその御礼として納めてるんだと思うよ。そして、次は私達がその中を通って、願い事を伝えに行く」
鳥居に限ったことではない。
神から貰ったものを返し、次に別の誰かが受け取り、再び返し――そのような輪環は、神社では珍しくない。些細なものでは、石ころで行われている例もある。
「そう考えると、素敵ですね」
大昔から、少なくともこれだけの数の願いが叶い、現在にまで紡がれてきたのであろう。
人の繋がりと長い歴史が、この美しい景色を作り出している。茉鈴としても、確かに感慨深かった。
「次は、私達の番かもね」
茉鈴は冗談交じりに笑った。
だが、鳥居の奉納は本気で考えていないとはいえ――神への願い事は明白だった。
教職に就くという夢。そして、玲奈との未来。
全て神頼みというわけではない。あくまでも自分の腕で掴み取るつもりだが、神の力を借りてでも叶えたい願いだった。
「神様に報告して、次の誰かに託せるように……頑張らないとですね」
玲奈も同じ気持ちのようで、茉鈴は繋いでいた手を強く握られた。
この手をなるべく引いていきたいと思っていたものの、心強さを感じた。
しばらく歩くと、左右の分かれ道に差し掛かった。鳥居の並んだ道が、それぞれに伸びている。先程のトンネルよりも鳥居の間隔が狭く、隙間が無い。『千本鳥居』と呼ばれている、この神社を象徴する場所であった。
先が見えないからか、茉鈴にはどちらの道も、朱色の鳥居が無限に続くように錯覚した。目眩を起こしそうになり、自然と立ち止まった。
相変わらず多くの観光客が歩き、喧騒が耳に届く。だが、この景色はまるで時の流れが止まったかのように神秘的だった。風すら流れない、静寂を感じた。
「まりん……茉鈴!」
玲奈の声に、茉鈴は我に返る。手を握っている感触を思い出す。
「いやー、凄いよね。ほんと、圧巻だよ」
「はい。いつまでも眺めていたいところですけど……どっちに行きましょうか?」
この分岐地点はそれほど広くないため、長時間立ち止まっていては通行の邪魔になる。玲奈の声がなんだか気まずそうに、茉鈴には聞こえた。
自分達の他にも、立ち止まっている観光客は居る。そして、特に迷うことなく『人の流れ』に委ねて進んでいる観光客も居る。
「どっちに行っても、たどり着く先は同じみたいだね」
分岐点の中間に立っている看板から、その情報のみ汲み取れた。選択するにあたり、他の判断材料は無い。
「でも、どっちがラクなんでしょうね」
玲奈が携帯電話を取り出して調べようとするのを、茉鈴は制止した。
手を繋いだまま、右側の道に進んだ。
「ネタバレしないで、楽しもうよ」
きっと、どちらを選んでも――険しい道のりだったとしても、玲奈となら笑いあえると思ったのであった。
「念のため訊きますけど、右を選んだことに何か理由はあるんですか?」
玲奈の声は呆れているのではなく、純粋な疑問として聞こえた。
ふたりで手を繋いで、茉鈴が右側、玲奈が左側に立っていた。単に近い方を選んだと思われているかもしれないと、茉鈴は察した。
「人間の心理は……無意識な左右の選択だと、左を選ぶことが多いんだよ」
心理学でそのような統計があるものの、詳しい理由は不明だった。純粋な人間の本能と言われている。
それを活かし、ショッピングモールや陸上競技トラックは、一般的に左回りで設計されている。
「へー。確かに、言われてみれば左側の道に行く人の方が多かったかもしれません」
「まあ、だから何だって話だけどね。ただの、天邪鬼な逆張り精神ってわけ」
玲奈は一応納得するが、つまるところ、茉鈴にとって面白そうという理由で右側を選んだに過ぎなかった。
とはいえ、特に面白いことは無く――穏やかな山道が、ずっと続いているだけだった。右側の道が空いているわけでもない。
ただ、鳥居のトンネルが、無限回廊のように続いていた。ぎっしり鳥居が詰められているため、隙間から日差しがほとんど入らず薄暗い。終わりが見えず、景色も変わらない。それでも、鳥居の陰からひょいと狐が姿を見せそうな予感が、不思議とあった。
もしも、玲奈も周りの観光客も居ないなら――ひとりきりで歩いていたなら、気が狂いそうだと茉鈴は思った。
しかし、無限や永遠などあるはずもなく、狐と出くわすこともなく。やがて、鳥居のトンネルは終わりを迎えた。
「ふー。ようやく着きましたね」
「意外と、すぐだったね」
結局のところ駅から十五分ほど歩き、拝殿と思われる開けた場所に到着した。
国の重要文化財に指定されている、朱色の美しい建物が見えた。
「とりあえず、お参りしようか」
観光客、いや参拝客の列に、ふたりで並んだ。
しばらくすると柵越しの賽銭箱にたどり着いた。茉鈴は玲奈と、五十円玉をそれぞれ投げた。玲奈が五百円玉を投げようとしたが『これ以上の硬貨が無い』という語呂に、縁起が悪いと説得した。
ふたり並んで充分に拝み、賽銭箱から離れた。
「ねぇ。何てお願いしたの?」
そのようなことを訊ねるのは無礼だと茉鈴は思うが、玲奈との間柄もあり――気になった。
「わたしですか? 茉鈴が素敵な先生になれますようにって……」
「え? 私は、玲奈が交換留学の選考に受かってますようにって……」
互いの願い事を告白した後、顔を合わせてふたりで笑った。
自分よりも相手の幸せをどちらも考えたことが、茉鈴はとても嬉しかった。
きっと自分で願うよりも効果があり、必ず叶うと思った。




